紅葉(もみじ)というと秋の紅葉(こうよう)がつとに有名だけれども、夏の紅葉(もみじ)の美しさは特筆すべきものである。夏の紅葉(もみじ)はなぜ美しいのか。夏の紅葉(もみじ)はどこが美しいのか。
楓の樹形はすらりとしていて、枝が多いけれども細いので華奢な印象がある。樹皮の色も淡いのでよりいっそう柔らかな感じがする。それに加えてあの葉色。緑茶のような涼しさをもった緑とあの形。葉っぱは5枚に分岐しており、薄いので光に透ける葉脈が見える。楓の葉の広げ方はきわめて特徴的で、隣の葉との重なり合いが最小となるように、上下の葉の重なりも最小となるように効率よく広がっている。木の下から見ると、柔らかな緑のドームのように見えるのが気持ちよい。
葉が風にそよぎ、葉と葉から見える空の形も絶え間なく変化する。もしかしたら楓の見頃は秋ではなくて夏なのかもしれない。多くの人が紅葉(もみじ)だ紅葉(こうよう)だと騒ぐ前の静かな時期に、楓を愛でるのは悪くない。
今聞いているのは、ドビュッシー [版画より 塔]
演奏は小川典子。ドビュッシーのCDでは初めて日本人の演奏を聴く。うん、音の粒がそろっているのは評価できるが、音の響きという点ではもう少し。以前よく聞いていたパスカル ロジェは音の粒より響き重視の演奏だった。音の響きには柔らかいという観点があり、それと音の粒という反対の要素の両立が難しいところなのだが・・・
どうやら今日は満月。もう少しで南中かな。空はやや霞んでいるのでそれが満月の明るすぎる光を減らしてやわらかい表情を見せている。満月というと明るすぎて平面的に見えてしまうのだけれど今夜の月はそんな感じがしない。シャープな光が好きだけれどこんな夜もいいね。
好きな月にはいくつかパターンがある。一番すきなのは細い月。新月を迎えて3日後くらい。太陽が沈んだ西の空にやっと確認できる月とぼんやりと見える月の影の部分を見るのは確実に楽しみである。もうひとつ好きなのはうす曇を通してみる月。太陽は明るすぎるので雲があっても空は明るい。月だと雲の加減で真っ暗にもなるし、いきなり光が復活したりと変化が大きい。流れ行く雲の形もよく見えるしね。
月はなんだか人気の無い場所で見たいもの。
今聞いているのは、奥田 民生 [ION]
楽器屋でギターの試し弾きをしている人がいて、その曲が民生の曲だった。多分たったった。騒音の多い空間でいきなり耳に入ってきた音が知っている音だったのでなんだかうれしくなった。
やっと梅雨らしい雨が降る日々となった。前半は空梅雨でダムの貯水率の低下に伴い取水制限が行われた土地も結構あるようだ。この雨で少しは持ちなおすだろうか。さて、好きな雨の季節がやってきたのを祝して、「雨の日に聴くとより気分のよい曲」を思い出してみた。
クロード ドビュッシー「沈める寺 (前奏曲集より)」
夜の雨といったらこの曲で決まり。雨の音と和音が快く響く曲である。
モーリス ラヴェル「前奏曲 (クープランの墓より)」
もちろんピアノ版。雨とピアノは相性がいいね。この曲は雨の粒に反応するような曲だ。
the Beatles「Rain」
雨降り、そんなの気にしない。晴れの日、それは天気がいいってこと。
Stina Nordenstam「And she closed her eyes」
この曲は雨の音がフェードアウトして終わる。
Cinnamon「The man on your street」
マリンバの柔らかい響きは、雨粒が体にあたった感触に似ている。
奥田民生「674」
雨の日はこんな短い曲がいい。曲が終わった後に雨音に耳をすませるのだから。
さて明日の天気はどうだろう?
2005年2月28日のエントリ「痛いのです」で紹介したラップ療法を実験する機会に恵まれた。小さな傷ができたのは左手の親指の付け根あたり。切り傷ではなくて肉が薄く剥がれた傷。近くに絆創膏が無かったので血を抑えるためにサージカルテープを巻いていたんだけれど、ラップ療法を思い出したので治療方針変更。小さく切ったラップを傷に貼り付けその上からサージカルテープで止めた。
2日目になると黄色い液体が結構出てくる。今まではこの液体をふき取り傷を乾かすようにしていたのだけれど、ラップ療法ではこの液体が治癒の速度を速めるので重要なもの。ちゃんとした医療品ならば数日間貼ったままにできるらしいけれど、所詮はサージカルテープ。毎日風呂上りに取り替えた。黄色い液はなんというかちょっとくさいのだが膿とは違うし、腫れや痛みは特別無い。そして驚くべきことに毎夜傷をチェックすると自分が今まで認識した速度よりも明らかに早く傷が治っている。傷の表面は固まらないけれど、新しい細胞によってけずられた部分が作られているのが良くわかる。そして現在、カサブタになることなく以前と皺が変わることなく治ってしまった。さすがに表皮は再生していないけれど、あのうっとうしくてはがしたくなるカサブタ状態を経ずして治るのは自分の体でも驚きだった。これはかなりいいかも!自己責任でお試しあれ!
今聞いているのは、Stina Nordenstam [And She Closed Her Eyes]
彼女は目を閉じて、そして言った・・・
最近読んだ「やさしくわかる気象・天気の知識」と「完全図解 気象百科」の2冊は非常に有用な本だ。この2冊を読めば素人にとって天気や気象に関するほとんどの疑問が解決されるだろう。少なくとも僕は知りたかったことをいくつも知ることができた。
「なぜ台風の目ができるのか」低気圧の中心に向かって吹き込んでいる風がコリオリの力によって曲がる。この曲がりが遠心力を生み、渦の中心まで風がたどり着けずに台風の目となるのだと。だから中心はほぼ無風状態なのだと。なるほど。
「熱帯低気圧とはなにか」台風の勢力が弱まると熱帯低気圧に変化するのだが普通の低気圧とどう違うのだろうか。違いは明確。熱帯低気圧は暖気だけでできており、普通の低気圧は暖気と寒気によって構成されている。なるほど。
「コリオリと台風」コリオリの力はsinθ(θはシータです)に比例する。このときθは緯度。sin90°で最大値、sin0°で最小値の0。というわけで赤道付近ではコリオリの力が非常に弱く風は渦を巻かないので台風は発生しない。なるほど。
「台風の大きさは中心気圧ではなくて風速」天気予報で台風といえば中心気圧が今どのくらいかを伝えることが多い。しかし台風の「強さ」も「大きさ」も実は風力によって定義される。強さは最大風速で定義され、大きさは風速15m/s以上の半径によって定義される。中心気圧よりも風力とその範囲に気を配る方が、より正確に台風を知ることになるようだ。なるほど。
「正しいスコールの意味」スコールというと熱帯で発生する一時的な雨のように思われるけれど、正確には「急に強まって吹き、しばらく吹いて収まる強風」のこと。にわか雨や雷雨を伴う時もある。なるほど、伴う時もあるのか。
今聴いているのは、ドビュッシー [海]
コンセルトヘボウ、ハイティンク。好きな曲はしつこく聴きます。
これは昆虫の擬態の話。ベイツ型擬態とは無毒の昆虫の容姿が毒虫の容姿に似るということ。それによって無毒虫も捕食される確率を下げている。ミュラー型擬態とは毒虫同士が似たような姿をすることによって捕食される確率を下げるというもの。こちらの解説がわかりやすいです。
「愛媛県総合科学博物館 昆虫ワンダーランド」
この地球上で最も繁栄しているのは人間ではなくて昆虫だと思う。昆虫ほど地球に適応している生物はいないのではないだろうか。彼らの大きさは重力の影響を小さくするのに役立っている。垂直移動も楽勝、逆さに張り付けるし飛ぶ事だって簡単そうだ。数も多いし生態も多用。地球を支配しているのは人間かもしれないが、昆虫の勢力もかなりのものだ。幸いに人間と昆虫は競合することがあまりないので争う事は少ない。争っても昆虫は一方的に虐殺される側なのだが。
街を歩いていると市街地路上駐輪車を取り締まる人々が歩いている。彼らは市役所から委託されているだろうが、受託者は警備会社のようだ。警備しているわけではないのでじいさんやおばさんが多いのだが、特筆すべきはその服装である。濃紺の制服といかつい帽子はまさに警察官の制服の擬態。一方で警察は警備員との差別化を計りたいからたまに制服を変えてたりしている(のかな?)。悩ましい関係だけれど、まさにベイツ型擬態だね。
今読んでいるのは、高塚てつ彦 [やさしくわかる 気象・天気の知識]
昨夜はこの本を読みふけってしまった。気象に関する知識が詳しく、わかりやすく解説されている。今まで読んだ気象関連本のなかでダントツにおもしろい本だ。
一家に1冊「理科年表」は必要なものだと思う。もしかすると百科事典よりも役に立つのではないだろうか。単語の意味を調べるのはもはや造作のないことになっているが、理科年表には知られざる情報が眠っている。これ1冊あればトリビアが作り出せ続けるだろう。これがあれば夏休みの自由研究も2日で終わらせることが出来るだろう。
例えば「都道府県庁間の距離」がp617に載っている。長野-静岡186.7kmでありこれは石川-滋賀187.1kmと似た値。ふーん。
「物質の引火点」p403によればガソリンは-43℃以下、軽油50‐70℃、菜種油313‐320℃。なるほど、火のついているストーブに直接軽油を入れるのは非常に危ないということがよくわかる。また気象に関しての情報も豊富でかの土地はどんな気候なのだろう?というときに紐解けば雨量、平均気温をさっくりわかる。うーむおもしろい。寝る前に読むのにうってつけ。
この本のようにさまざまな理科分野の情報が一冊に網羅されている本は世界でも例がないのだという。まずは本屋で立読みしてみてください。
今読んでいるのは、丸善株式会社 [理科年表2005 国立天文台編]
本を読んでいたら段々と揺れてくる。震度は3だったようだけれど4階なのでもう少し揺れていただろう。ゆったりとした横揺れ。久しぶりの揺れだったのでちょっと驚いて、あたりを確認するけれどこの部屋には落ちてくるものはないし、倒れてくる家具もない。建物が崩壊しない限り安全だと思う。

この画像は地震直後の「tenki.jp/」よりパクリ。震源は福岡県なのだが地面ってつながっているんだと良くわかる。長野や栃木でも揺れているのがなんとも不思議。岩盤がつながっているのだろうか。海底にも地震計はあると思うのだがその情報は表示されていない。震源を中心にして同心円状に震度は変化しているのだろうけれど、地面の状態によって違いが発生するのだろうな。
今聴いているのは、ラジオ[KCRW-Simulcast]
ネットラジオなのだけれどかなりイイ!。iTunes-Radio-Publicで聞けます。
今回は空気の話。透明だし軽いので普段意識しない。人間の体は水で出来ているという言葉は良く聞くけれど、空気が非常に重要だといわれるのはダイエットの時の有酸素運動の時と泳いでいる時くらいだろうか。人間の体をエンジンに例えると水はオイルで空気はガソリンかな。
この空気の重さは1Lで1.3g程。水は1Lで1000g。そして地表付近での空気の重さは1気圧(1atm、1013hPa)では1cm平方あたり1Kgなのだと。ちなみに人間の体には250Kg程度の空気がのっているらしい。これは圧力なので天井のある部屋でも屋外でも同じ値。そうなのかー空気って結構重いんだなあ。もちろん人間は1気圧の条件で生きてきたので、この状態で不自由を感じない体の作りになっているのは言うまでもない。空気もあなどれません。
今日読み終わったのは、トランボ [ジョニーは戦場へ行った]
今聴いているのは、中村 由利子 [私の騎士]
子供の頃、夕焼けを見て泣き出したことがあった。セミを取りに行って、4、5人いた仲間とはぐれて気づいたら一人ぼっちで、夕焼けで、僕は恐ろしいほど孤独だった。まるで天と地の間に僕一人しかいないような、そんな寂しさ。夕焼けは酷い位に綺麗で、赤と金色が入り交じって、あたり一面光っていた。 それなのに、その事を語る事のできる奴は、誰もいない。恐かった。寂しかった。僕は、どうしようもなく無力で、出来る事といったら、泣き出す事だけだった。今でも僕は、その日の事を夢に見る。ちょうどこんな風な夕焼けだったよ。
人間は情報の入力を視覚に頼っている生物といえるだろう。視覚の次は聴覚かな。触覚や嗅覚というものはちょっと優先度が低い。また百聞は一見にしかずという言葉もある。
さて今回の見えないものは放射線である。放射線というと原爆や原発を連想し非常に怖いものと思われるけれど、レントゲンでも浴びるしなにより宇宙からは宇宙線がやってくる。地球も放射性物質を含んでいるので地下に潜ると地上より放射線を浴びる。α線とかβ線とか色々あってそれぞれが特性をもっている。α<β<γの順番で透過力がアップする。α線は皮膚で遮られるがβ線は皮下数ミリまで達する。透過力が大きければ人間を突き抜ける。普通、目で見るには難しい物体のように思われるけれどずばり放射線を見れる装置がある。それが「拡散型霧箱」。確か関テレのミニ科学コーナーにあった。ここは入場無料なので扇町で暇があったらみるのもおもしろい。放射線(宇宙線)そのものを見るわけではなく、アルコールの飽和気体中に残る飛跡を見れるのだが。こんなものが体にぶつかっているのか、と少しは実感できるでしょう。
今読んでいるのは、トランボ [ジョニーは戦場へ行った]
これってWWIの話だったのか。WWIIかベトナム戦争だと思っていた。古典だったのか。
洗顔に使っているDHCの(試供品)ソープに蟻が列を作っていた。透明なのでグリセリンソープだと思うのだけれど、グリセリンだけに甘いから蟻が集まるのかな?と思ってペロリとなめてみた。うーん微妙に甘いかな。すぐに口をゆすいだけれど。しばらくは蟻捕獲トラップとして様子をみるとしよう。
実家で飼っていたレオが身罷った。18歳と3週間であった。昨日の朝ご飯を最後に食べなくなり、今朝はやく眠りについた。

この画像のファイルスタンプをみると2004/08/14とある。よく覚えている。夏の夕暮れ時に家の近くの公園まで散歩に行ったときのものだ。人間の子供と同じで小さかったレオはカメラを向けると好奇心のあふれる顏で近寄ってきたためにいい写真がたくさん撮れたものなのだけど、カメラに愛想をふりまいても特別いいことはないと学習してからは人間の思う通りに振舞ってくれなかった。レオは怪しい人だけに吠えるので吠えられた人に対する家族の目はちょっと冷たかった。
スケボーが流行った頃にはレオの散歩といいながらひかせたこともあった。当時は小学生でうまくスケボーでブレーキがかけられず、ドンドンとスピードがあがって怖かったけどレオにとってはいい運動だったのかもしれない。若く、力のあふれる時には自転車で散歩に連れて行き引っ張ってもらった。馬と同じようにダク足から駆け足に変わるとかなりのスピード。綱を持つ右手を通じてレオの力を感じる。たまに自転車でレオの足を踏んだりするとキャンと短く鳴いて「なにするんだよ?」という表情でこちらを見る。けれど2秒後にはまた猛ダッシュをするいい奴だった。
田舎の冬夜空が非常に綺麗なので何度もいっしょに見に行った。もちろん空を見上げるのは僕だけだったがあの冷たい空気と冷たい光を覚えている。月の光も何度か眺めた。散歩しながら年をまだいだこともいい思い出だ。
頭の上に石をのせて遊んだ。コンクリートの段差にアゴをのせて休んでいる時もあった。冬の寒い日には訪れる日向とともに松の根元から砂利の上へと段々と移動していった。首をのばしてツツジの花を食べている様は滑稽だったし、犬小屋の近くでキンギョを飼った時には嫉妬をしていたようだ。海に遊びにいった時の帰り道に膝の上にゲロをしたこともあった。寒い朝には水の器に氷が張っていて喉が渇いていたこともあった。松の木に登っておりれなくなったこともあったし、生きたハゼに吠えたこともあった。赤い紐が良く似合った。
楽しい思いでもたくさんあるし、最期の時は苦しむことなく、乱れることなくまこと穏やかな表情だったということなので悲しくないと思うことにしているのだがやっぱり悲しい。畑に植えられたスモモの木の近くに埋葬されたのだがあそこは梅の木も近くにあって日当たりもよく気持ちよい場所だ。妹の友達は花まで買ってきてくれたのだと。
すべてが過去形になったのはさみしいけれど、レオは人間の年齢にすると96歳。
これ以上、なにを望もうか。
今聴いているのは、Maurice Ravel[亡き王女の為のパヴァーヌ オーケストラ版]
この曲をおくる。やすらかに眠れ、レオ。
特異日とは特定の気象になる傾向の強い日のこと。11月3日文化の日に晴れやすいのは有名。特異日を「理科年表読本 気象と気候」のp39から引用。
月日 俗称 現象
2月14-15日 春一番 南風が吹き、気温が上がり、15日-16日は下がる。
4月3-4日 春の荒れ 日本付近で低気圧が発達し、風雨が起こりやすい。
4月5-6日 寒の戻り 低気圧通過後の移動性高気圧によって明け方気温が下がる。
4月23-24日 寒の戻り 気温が下がり、晩霜などが多い。
6月28-29日 大雨 大雨が降りやすい、北海道は晴れやすい。
7月14日 梅雨の終わり 気温が上がり、天気がよくなる。
8月12日 大暑 天気がよく、気温が高い。関東以西で顕著
8月21日 台風来 台風が来やすい。
9月10日 夏の終わり 大陸の寒気団がきて気温が急降し、秋となる。
9月16-17日 台風来 強い台風が来やすい。
9月25-26日 台風来 強い台風が来やすい。
10月10日 秋の始まり 秋霜が終わり、天気がよくなる。
11月3日 秋晴れ 移動性高気圧におおわれ、天気がよい。
12月26-29日 クリスマスの悪天 低気圧によって一時気温が上がり、太平洋側でも降水をみる。
どうなんでしょうか。11月3日の晴天は統計的裏付けがあるというけど、10月10日の晴天はたいした確率ではないらしい。さて、バレンタインの日に春一番は吹くのであろうか。明日は天気が崩れるようなので、雨が降る前に湿った南風が吹くのだろうか。
今読んでいるのは、島田雅彦 [楽しいナショナリズム]
ナショナリズムという言葉は最近では「愛国心」という意味で使われることが多い気がする。自分がどのようなスタンスであるかを確認することは大切だ。少なくともナショナリズム=右翼と思っているようでは古い。
比熱説(比熱とは物質1gを1K上昇させるために必要なエネルギー。水や地面は大きく、空気は小さい)とは太陽からの光(太陽放射)はまず地面や海洋を温める。そしてそれらが次に空気を温める。このタイムラグが1年間で見ると2ヶ月ずれるというもの。
放射説(放射とはエネルギーの移動のことであり2種類ある。太陽から地球に入る太陽放射と地球から出て行く地球放射である)とは気温の変化は太陽放射と地球放射のバランスで決まる。太陽放射>地球放射ならば気温が上がり、逆ならば下がる。この収支が逆転するのが2月と8月なのである、というもの。
不勉強なことに僕は放射に関して初めて知った。今までは比熱と熱伝導によって説明されてきたことを信じていたけど、冬至を過ぎて太陽放射が強くなっているのに気温が下がりつづける理由がいまいち納得できなかった。水や地面が温まりにくいといってもねえ。ヤカンの水をガスで温めるとき、温度が最高となるのは火を消してからタイムラグがあるというのか?と考え込んでしまったから。地球サイズでそう考えればそうかなあ。疑問が残るばかり。反対に放射説は分かりやすい。太陽放射は日が長いほど大きくなる。夏至の時に太陽放射が最大となり、冬至のときに最小となる。一方で地球放射は季節変化するのだろうか?うーんよく分からない。地球放射は比熱とも関係しているので季節による変化はするのだろう。そうして太陽放射と地球放射のバランスによって徐々に季節が変化していくんだろう。
色々読んで考えたけれどすぱっと解説している文章がなくて今でも確信が持てない。比熱も影響しているだろうけど、主原因は放射であると今回は認識するに至ったわけだがちょっと不安。だれか教えてください。
今日読み終わったのは、ペトロスキー [フォークの歯はなぜ4本になったか]
おもしろい本だった。著者は「形は機能に従う」という命題への反駁を散りばめている。しばらく前に読んだ、夏への扉と特許というつながりがあった。
今までだまされていたのかもしれない。今回、そう思うようになった。2月はもっとも寒い時期。しかし冬至を過ぎているから昼間は日に日に長くなっているし、夕方の明るさを実感している。今日の日の入りは17時45分だけれど冬至の頃より40分も長い。日差しは強く、長くなっているのに寒くなるってどういうことよ?と思って調べてみました。調べようと思ったのは、「地球は温まりにくくて冷めにくい」という通説に疑問を思ったからです。
まずは巷の状況をネットや本で調べました。本を読んで分かったのだけれど、このタイムラグの説明には2通りあった。それは「海洋や地表は温まりにくく冷めにくいからという比熱説」と「太陽放射と地球放射のバランスが原因という放射説」である。比熱説、放射説ともに僕の造語です。
「山口大学農学部教授の山本 晴彦」は「比熱説」の人。
「フジテレビの天気予報士の三井良浩」は「放射説」の人。
「TBSの天気予報士の森田正光」は「比熱説」。
「「気になる気象の話」の著者、能沢 源右衛門」は「比熱説」。
「「図解 気象の基礎知識」の著者、二宮 洸三」は「比熱説」。
「「百万人の天気教室」の著者、白木 正規」は記述無し。
比熱説の方が優勢だけれど、うーん怪しい。もっとも複雑な自然現象だから諸説入り乱れるのもわかるけど、主要因といえるものはないのだろうか。
個人的な考察は明日へ続く
今聴いているのは、Bjork [Pagan Poetry]
なんという曲だろう。この曲は体の中に眠っている凶暴性を呼び起こす。
今日はなぜ8月が1番暑くて2月が1番寒いかについて書こうと思ったけれどちょっとまとまっていないのでまた明日。キーワードは「放射」のようです。
図書館の近くにはデパートがあるので、掲示板で話題となっている香水の試嗅をしてきました。買う予定はまったくなく単なる好奇心を満たすため。彼女の為と自分の為という会話をくりひろげながら香水のにおいを嗅ぎ、自分のマフラーのにおいを嗅いできました。忘れないうちに感想を記しておこう。
「incanto dream」
店員の一押し、新商品というフェラガモのインカント ドリーム。フローラル系だけれど、フルーツのような甘さがある。花の甘味ではなくて果物の甘味。イチゴのような甘さではなくて、完熟した甘い柑橘類のようなさわやかさを伴っている。入れ物はピンク色だけれどイメージするのは薄い黄緑色。しかしこのにおいから思い出されたのは、小学生の時にかいだ擦ると花の匂いがする学研の付録。香り自体は素敵だが、においと記憶の結びつきは強い。
「Cabotine Rose」
グレのカボティーヌ。この名前とボトルの形は僕でも知っていた。フローラルの王道を行くローズの香り。わずかにアルコール臭のような透き通って尖った香りを感じるがこれは紙についているからだろうか。イメージする色はピンク。イメージする文字はcuteという感じだろうか。coolさとかは感じられない。かすかに感じられるグリーンノートはさわやかである。
「SAMOURAI Silver」
アランドロンのサムライシルバー。なるほど、人気の香りというだけあっていい香りだ。まず思い出したのはジンの香り。あの蒸留酒は杜松で香りつけさているがそんな香りだ。続いて感じるのはライムのすがすがしさ。なるほどライムとジンは相性がよい。イメージするのはボトルと同じブルー。水色ではなくてブルーである。ジンのように無色に近いブルー。
「ライトブルー」
ドルチェ&ガッバーナのライトブルー。今回試嗅したなかで1番気に入ったのがこれ。イメージする色は透明にわずかなブルー。香りがあまり強くなくシトラス系が香りの中心だけれど背後にはわずかにフローラルの香りがする。さらにわずかにクチナシのような甘い花の香りも。ラストノートでは甘味がでてくるのだろうか。それにしてもサイトのURLにjapの文字が。せめてjpにしろよな。
「TRESOR」
ランコムといえばトレゾァ。これは誰かの香りとして街でかぐ機会が多い。今にすればあれはトレゾァだったのかという感じ。以前、歩いていたら段々トレゾァの香りが強くなってその先に香りの本人がいたということがあった。犬ってこういう生活なのだろうか。色をイメージするのが難しいけれど、透明なあめ色だろうか。香りが濃厚で甘いバラ。うーん大人の香りだね。
「MIRACLE」
ランコムからもう1つはミラク。イメージするのは黄緑色。萌木のような活力にあふれる香りなのだが生牡蠣のような生物的な青臭さもある。こういうにおいを認識してしまうともうだめです。フローラル系のトップノートにだまされるところだった。
「Vol de Nuit」
今回の目的はゲランの夜間飛行を試嗅することだった。むっちりとした濃厚さにサンダルウッドのようなスパイシーな香り。店員はサンテグ ジュペリの星の王子様から名付られたといっていたがそれは誤解。ずばり夜間飛行という本からだろう。ヨーロッパから見たオリエンタルとはインドネシアとかタイとかの東南アジアなんだね。熱帯の絡みつく空気の色は煙っている。
「MITSUKO」
ゲランから2つめの目玉はミツコ。マスターキートンを読んだときからどんな香りか気になっていたのだがなるほど日本人女性の名前がついているだけある。白檀のような香りはお寺の御香をダイレクトに思い出させる。日本人にとっては馴染みのある香りだけれどヨーロッパ人はどのように感じるのだろう。夜間飛行と比べると香りが薄く、ゲランって上品ねと思ってしまった。やはりイメージするのは薄い紫色。仏教の色です。
「Samsara」
ゲランのサムラサは瞑想している仏僧をイメージするような香りなのだと店員が言っていた。甘く、濃い。ハーゲンダッツのアイスに香りがあったらこういう感じだろうか。ジャスミンに甘さを加えた香りは嗅いでいておいしそう。けれど香水としては濃すぎる典型。いっしょに食事はしたくないな。イメージする色はブリック。タイの僧侶が着る服みたいなちょっとくすんだ色。このくすみに濃さがあらわれている。
「L'Instant De GUERLAIN」
最後はゲランのランスタントゲラン。ランスタントって何か?と思いきやInstantなのだね。なるほど。夜間飛行やミツコのような歴史のある香りではなく、2003年に発売されたようだ。くどくないユリの香りとわずかな石けんの香り。そして複雑に絡み合うのは何かは分からないのだけれどいい香りです。かなり気に入った。イメージする色はミツコと同じ薄い紫。ミツコの紫は和紙に漉き込まれたようなぼんやりとした紫だけれど、ランスタントはアメジストのような硬質の薄紫。見方によってはピンクに見えるという感じです。
というわけで香水の試嗅ぎ記録でした。自分ではあまりつけないけれど何の香りであるかやミドルノートやラストノートを想像するのはなかなか楽しい。もらった紙はお気に入りの本に挟むとするか。それにしてもネットで買うとだいぶ安くなるようですね。
今聴いているのは、Colin Chin [The Alluvial Plains]
この曲が終わる瞬間にいきなり現実に引き戻される。頭にはいつも城達也のナレーションが響いています。
立春を過ぎたけれど今は寒さのピーク(の終わり)。しかしピークを抜ければあとは徐々にではあるが温かくなるだけ。さて、日照時間が最短となる冬至は12月なのに月別の最低気温は2月に記録される。そして最高気温は8月である。
この2ヶ月のタイムラグについては色々な説明を受けてきたけれどなんだか断片的である。ということでちょっと調べてみるとするか。
日が沈んでまもなくしてから見た細い月が澄んだ空にあまりにもきれに見えたので今夜もふたご座流星群を見ようと思った。出現の極大は今朝の8時ころだったようで、つまり早朝の朝日が昇る前が一番たくさんみれた可能性があったようだ。昨夜観察した時には20分くらいで7個とまずまず。20個/時といわれていたからね。3つはかなり明るい流星だったのでその場所を見ていれば都会でも見れたのではないでしょうか。
星を見る時、すぐそばの太田川放水路の川岸へ行くのだがその土手には道路が走っている。信号もなく見通しもよいためけっこう速度をだして車が走るので油断ならないのだが、寒空のしたに人影を見つけた運転手は驚いているだろう。どうせなら敷布でもかぶってさらに驚かせてやりたい気分に毎回なる。脅かした車が事故ってもなんなのでやらないけれどその誘惑はかなり強い。
さて流星群の話。今日も一寸見ようと思ったけれど空はうす曇。大犬座の天狼星すら見えない空では流星は見えない。残念ながら今回のふたご座流星群はこれまでだろうか。明日でも見れると思うから見逃した人は挑戦してみてはどうだろう。
今聴いているのは、cinnamon [Promenade]
ふたご座流星群の出現の極大は13日から14日にかけて。今年は新月ということもあって観測には最適なのだと。天文観察の初心者が言うのもなんだけれど、街の灯りが届かない場所へ行けば一時間に50個程度をみることができるらしい。しかも出現する場所がふたご座ということで夜22時を過ぎれば観測可能になる。しっかりと厚着をして観察してみてはいかがでしょうか。
・ふたご座はオリオン座の左上にある。ボルックスという1等星と近くの土星が目印。
・極大は14日の午前2時くらい。けれど夜の間ならば見える。
・観測の邪魔となるのは街の灯り。山に囲まれた場所ならばよく見えるかも。
・外は寒いけどしし座流星群やペルセウス座流星群に比べれば観測条件はゆるいですよ。
流星の出現は12月2日から始まっているようです。
今聴いているのは、Stina [And she closed her eyes]
先日、イラン人に広島を案内した。イスラム教徒とのファーストコンタクト。初回教徒。ここではイランについて少しだけ買いてみたい。普通の日本人にとってイランで思い浮かぶのはどんなことだろう。ハタミ首相、イランイラク戦争、シーア派、エスファハーン、ホメイニ師そしてピスタチオ、こんなところが限界。しかしこれだけ知っていればかなり会話が弾む。イスラム世界がだいぶ近く感じました。
会話の中で好きな花は?と聞かれたのでチューリップと答える。するとイランでチューリップは殉教のシンボルなのだという。戦争で死んだ人の墓にはチューリップを生けるのだと。あれ?兵士や警官の死は殉職って言うんじゃない?と思って聞くとイランを統治するのは宗教指導者なのだと。つまり兵士も警官も戦争やテロの犠牲者も宗教戦争の犠牲者ということで殉教なのだと。そうだったのか、外国人が日本人に向かって好きな花は菊です、という場面を想像してみるがうまくいかない。日本で戦争を想像するなんて今の僕には不可能だ。兵士が死ぬことは想像できても、戦時中の国家や社会というものはまったく想像できない。日本は平和な国だ。
彼がいうには日本人にとってイラク人はあまり評判が良くないのだという。イラク人は親日派が多いので少々残念だと日本人を代表して言うとどうやら懐かしの偽造テレフォンカードに行き着いた。おぉ、上野公園で買えるものといったら10枚で1000円の偽造テレフォンカードだった。
今話題のアラファトにも話は広がる。イランではイスラエルやアメリカと手を握った裏切り者として扱われているようだ。これは多くのイスラム教徒を代表する感情かもしれない。現在のイスラエルとアラブ諸国の関係はうまくいっていないからね。アラファトといえばテロ組織の親玉だったのにノーベル平和賞を貰ってからは日本でもパレスチナの要人扱いだ。テロに屈しないのなら過去のテロ犯人も裁いて欲しいものだ。
WWIIでドイツ人によるホロコーストを受けたユダヤ人は安住の地としてイスラエルを貰った。もちろん、そこに住んでいた人を追い出した後の土地だったのだが。そのせいでイスラエルとアラブ諸国は戦争をしている。もっともなことのように思える。
話がパレスチナ問題になってきたので軌道修正。イスラム教徒にとって豚は不浄の動物であるのは有名。だから罵り言葉は「豚野郎!」なのだと。それは日本でも通じるというと笑っていた。イランの隣国であるアフガニスタン人はしばしば軽蔑の対象となるようで「このアフガン野郎!」も立派な罵り言葉。豚女は(外見だけでなく性格とかが)最低な女のこと。なるほど、豚はそこまで貶められているのか。日本においてでも人を豚呼ばわりするのは控えるとしよう。
最後に一言。世界は狭くなったといわれるけど、僕にとっては無限に広い。地球は一つだけれど世界は一つではなく、文化、人種、宗教、地理、気候といったものがそれぞれ世界を作っているのだから。対立したり、類似したり重複したりと世界はまったく複雑である。
今聴いているのは、ドビュッシー ウェルナー ハース:ピアノ [アラベスク第1番]
ふとした拍子にある人の顔が思い浮かぶ。普段の生活ではまったく交点がない人であっても、確かにあったことがあり何かしらの経験を共有していれば思い出すことがある。ふとした拍子が何であるのかというのは、ふとしたことだけあってたくさんの要素がある。例えば本。本屋や図書館でざっと眺め、宮沢賢治、宮本輝、東君平、モネの画集、ぐりとぐらではそれぞれ別の1人が思い出させる。CD屋にいって、ドビュッシー、ラヴェル、ブラームス、チャイコフスキー、セザリア エヴォラ、ビートルズ、矢井田瞳を手に取ればやはりそれは別々の1人を思い出させる。
それとは別に遭遇した匂いやもらった物、手紙(手紙と比べ写真はすこし邪道だと感じる)、食べ物、服、場所などによっても思い出す人がいる。それらをあわせて年間100人くらいの人に思いをはせているような気がする。はて、あの人はどうしているのだろうか、と。友達であったり、単なる顔見知りや同級生だったり、先輩や後輩。
先輩というのは誠便利な言葉で、この薄っぺらな言葉には尊敬の意味と自分との明らかな年齢的な隔たりが表現されていて隙ではない。他人に対して意識的に使ったことはないし、近しい人には自分のことを先輩とあまり呼ばないようにとお願いしたほどだ。この先輩という言葉、使っているとその人と友達になれないような気がするのは僕だけだろうか。先輩の関係を突破した数少ない先輩!というのは非常に大切なものだと実感。その方を思い出すたびにどこかでつながっているのかと思い、思いは巡る。また手紙致します。
今読んでいるのは、石田 五郎[天文台日記]、
今聴いているのは、LeMystereDesVOIXBULGARES[ピレンツェの歌]
今聴いているのは、浜田 真理子[月の記憶]
これから先の文は、一つ前のエントリ「呪い」を読んでしまった人だけに読んでほしい文です。いいたいことはそれだけです。
さて、前回のエントリを読んだあなたは好奇心が旺盛ですね。それとも怖い話が好きなのでしょうか。長々と書きましたがあの話はまったくの創作です。そう簡単に呪いなんてあるわけないし、呪われたくもありません。
呪いということをもう少し考えてみましょう。安倍清明もいっているように呪いや呪縛とは関連付けがされているかどうかということ。自分の名前が時に自分自身よりもその人をあらわすことがあるように、実態のないものが意味を持つ。それを利用したのが呪い。
「水の滴る音は、そのひと音が死を少し近づける」
これはまったくのホラ話ですが、あなたは完全にこの話を忘れることはできない。人間は忘却という能力を備えているが、多くの場合自律的にその能力を発揮できない。
「水の滴る音は、そのひと音が死を少し近づける」
読めば読むほど意識に刻まれてしまう。
太陽の下でこの話を思い出すことはないでしょう。
しかし病院で点滴の管を滴り落ちる水滴を見ることはあるでしょう。山里の温泉で夜にふと目を覚ましたときに、わずかに流れる川の音を聞くかもしれません。急に暗い雲に襲われて夕立を雨宿りしているときの水音を聞いたことのある人は多いでしょう。
そうです、そんな時に限って思い出してしまうんですよ。人間の脳は。
「水の滴る音は、そのひと音が死を少し近づける」
水音1つに対して、7秒ほど死期が早まるのだと僕は聞きました。
暑い日が続きます。今日は呪いの話。
続く話は読むと生命に何らかの影響がある可能性があるという呪いです。
この呪いを祓う方法を僕は知りませんし、多分ないのでしょう。
怖い話ではないのですが、好きでない人は決して読まないで下さい。
この先を読むという行為は完全な自己責任の元に行ってください。
どうやら僕は呪われた。あなたにもわけてあげましょう
僕は神社へと続く山道を登っていた。舗装はされていないがコンクリートブロックで階段が築かれている。山の頂上付近に稲荷神社がある。そう、京都の伏見稲荷のように登山道は延々と鳥居がたっており、歩いている道は荒縄に白い和紙がついており結界の内側であることがわかる。
日が傾き始めた頃に登りはじめてしまったのを少し後悔するような森だった。先行する人がいるとわかったのは中年男性の整髪料の匂いを感じたから。ここでベトナム戦争の話を思い出した。亜熱帯のジャングルでアメリカ兵にとってもっとも身近な脅威は自然。そう小さな傷でも化膿させると命に関わる。だから清潔が何よりも大切。足を乾かし可能な限り風呂に入る。しかしベトナムに長くいる兵士は風呂で石けんを使わない。ベトコンは石けんの匂いを嗅ぎつけて待ち伏せするからだ。僕は中年男性のおかげでベトコンの気分だった。ということは彼はアメリカの新兵か。ここで殺人があってもそうそうは見つかりまい、そんな妄想をしていると中年夫婦は一人の僕に注意を傾けているのがわかる。若さを自慢しながら、そうそうに抜き去ることにした。
いくつもの鳥居といくつかの小さな社を通り越し、奥の院への最後の鳥居が見えた。最後の鳥居は石でできているなかなか重厚なものだった。ゴールが見えたことと、後ろに中年夫婦の気配がないから安心して休憩を取ろうと思った。
最後の鳥居をくぐった瞬間、声が聞えた。
「水・・お・・そ・し・・け・」
聞えたといっても鼓膜の外から聞えたのではなく、鼓膜の内側、そう耳の内側に直接響く声だった。突然のことで体が止まった。右足は境内に入り左足はまだ最後の階段を踏んでいる。無意識に耳を澄ませると確かな日本語が聞えた。「水の滴る音は、そのひと音が死を少し近づける」
鳥肌が立つのがわかった。
今日は何も聞えない、何も読めない。
子供の虐待を肯定するつもりはまったくない。
すべての犯罪と同じように防ぐことのできない虐待というものも
存在しないと考える。
どんな親でも(少なくともある程度は)愛情をもって名前を付けた
自分の子供に虐待を加えることがあるのはなぜだろう?と新聞を
読んで思うことが多い。
そんな時に思いついた。虐待をするのは遺伝子の仕業ではないだろうか?
ライオンやチンパンジーの場合、群れのボスがその群れのメスを束ねている。
ボスが他のオスによって取って代わられた時に、新しいボスは前のボスの
子供を殺すことはよく知られている。自分以外のオスの遺伝子を持つ個体は
その存在すら許されない、と解釈されることが多い。この件に関しては
「利己的な遺伝子」という本を読めば深い知識が得られそうだ。
人間の場合も虐待というと再婚の連れ子が犠牲になることが多いような
印象がある。あくまで印象だけれど、継父が殴り殺すというのが多い気がする。
これだってライオンやチンパンジーと同じように遺伝子が継父の背中を
押しているように思える。
このように遺伝子の仕業かなあと考えることもあれば、岩合光昭の
「日本の犬」という写真集を眺めた時には別のことを考えた。
人間は2世代前の人と容姿はまったく違う。遺伝子的には2世代なんて
小さな隔たりのはずなのに、新人類と言われるほどに違う。
これは人間だけではなくて、犬もだいぶ顔や体つきが違っている。
犬は出生において人為による選択が働いているから野生の状態とは違う
けれど、今の柴犬と昔の柴犬は結構顔が違う。
子供が人を殺す時代になったのかもしれないけれど、親だって自分の
子供を殺しているし、オジサンだってすぐにキレる。
そんな世の中なのかもしれない。
そういえば6月22日付けの朝日新聞26面にある「宇宙の底で」というコラムで
柳澤桂子(生命科学者)が「残虐性は人間の本性か」という文を書いていた。
人間に遺伝子が近いチンパンジーには確実に残虐性が存在する(ジェーン グドールの研究より引用)が、チンパンジーよりも遺伝子が人間に近いといわれるボノボ(ピグミーチンパンジー)に
は残虐性は認められない。人間はどこで残虐性を再装備してしまったのだろうか?
ということを書いていた。そして残虐性には快感がともなっているとも。
今でも昔でも処刑のシーンは見世物となっているしこの事実を真摯に受け入れないと
いけないのかもしれません。
今聴いているのは、Edith Piaf[C'etait une histoire d'amour]
すっかり疑り深くなってしまった。それは[光と色の100の不思議]を読んだから。
物を目で見るということは、その物体が持っている光に関する特徴を感じるということ。
何色の光を吸収するのか、反射するのか、透過率の程度によって様々な色、質感を視認できる。
日常、目から入ってくる情報は大変多い。その情報の処理だけでも大変なので人間の脳は
焦点のあっていない部分は情報を間引いて送っているし、今までの経験に引きずられて
情報を加工したりもしている。見るという行為はとても複雑のようだ。
自転車に乗っていてスピードを出しているときにカーブミラーでカーブの向こう側を
見通すときに脳が間違った像を認識していたら車とぶつかる。
そして目を強く疑うようになったのはユニクロで買ったサングラス。このサングラスは
偏向レンズが使われている。カメラを趣味としている人や釣りをする人は知っているだろうが
偏向レンズは光の経路を制限してくれる。そのため反射ら錯乱を低減する働きがあり、
色も濃く見える(散乱を防ぐためか?)。
カメラで偏向レンズを使って写真を撮ると青空や緑がきれいに写る。浅い水辺では水中の
様子もかなり見通せるようになるので、裸眼や普通のサングラスとはだいぶ印象が違う。
普通のサングラスは光量と視野全体の色変化だが、偏向レンズではコントラストも変化
して見えるので戸惑ってしまう。
そして室内など乱反射の少ない環境では一気に暗く見える。光が乱反射しにくい
ナトリウムランプのトンネルではかなり暗く感じるんじゃないかな。
目の悪い人は常にこういう経験をしていると思うのだけれど、なかなか大きな変化です。
今読んでいるのは、ダンテ[神曲]
学生時代に女の友人に「なあなあ、ブラジャーって何するもの?動詞を続けて」と
いわれて素直に「取るもの」と答えたら「はっはっは。男だねー。女は着けると答えるのよ」
といわれてしまった。そういうことらしい。
また、気のいい友人K.Nはメールを送ったときに了解という意味で「ブ、ラジャー」と返してくれたことがあった。
6月1日付けの朝日新聞。新聞の中で読者投書欄に続いてつまらない地方面にはなぜか
ブラジャーの特集をしていた。新しい素材とか新しい発想が使われるようになり
ブラジャーの変化も著しいようだ。しかし一番気になったのはそんなことじゃなくて
ワコールの調査結果。それは70年から90年の間に女性の身長は3センチ、バストは1センチ
大きくなったけれどヒップサイズは変化していないという。この変化こそが平成新人類の
特徴なのだと。
70年代に20歳代の人と90年代に20歳代の人では、1世代も変わらない。なぜこのような
変化がおこるのだろう。男だってずん胴の人はあまり見なくなったし、あごのラインも
細くなっているのは間違いない。このような身体上の変化は遺伝子の変化というよりも
生育環境に原因があるのだろうか。もしタイムマシーンがあって江戸時代に生まれた
赤ちゃんを現代に連れてきたら、現代人のように育つのだろうか?それとも江戸時代風か?
ブラジャーの進化ではなくて、ブラジャーと進化について考えてしまったのであった。
今日読み終わったのは、桑嶋 幹(編)[光と色の100不思議] ユーレイカ!!大変におもしろかった。