デスクトップの背景とスクリーンセイバーをカスタマイズしている人は多いと思う。背景画の変更は気晴らしになるからね。しかしMSが用意している画像には意味不明でヘボイものが多いと思う。
というわけでこれが僕のデスクトップ。フォルダの数を多少減らしたけれどこの月、大きい割にはきれいなので気に入っている。しばらくこれから変更する予定はなし。以前、どこかのサイトで自らのデスクトップの画像を見せあうというものがあった。そこには(当然といえば当然かもしれないが)変な画像を使っていたり、えっと思ってしまうようなテーマだったりで面白かった。英語のサイトだったけれどどこなんだろう。ちなみにXPではストーンヘンジを設定している。

今聴いているのは、ラヴェル [弦楽四重奏]
暖かい季節は風呂上りでも寒くないので柔軟体操をするようにしている。するといつのまにか前屈の限界が伸びているではないか。これは間接の可動域が広がったのか、それとも暖かいので筋がこわばっていないからだろうか。
夏になると当然、自分の足の指を見る機会が多い。ゾウリを履くし靴下をはかない事もあるから。足の指の長さによって型が分かれる。足の人差し指よりも親指の方が長いのがエジプト型。日本人に一番多い型である。人差し指よりも親指が短いのがギリシア型。僕はこの型。欧米人にもっとも多い型で足の指が緩やかなアーチを描いている。欧米で発達した靴がギリシア型向けに作られているのはこのため。だから日本人と靴の相性はあまりよくないと言われている。
相性が良くないといえば無印のビーチサンダルとは相性が悪い。シリコンの鼻緒と足の甲がすれて靴擦れになってしまう。ビーサンで気軽に散歩を!と思っていると道半ばでこの問題に気がつき、足をいたわりながら帰る羽目になってしまう。
しかし靴擦れとはよーく考えると結構すごいことが起こっている。皮膚が靴によって剥ぎ取られたり擦り剥けたりするわけだ。すりむけた皮膚の破片はいったいどこへ行くのだろう。なんだか考えたら余計に痛くなってしまった。左右の足には微妙にかさぶたになった元靴擦れがあるから。
今聴いているのは、Cyndi Lauper [The Goonies 'R' Good Enough]
当然ながらGood Enoughという歌詞をグーニーズだと思っていた。なんとなくわざとらしい韻を踏んでると思うのだけれど。
みそ汁の具の好みというのは非常に個人的問題であると思う。味噌の種類は食べなれている味を好む傾向にあると思うけれど具に関してはいろいろな意見があっておもしろい。僕の場合は味噌は大豆味噌が好き。いわゆる信州の田舎味噌というのだろうか。大豆に米麹で作られて麦は入っていない。日本海側の米味噌もおいしいと思うけれど、あの豆のかすかな風味と甘味がおいしい。
ありとあらゆるものが具としてみそ汁に入れることができる。海、山、畑なんでもおいしい。けれど肉は具にならないかな。魚のみそ汁ってあまりないし、鳥豚牛のみそ汁は聞いたことがない。メインの料理ではないからこのような発達をしたのかもしれない。さて思いつく具を「とてもおいしい-好き」、「おいしい-まあまあ好き」、「ふつう-嫌いではない」と3つのグループに分けてみる。
「とてもおいしい-好き」
サツマイモ、豆腐、ナメコ、ワカメ、ダイコン、アサリ、サトイモ、ハクサイ、
「おいしい-まあまあ好き」
ナス、シジミ、油揚げ、麩、キャベツ、トウガン
「ふつう-嫌いではない」
ジャガイモ、タマネギ、エノキタケ、ホウレンソウ
さらにみそ汁の具は組み合わせることもできるので膨大なレパートリーと膨大なランキングができあがるのだが、一番好きなのは豆腐とナメコの組合わせである。また、ナスやトウガンのみそ汁は冷えた方がおいしい。さてあなたはどんなみそ汁が好きですか?
今聴いているのは、Mr.Children [名もなき詩]
「ちょっとぐらいの汚れ物ならば、残さずに全部食べてやる・・・」今更ですがミスチルブームです。
紅葉(もみじ)というと秋の紅葉(こうよう)がつとに有名だけれども、夏の紅葉(もみじ)の美しさは特筆すべきものである。夏の紅葉(もみじ)はなぜ美しいのか。夏の紅葉(もみじ)はどこが美しいのか。
楓の樹形はすらりとしていて、枝が多いけれども細いので華奢な印象がある。樹皮の色も淡いのでよりいっそう柔らかな感じがする。それに加えてあの葉色。緑茶のような涼しさをもった緑とあの形。葉っぱは5枚に分岐しており、薄いので光に透ける葉脈が見える。楓の葉の広げ方はきわめて特徴的で、隣の葉との重なり合いが最小となるように、上下の葉の重なりも最小となるように効率よく広がっている。木の下から見ると、柔らかな緑のドームのように見えるのが気持ちよい。
葉が風にそよぎ、葉と葉から見える空の形も絶え間なく変化する。もしかしたら楓の見頃は秋ではなくて夏なのかもしれない。多くの人が紅葉(もみじ)だ紅葉(こうよう)だと騒ぐ前の静かな時期に、楓を愛でるのは悪くない。
今聞いているのは、ドビュッシー [版画より 塔]
演奏は小川典子。ドビュッシーのCDでは初めて日本人の演奏を聴く。うん、音の粒がそろっているのは評価できるが、音の響きという点ではもう少し。以前よく聞いていたパスカル ロジェは音の粒より響き重視の演奏だった。音の響きには柔らかいという観点があり、それと音の粒という反対の要素の両立が難しいところなのだが・・・
3つの歯ブラシを見た人はその人間関係に思いを馳せてしまうようだけれども、間違いなく1人で3本の歯ブラシを使っている。1つはごく普通の歯ブラシ。1つは毛先が細いもの、もう1つは奥歯用(本当はインプラント用)のとてもコンパクトな歯ブラシ。気分や歯磨きにかけられる時間によって使い分けている。
個人的に気に入っているのは小さな奥歯磨き。奥歯の裏や親知らずの周りはフロスでもうまく掃除できないのだけれどこれを使えばかなりすっきりとする。ただしインプラント用で毛が硬いのが使い心地を悪くしている。もう少しやわらかい毛ならばもっと気持ちよいだろう。この歯ブラシは歯医者が口腔内を見るときに使う小さな鏡のようにネックに角度がついているのがいい。鏡の前に座って自分の歯を見ながら歯磨きをするとどこにブラシが届いていないかよく分かって楽しい。これは歯医者で経験して知った方法なのだけれど家でやるとヨダレがダラダラなって難儀してしまう。
最近の電動歯ブラシはかなり評判がいいので気になるのだけれど、自分でブラシを動かす楽しみというものを僕は感じている。
今聞いているのは、磯村由紀子 [風の住む街]
胡弓(もしかしたら二胡かな)とピアノのゆったりとした曲。太極拳でもやってみようかしらん。本場中国の本をもっていることだし。
どうやら今日は満月。もう少しで南中かな。空はやや霞んでいるのでそれが満月の明るすぎる光を減らしてやわらかい表情を見せている。満月というと明るすぎて平面的に見えてしまうのだけれど今夜の月はそんな感じがしない。シャープな光が好きだけれどこんな夜もいいね。
好きな月にはいくつかパターンがある。一番すきなのは細い月。新月を迎えて3日後くらい。太陽が沈んだ西の空にやっと確認できる月とぼんやりと見える月の影の部分を見るのは確実に楽しみである。もうひとつ好きなのはうす曇を通してみる月。太陽は明るすぎるので雲があっても空は明るい。月だと雲の加減で真っ暗にもなるし、いきなり光が復活したりと変化が大きい。流れ行く雲の形もよく見えるしね。
月はなんだか人気の無い場所で見たいもの。
今聞いているのは、奥田 民生 [ION]
楽器屋でギターの試し弾きをしている人がいて、その曲が民生の曲だった。多分たったった。騒音の多い空間でいきなり耳に入ってきた音が知っている音だったのでなんだかうれしくなった。
さいほさいとに一生残る傷について書かれていた。彼女の場合、右手の甲にあるのだと。確かに誰にでもこの一生傷というものはあるだろう。少なくとも小学校中学年になるまでにはできるのかも知れない。今思えば何とも危ない遊びをたくさんしていたのだからあたりまえといえばあたりまえ。
僕の一生傷は3箇所。1つは右手の親指の付け根。3mm程度の小さな傷なのだけれどあの日のことは今でも覚えている。山の傾斜を利用して長いスベリ台のある公園だった。幅が5mくらいあって長い綱も垂れ下がっているスベリ台。僕は滑り降りている途中にその綱に触れてしまった。触れた個所は摩擦で肉がわずかに削られてしまい傷になった。手が痛いけれど特に血は出ていなかったので気が付かなかった。うっすらと体液がにじみ出ているのを発見したときには驚いた。そしてかさぶたができた後も傷跡は残ってしまった。この時、また手の右左をあやふやに覚えていたので傷がある方が右!と覚えるにも役に立ったものだった。
残りの2つの傷は左ひざにある鉛筆を刺したためにできたホクロのようなものと、兄弟げんかでできたほっぺたにある引っかき傷。引っかき傷はかさぶた状態で何度もはがしたので残ってしまったのではないかと思う。当時はラップ療法なんてなかったからなあ。思うに鉛筆ホクロを持っている人は意外と多いのではないだろうか。
最近、筋肉痛はあるけれど傷を作ることはめっきり少ないな。
今聞いているのは、フランク [交響曲 ニ短調]
なつかしのD Minor。モントゥー シカゴ交響楽団の演奏。聞きなれているのはカラヤンなんだけれどこちらの方がちょっとテンポが速い。しかしこの曲、地味だけれどいいんだよな。循環形式って言葉が懐かしい。
初めからネタばらしをするつもりはないのだが今回の話、くさやのひものを食べたというものではない。数々のエッセーでくさやのひものについて書かれているのを読んだ。小泉武夫もくさやのうまさに言及している。どうやらくさやはうまいもののようだ。しかしくさやを有名たらしめているのはその味ではなく、匂い。くさや独特の匂いはしばしばウンコの匂いだと形容される。なんとなく想像できる匂いであるけれどしっかりと分別をつけておかなければならない。
くさやの匂いはウンコのような腐敗臭ではなくてウンコのような発酵臭なのだと予想している。ある種のチーズ、ある種の塩辛などにはこの多少なりとも同じようなウンコ系発酵臭が含まれているので匂いが想像できるのだが、これは食べてうまいと予想させる匂いだと思う。もちろん受け入れられるかには個人差があるだろうけれど。
まだ食べず嗅がずのくさやはいったいどのようなものなのだろう。そうそう遭遇する機会もなかろうが、そのいつかをひっそりと楽しみにしているのである。しかし匂いと記憶は時間を超えて強く結びついてしまうので悲惨な経験にならないことを祈りつつ・・・
今聴いているのは、the Beatles [Lovely Rita]
リタとは確か婦警の名前。ポールが駐禁で罰金をくらったときの警察官だったという話です。
だまされていたというよりは知らなかっただけなのだけれど。ホールトマトの缶詰からトマトソースを作るのはお手の物となって久しい。作り慣れたというよりは簡単すぎるので失敗することはありえない。ホールトマトは大抵イタリアからの輸入品であり細長い形のトマトがラベルに描かれてることがある。そう、この細長いトマトこそが加工用トマトとして名高いサンマルツァーノ種なのである、と思っていた。ラベルにはトマト水煮と書いてあり固形分の分量と酸化防止剤として添加されているクエン酸、トマトジュースで原料の全て。さらにイタリア語で書かれているが日本語に訳されていない部分をなんとなく眺めていると「Tipo Sanmarzano」という文字を発見した。「Tipo サンマルツァーノ」だというのはすぐわかったがTipoとは何ぞや。
Tipoとは英語で言えばTypeである。そう、サンマルツァーノタイプのトマトを使っているのであって決してサンマルツァーノではない。サンマルツァーノはイタリアでも希少種となっているよう。そうなのか貴重品かと思っていたら最近、輸入食材店でサンマルツァーノのホール缶をついに見つけた。値段は210円なので倍はするけれどそれほど高いというわけではない。今度味を試してみなければ。
しかし日本のファースト系のトマトでトマトソースを作ってもかなりおいしい。これはもうできたての味というか家庭の味の勝利というかほんと煮詰めたトマトと塩、オリーブオイルだけでシンプルでおいしいポモドーロのできあがり。トマトが安くなってきたのでこれを試す価値は十分にありますよ。さて缶詰のサンマルツァーノはフレッシュトマトを越えることができるのだろうか。
今聴いているのは、アンセルメ スイス・ロマンド管弦楽団 ラヴェル[クープランの墓]
演奏にムラがあるのか、それとも盤によって演奏の質が異なるのかアンセルメのラヴェルは結構評価が分かれている。この曲は前奏曲の出だしのオーボエがいまいちで残念。亡き王女の為のパヴァーヌはなかなかよかった。1960年、1961年の録音です。
今、ゲルト ギーゲンレンツァー「数学に弱いあなたの驚くほど危険な生活」という本を読んでいる。副題は「病院や裁判で統計にだまされないために」とある。統計を少しでも学んだことがあるならば、公平な数字、誤解の少ない数字を求めることは意外と面倒で世間には怪しげな統計結果にあふれていることにすぐに気がつくのだがやはり具体的に説明されるとさらに納得する。この世は怪しげな数字に満ちている。
今読んでいるのは前半部分で医療分野の統計では乳がん検診に焦点をあてている。ドイツで乳がんの集団検診が始まったのだが統計学上ではその意味はかなり限定されている。乳がん検診を受けてメリットがあると言い切れるのはつまり50歳を超えてから。40代、さらに30代での検診ではメリットは薄く相対的にデメリットが増えてしまう。ある調査では40代で乳がんの集団検診を受けた人の乳がんによる死亡数は1000人に3人で受けない場合では1000人に4人。たった1人しか差がない。一方でデメリットとしては非進行性のガンが発見され外科手術によって摘出されてしまうこと。乳がんは非進行性の割合が40%程度と多いので、乳房を欠損してしまうことの精神的ダメージを考えるとデメリットはなかなか大きい。自分の体の一部が欠損したところを想像してみたけれどやはり想像できなかった。
乳がんに関して引用すると「最近、コンセンサスを得て出された国立衛生研究所の声明は、「現在までに入手できたデータからは、40代女性に乳房X線検査による一斉検診を勧めるべきだという結論は出ていない。女性はそれぞれが自分で、乳房X線検査を受けるかどうかを決めるべきである。」(p82より引用)となっている。およそ日本では聞かれることのないような声明なのだが厳格に数字に答えを求めればこうなるのだろう。早期発見早期治療がガン治療の基本なのはわかるけれど、検診の結果に有意な差がでるのが女性の場合50代からということは覚えておいて損はなさそうだ。ちなみに男性の乳がんの罹患率は乳がん患者の2%程度。
さて裁判所では何にだまされているのだろう。証拠の確定に関してかな?
今聴いているのは、the Beatles [Anna]
iTunesのパーティーシャッフルを始めて使っている。持っている音楽ファイルのジャンルが多いのでこの機能を使ったことはなかった。ロック→クラッシック→落語という風になるのは嫌だから。しかしプレイリストを作って使えば結構いいかも。ちなみに次の曲はSea Of Monstersとある。
「『アイデア・ブック スウェーデン式』フレドリック・ヘレーン ダイヤモンド社 2005/03/11」。この本の著者はスウェーデン人で本の内容は自己啓発という言葉がぴったりくるのだと思う。発想の転換のヒントが書かれている。題名にスウェーデン式という言葉がついているけれども、この発想方法がスウェーデン独自のものというわけではなく、著者がスウェーデン人だからというのが理由なようだ。その意味では少々惑わされる題名である。
「レンガの使い道を50通り考えてください」、「毎朝同じように行っている事に関して10通りの別のやりかたを考えてください」という挑戦系の内容もあれば「アイディアは非常に弱い。無関心な視線や冷笑、咳払いによって殺される」というちょっとおもしろい文もあれば「思いついたアイディアのうち始めの5個は確実に誰かも考えている」というようなどこかで聞いたことのある内容もちらほら。合計で30の項目があり、気分転換やネタとして読んだらおもしろいけれど本気でアイディアを求めるのはどうかと思う。個人的に自己啓発に対するスタンスはその程度なので一般的な評価よりはかなり辛口になってしまったけれど。
正方形の変形版でイラストもおしゃれな感じがした。字とイラストがかぶった箇所は少し読みにくかったけれども。まあ図書館で借りるのならばお薦めできます、という程度かな。
今聴いているのは、Colin Chin [Alluvial Plains]
いつも思うのだけれどテニスとバレーは女子の方がおもしろい。男子になると筋力のせいで球がはやすぎて人間の動きをはるかに越えている。テニスならばサービスエースが決まりやすいし、バレーではアタックを返すことが非常に難しくなる。その点女子は球の速度が下がるけど反応速度は十分に高いので見ていておもしろ。
というわけでウィンブルドンの女子シングルス決勝が始まった。シャラポワが決勝までくると思いきやダベンポートとV ウィリアムスではないか。うれしい。なぜならばダベンポートが好きだから。彼女はナブラチロワやセレシュ、グラフの時代から中堅(以上)の選手として活躍していた。あの頃はドシドシと走る姿とバテル後半戦が多かったのだが、今では細かいステップを小気味良く刻むし、あれでなかなかテクニシャン。
さあダベンポートよ、シャラポワに続くブームを起しておくれ!
今聴いているのは、ドビュッシー [バイオリンソナタ]
ドビュッシーの室内楽では1番好きな曲かもしれない。特に最終楽章が好きだ。哀しげながら生き生きとしているのがたまりません。
やっと梅雨らしい雨が降る日々となった。前半は空梅雨でダムの貯水率の低下に伴い取水制限が行われた土地も結構あるようだ。この雨で少しは持ちなおすだろうか。さて、好きな雨の季節がやってきたのを祝して、「雨の日に聴くとより気分のよい曲」を思い出してみた。
クロード ドビュッシー「沈める寺 (前奏曲集より)」
夜の雨といったらこの曲で決まり。雨の音と和音が快く響く曲である。
モーリス ラヴェル「前奏曲 (クープランの墓より)」
もちろんピアノ版。雨とピアノは相性がいいね。この曲は雨の粒に反応するような曲だ。
the Beatles「Rain」
雨降り、そんなの気にしない。晴れの日、それは天気がいいってこと。
Stina Nordenstam「And she closed her eyes」
この曲は雨の音がフェードアウトして終わる。
Cinnamon「The man on your street」
マリンバの柔らかい響きは、雨粒が体にあたった感触に似ている。
奥田民生「674」
雨の日はこんな短い曲がいい。曲が終わった後に雨音に耳をすませるのだから。
さて明日の天気はどうだろう?
初めて、ほんとに初めてJanis Joplinの曲を聴いた。うーんこれはシビレル。こんな歌を歌う人を知らなかったなんて損していた。しばらくはジャニスのシャウトにしびれているとしよう。
今聴いているのは、ジャニス ジョップリン [Ball and Chain]
ちょっとしゃがれた声と独特のビブラートがいい!今なお色あせない1980年代の音楽です。
かなり昔に手帳から抜いたメモ欄には本がリストアップされていた。これは高校卒業後から大学在学中におもしろそうだから是非読んでみようとおもってメモしていたもの。
「サブリミナルマインド」 下條 信輔
「脳のデザイン」 篠田 滋
「大杉栄自由への疾走」 鎌田 慧
「女性と出生前検査」 C ローゼンバーグ、E トムソン
「家族起源 -父性の登場」 山極 寿一
「最後のストライク」 津田 晃代
「心に野生を」 リック バス
「失われた黄金都市」 マイケル クライトン
「湖底の家」 ステュアート ウッズ
「土は呼吸する」 薄井 清
「不思議の国アメリカ」 松尾 武之
「夜の果ての旅」 セリーヌ
どれも雑誌や書評で知ったもの。「夜の果ての旅」は一度手にとったけれどあえなく挫折した記憶がある。こうしてみてみるとジャンルのバラバラ具合がいい感じ。しかし大杉栄と鎌田慧の組み合わせなんてどこで知ったのだろか。我ながら疑問である。「女性と出生前検査」は読んだような気がするけれど、ナチスドイツについて書かれていたのは別の本だったかもしれない。
この中で実は「心に野生を」に期待している。たぶんアメリカの小説だと思う。この本に関する情報はそれしか覚えておらず、フィクションなのかホラーなのかサスペンスなのかも分からない。こういう感覚で本を手に取れる機会はそう多くないからうれしい。
今聴いているのは、ブラームス [ヴァイオリンソナタ 第1番]
実は聴きたいと思っていたのはブラームスのピアノトリオだった。ヴァイオリンソナタはヴァイオリンとピアノの2重奏でチェロが入るとトリオになる。やっぱチェロが入った方が複雑で好きなんだよな。ヴァイオリンソナタもいい曲だけれどやっぱりピアノトリオが聴きたい。
電気をつけずに風呂に入るということをたまにする。光りというものは結構強力で隙間から漏れる光だけで不便は無い。特にシャワーならば目をつぶっていても浴びられるほど単純な行為なのだし。
気温のせいなのか夏の夜は冬の夜よりもずっとフレンドリー。夜風に身を任せて涼をとるのはとても気持ちのよいもの。冬に夜、家の外に出るときにはしっかり着込んだりと用意が必要だし、夜の空気と戯れるという感じではなく強すぎる(寒すぎる)空気の雰囲気を感じるといったところである。個人的には冬の夜の方が好きなのだが。
夜の闇に夜の雨という組み合わせが待ち遠しいのだが空梅雨みたい。
今聴いているのは、ラフマニノフ [ヴォカリーズ]
ヴォカリーズとは曲名だけれどは本来の意味は母音で歌うという歌唱法。オーケストラ版もあるけれど当然声楽版の方が素敵です。
夜寝る時に窓を開けておくのが好き。冷たい空気を部屋の中に入れつつ布団をかぶって寝るのがイイ!夜の静かな雰囲気を伴った空気が顔に触れる感触が好きなのだ。夜の、平和さを、可能性を感じることができるから。そのため高原の夜はもう最高。
ただし朝は気温がだいぶ下がるし布団を蹴っ飛ばして喉が痛くなることもしばしば。快楽をとるか、身の安全をとるかはたいていの時には裏表である。それにしても夜の風はなんでこんなに気持ちのよいものだろう。日の出直後の動き始めた大気はなんだかドキドキさせられるものがあるのだけれど。
今聴いているのは、Art Of Noise [Robinson Crusoe]
「例えばあなたと私。それは永遠の目的地なのかもしれません。でもこの星を包む風のように、ウイークエンドの夜は静かに2人の中を飛びつづけています。ジェットストリーム、ミッドナイトオデッセイ。スクリプト、原田宗典お相手は、城達也。この番組は日本航空がお送りしました。」
つい最近まで鉄塔というとせっかくの美しい山際を汚くする邪魔なものという考えしかなかったのだけれどもこれがなかなか楽しい面もあることを発見した。
鉄塔を観測するには高速道路が一番。車の移動速度は程ほどだし、高速道路が山の中を走っている時には鉄塔が良く見えるから。鉄塔には設置場所と用途によって様々な形があるのでそれを見ているとおもしろい。送電線の向きを変える為の鉄塔、持ち上げ高さを稼ぐ為の鉄塔、そして忘れてはならないのが鉄塔についている碍子。この絶縁体によって鉄塔と送電線が電気的に分離されているわけだ。
碍子を見ると同じパーツが7個位で構成されており送電線の高圧ぶりと安全係数の高さが想像できるので好奇心をくすぐられる。
PCの後ろ側の配線をいじっていた時にPC本体ケースに触れる頬にチクチクと痛みが走った。金属面に小さな突起でもあるのかと思い指でさわってみてもいたって滑らか。どうやら漏電しているようだ。指では感じない、頬でしか感じない漏電。電源ケーブルにアースがついていないので本体を止めるネジにアースを付けて対策完了。アースをつけるときに指に電流が流れてピリッとしてしまった。
鉄塔サイト
「そこに鉄塔がある」こちらは「みそがいのこれはこれは」のコンテンツ。
「碍子、ファインセラミック、建材」これは「香蘭社」のサイトから。碍子もセラミックも磁器なんですよね。
「鉄塔・結構・小結党」こちらは「フルタニアン宮殿」より。鉄塔のバリエーションをお楽しみあれ。
今聴いているのは、Dreams Come True [きづいてよ]
かつてウォークマンでドリカムを聴いていたら廊下ですれ違った知り合いの女性に「今ドリカム聴いています?」って言われて恥ずかしかった。その時はなんだか男が大きな音で聴いているということが恥ずかしかったんだな。
久しぶりに板チョコを食べた。ロッテのガーナミルク。昔に比べてチョコの繊細な味というものを意識できるようになった。気温が上がってくるとチョコレートをどこに保存するかは迷うところ。もうすでに常温では溶け始めてしまうので冷蔵庫で保存するのが好ましいけれども、冷えたチョコのあの固さは好きではない。なんというかガラスの破片のように思えてしまう。割れた時の小片はまさにガラスそっくりだと思いません?
チョコは溶ける時の味こそ醍醐味だと思うので冷えたチョコが溶け始めるまでの短いあいだももどかしい。かといって溶けてしまったチョコをスプーンで食べてもまろやかさは味わえないだろう。板チョコならば歯ごたえも欲しいところ。チョコレートの融点は一般的に28℃前後と言われている。銀紙をはがした時にチョコがベットリ、というものだけは食べたくありません。
今聴いているのは、ラフマニノフ [交響曲第2番]
ゲルギエフ指揮、キーロフ歌劇場管弦楽団のコンビ。これはすごい。何がすごいって金管の厚みと響きの豊かさが特徴だろう。初めて買ったラフ2のCDが変態の誉れ高きビシュコフだったのでやっとまともな演奏を入手できたかな。
缶コーヒーはまずいものと考えているのであまり買うことはないのだが久しぶりに自動販売機で購入。ダイドーの「デミタスブラック」を選択。結論を急ぐと想像していたよりもはるかにおいしく驚いてしまった。ただし冷たいものを買ったので温かいものを飲むとまた別の印象だろう。
缶をもってすぐになんか小さいな、と思ったのだが容量は120(単位はグラムかな)。小さい缶は180mlだと思っていたのでさらに一回りというか1/3も小さかったわけで驚いた。しかもこのベンダーはお金を入れると「まいど」といい、購入すると「おおきに」と言うのである。どんな意思決定経路を経てこのベンダーが生まれたか興味がわくのだが、それは奇妙なものに対する好奇心である。
缶飲料といえば昔は240mlが主流であり、350mlは少数だった。それこそダイドーなど2流メーカーの増量作戦という印象だった。しかし現在では多くのコーヒー類は180ml、安いコーヒーが240ml、普通のジュースは350mlの缶が多い。コーラなど240mlで充分なのだけれどね。しかもコンビにいたってはペットボトルばかり・・・。アメリカのマクドナルドのLサイズを笑っていられるのも今のうちかもしれない。
今聞いているのは、ラヴェル [フォーレの名による子守唄]
子守唄を聴いて眠気に襲われることはほとんどない。むしろ目が覚めてしまう。なぜか知らないが。しかしこの曲はいい曲だ。Vnにミュートがついていていい音である。
珍しく爪が伸びてしまった。楽器を習ったときから爪を短くする習慣がついてしまい、料理も好きなので爪は常に短め。普通の人にすればちょっと伸びたくらいなのかもしれないが、個人的には限界を超えて数日経ってしまった感じ。そして足の爪も伸びている。靴下に穴を開ける前に短くした。
以前、左足の親指に物を落としてしまった。そのときは非常に痛かったので曲がった爪が生えてくるのかと思っていたら血のような筋が入った爪が生えてきた。今回の爪きりでその血の色部分を切断したので断面を見てみると爪の表面にのみ色がついていた。
長いと割れるし剥がれるし痛い爪なので長くしている人を見るたびにその苦労を考えてしまう。爪の役割というと指先を保護することが一番に思い浮かぶけれど物を持ったりつまんだり押したりするときにも重要な役割を担っているようだ。服のボタンを掛けたり紐を縛ったり細かい動作には爪が必要なのかもしれない。指で物を押せばわかるのだが爪にはけっこう力がかかっている。そのおかげで指先が器用に動くようになったのかも、と空想してしまった爪切りタイムでした。
爪を切る感覚は短くなったけれど、ヤスリを使うことをしなくなった。
今聞いているのは、MOMUS [Closer to you]
久しぶりにMOMUSを聴いた。ただいまCDケースを捨てているので古いCDを発掘中に聴きたくなるのである。このCDを買った頃は洋楽への探究心が一番強かった頃。ちょっと懐かしい気持ちもよみがえってきた。
幼少の頃に見た印象的なテレビ番組と言えばトムとジェリーである。意味もわからず「Tom & Jerry show!」とヒアリングしていた。ちょっと切ない音楽と温かいナレーション、今見てもおもしろいと思うだろう。
僕はトムが好きなのでいつも憎たらしいジェリーに負けて残念に思っていた。たとえトムがジェリーを食べても昼寝をしているすきにまぶたを上げて出てきたりする。数少ないトムの勝利ほど胸のすくものはなかった。トムとジェリーが使ういたずらにもいくつかバリエーションがあってなかでも好きなのはマットペイントを使ったもの。ジェリーをはめようと崖へと続く道に板を置き、その板に道が続いているかのごとく絵を書く。ジェリーは絵の中の道へと進めるのだがトムは板を突き破って崖の下へまっさかさま!このときに不条理という言葉を学んだのかもしれない・・・
トムとジェリーのエンディングには歌があってこれまた大好きだった。「トムとジェリー、仲良くけんかしな・・・」ではじまるあの歌。当時は画面に表示される字というよりは耳に入ってくる言葉で歌詞を覚えていたので僕は「ネズミだって電気桃さ、ネコだって電気桃さ」だと思っていた。大学生のときに家へ帰る坂道を登りながらふとこの歌を思い出して歌ったときに「電気桃ってなに?」と疑問に思った。すぐにん「ネズミだって生き物さ、ネコだって生き物さ」だとわかったのだが何かの拍子に覚えたものが訂正もされずにいるというのはなかなか恐ろしいものだと思った。
今聞いているのは、アンテナ [アクエリアス]
トムがMGMのライオンの真似をしているのも好きだった。
2005年2月28日のエントリ「痛いのです」で紹介したラップ療法を実験する機会に恵まれた。小さな傷ができたのは左手の親指の付け根あたり。切り傷ではなくて肉が薄く剥がれた傷。近くに絆創膏が無かったので血を抑えるためにサージカルテープを巻いていたんだけれど、ラップ療法を思い出したので治療方針変更。小さく切ったラップを傷に貼り付けその上からサージカルテープで止めた。
2日目になると黄色い液体が結構出てくる。今まではこの液体をふき取り傷を乾かすようにしていたのだけれど、ラップ療法ではこの液体が治癒の速度を速めるので重要なもの。ちゃんとした医療品ならば数日間貼ったままにできるらしいけれど、所詮はサージカルテープ。毎日風呂上りに取り替えた。黄色い液はなんというかちょっとくさいのだが膿とは違うし、腫れや痛みは特別無い。そして驚くべきことに毎夜傷をチェックすると自分が今まで認識した速度よりも明らかに早く傷が治っている。傷の表面は固まらないけれど、新しい細胞によってけずられた部分が作られているのが良くわかる。そして現在、カサブタになることなく以前と皺が変わることなく治ってしまった。さすがに表皮は再生していないけれど、あのうっとうしくてはがしたくなるカサブタ状態を経ずして治るのは自分の体でも驚きだった。これはかなりいいかも!自己責任でお試しあれ!
今聞いているのは、Stina Nordenstam [And She Closed Her Eyes]
彼女は目を閉じて、そして言った・・・
寝る前に夜警と称してテレビのチャンネルを一通りチェックしてみると、なぜかNHKの高校講座が放送されている。そしてこれが面白い。一番面白いのは数学で、学生時代には暗記で覚えたことにいちいちもっともな理論があって面白い。勉強しているときには解答への最短距離として暗記に頼っていたが、定理や公式の意味を理解するのは時間がかかるものの真理に触れた感触がする。
数日前に見たのは地理の講座で先生役が「日本の東にある国は?」という質問を出した。アシスタントは「アメリカ!」と答えたのだが正解は「ブラジル」。ええ、南半球の国がなんで東?と思った。しかし地球儀と三角定規を使って、日本から北へ定規をあわせると東(南北を結ぶ線と直行する)にはブラジルがある。普段目にする地図は断然メルカトル図法。平面の地図と球体の地球ではずれるのが当然なのに、あまりにもメルカトル図法に慣れてしまって、距離や位置関係をずれて覚えてしまっている。アメリカは日本と同緯度にある国とは言えるが、日本の東にある国ではないであった。正距方位図法をみていると球体から平面への変換は難しいのだとよくわかる。こんなときには地球儀を眺めてみると疑問は消えて新たな発見がありますね。
今聴いているのは、Dreams come true [きづいてよ]
ドリカムの曲の歌詞はなかなか難解である。設定が難しいし状況も複雑だ。「ほほの内側噛んでもすぐ唇に」の後に省略されているのはなんだろう。唇にうれしさが現れてしまうのだろうか。どうやら会いたくない人が好きなのだろうか。
レッサーパンダが直立保持姿勢をとっているのが話題となっている。確かに直立姿は美しいのだけれどレッサーパンダは周囲の様子を見るために直立することがあるらしい。どうやらこのレッサーパンダで珍しいのは「直立する」ではなく「美しい立ち姿」のようだ。
植物と会話する装置というものが夜のニュースで放送されていた。植物に電極を取り付けて電流の変化で感情を読み取り、文字に変換する装置だったのだがこれはどうみてもお笑いネタ(大学の教授で研究自体はまじめそうだったけど)だと思う。だって人間が植物を触ったときに表示されたのは「気持ちい」、「さわってくれてありがとう」、「もっと触って」という文字。植物は動物に触られてうれしいのだろうか?どちらかといえばストレスになると思う。所詮はバウリンガルの植物版というかんじで遊びなのだろう。
さて最近気になるのが「過擬人化」。なんでもかんでも人間並みの感情や行動をとっているかのごとく表現されているのに少々違和感を持ってしまう。擬人化はわかりやすいのだけれど、ほんとにそんなに単純なんかと疑問しかり。ペットの擬人化も甚だしいしのも気になる。
今聞いているのは、ヴォーン ウィリアムス [序曲 すずめばち]
この曲、なんか好き。テンションがあがるというか、美しいものは美しいというか単純に好きといえる曲です。
長袖のシャツを着ていて暑く感じたり、水仕事をしているときには袖をたくし上げる。その時に左腕は肘付近までたくしあがるのに、右手は前腕半ばまでしかあがらない。利き腕である右手の方が太いのは、自分の手で握ってみるとよくわかる。シンメトリーなようで実はアシンメトリーなのが人間(あるいは生物の)の体ではないだろうか。
ボールを蹴る足を利き足という。多くの人は右足。確かにボールを蹴るのは利き足の方が断然うまくいく。けれど体重を乗せてバランスをとるならばそれは左足の方がずっと得意。左眼と右眼では物の見え方は違うし、硬い物を噛む時に使う奥歯は決まっているような気がする。
ときどき、極めてゆっくり歩くという遊びをする。一歩に5秒くらいかけるのだが、人間の体はどうしてとても複雑な動きをしているがわかっておもしろい。
今聴いているのは、ドビュッシー [ノクターン]
この曲は合唱付き。歌ではなくてアアーと声のみ。これがまた月夜にあうんだな。今日の月は半月をすこし過ぎていた。
今読んでいるジャレド ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」はおもしろい。雑学系論文かと思いきやかなり細かい事例まで丁寧に書かれている。この本の中に伝播の速度について書いてあった。文字、技術、生活様式、植物などが伝播するときにかかる時間。植物に関しては気候帯が似ている東西方向への伝播は南北方向よりも早い。なるほどなるほど。
もう1つ気になったのはいかにして栽培植物になったかということ。小麦などは野生種でもそこそこ栽培価値があったようだけれど、トウモロコシが現在の大きさになったのは選択と交配と長い時間の賜物なのだと。
さて、日本人の主食といえば米。イネはインド、中国の雲南省あたりが原産といわれている。水辺に育つことからもわかるように温帯や亜熱帯が好きな植物。しかし、日本で米所といわれるのは新潟や秋田であって残念ながら兵庫や滋賀ではない。米もまた人間による品種改良によって収穫量を増やし、なおかつ低温でも育つようになった。米の生産量が1位は北海道で2位は新潟、3位は秋田。今では米は涼しい地方の作物となっているようだ。
北海道と東北地方で稲作が盛んな理由はいくつかある。前提となっているのはこれらの地域で栽培できるイネの品種が開発されたこと。東北地方といえば昔は貧しく、白米は簡単には食べられない地域だった。また豪雪地帯であるために夏場でも水が豊富で、夏場に日中と夜間の気温差が大きいことがイネの生長に良く収穫量を増やしている。また、これらの地域では米の生産が農業経営の安定化に有効であるのも重要な要因。
以前、イネの品種の本をチラリと読んだのだがかなりおもしろかった。その品種の特徴が書かれているのだが、まさに品種改良の遍歴を見るようであった。
「収穫量を増やしたい - 大きく育つ稲は収量が多い - けれど台風で倒れやすい - 茎が太く背が低い方がいい - 収穫量は減らしたくない - 病気に強い方がよい - 害虫の被害を受けにくいほうがよい - おいしい方が絶対によい」とまあこんな感じ。このように労力と時間を注いだのはやはり米が主食だからだろう。
今聴いているのは、J.S.Bach [トッカータとフーガ]
自転車のペダルを換えただけでこんなにもフィーリングが変化するとは。出力が10%くらいアップした感じだ。今までのよりも太く、ちょっとだけ尖っている。そのために靴の裏にぴたりとくっつき滑ることがない。ペダルの面積が広いので力がスムーズに伝わる。今まで以上にスイスイ進むのが気持ちよい。
ペダルの交換には15mmのスパナが必要なのだが、持っていなかった。なので近くのダイソーへ。このダイソーはかなり広く日曜大工用品などもたくさん売っている。刃物は切れが悪いだろうけれど、ドライバーやスパナならば酷使しなければ普通に使える。ペダル交換用のスパナを105円で入手してさっそく交換をした。
ペダル交換の時に注意するのは右ペダルは普通ネジ。左ペダルは逆ネジが切ってあること。左ペダルは右に回転させると緩む。ペダルはかなり固く締め付けられているので、石などを使ってペダルを外す。こうすれば大した力を使わずに交換できます。プラスチックのペダルは滑りやすいので梅雨をむかえる前に交換してはいかが?そうそう、ペダルにはベアリングが使われているのでCURE556などの粘度の低い油を注油するのは厳禁。グリスが流れてしまいます。
呉に行く前に交換しておけばよかった・・・。呉への旅行の話はまた後日。
今聴いているのは、斎藤秀雄 桐朋学園オーケストラ [ブラームス 交響曲1番]
これぞ日本の誇る歴史的録音なのでは?弦セレや四季も入った3枚組はボリュームたっぷり。斎藤秀雄の声がかすかに録音されているような気がする。
ジャスミンの香りがいい香りだ。雨が降って湿度が高くなるとにおいもより濃く感じられる。湿気を含んだ空気は濃厚で甘い香りを届けてくれる。ジャスミンの香りで梅雨を思い出したけれど、まだまだ先の話だ。なぜ梅雨を思い浮かべたのだろう?と考えてみるとジャスミンの香りからクチナシの香りを連想したからだ。クチナシは梅雨の頃に咲き始めるからね。
ジャスミンの木(あるいは蔓か)は華奢である。葉も細く可憐な感じなのだが、花の数は多く香りも強いのでなんとなく「薄幸の美人」という言葉を思い浮かべる。この言葉、生きた言葉として使われたのを聞いたことがない。いつか自分が聞いたり使ったりすることがあるのだろうか。その時には思わず吹き出してしまうかもしれないな、語感がなんとも時代遅れな感じがして。
イラン人の友人の姪はヤースミンと言う名前で、これはもちろんジャスミンの意味。ジャスミンよりもヤースミンの方が、日本人にとって響きが美しく聞えることは偶然だけれどもよかったねとふと思った。
今聴いているのは、クープラン [王宮のコンセール集]
ラモーの曲は聴いたことがあったけれど、クープランは初めてだ。ヴァイオリン、オーボエ、リュート、フルート、クラヴザンという楽器の組み合わせから想像できる通りの曲。劇場ではなくて大きな部屋で演奏されたのだろうなあ。
寝る前にNHKをみていたら、小谷 美紗子のピアノ弾き語りライブを放送していた。まったく知らない人だったけれど、ちょっとなんだか気になる。半分眠りかけていたけれど起きて布団から出て電気をつけ名前をメモッておいた。「火の川」という歌がなんともパワフルでよかったのだ。
どれどれと思ってネットで調べてみるとレーベルのサイトで試聴できるではないか。うーん、火の川は1999年で3rdアルバムか。試聴してみて、amazonのレビューを読む限り良さそうなのはこのアルバムだけかな。アルバムごとに音楽性ががらっと変わっている感じがする。この変化に聴き手がついていけないときも多いと思うのだ。久々に気になる人を見つけた。まずは3rdアルバムをツタヤでチェックしてみよう。いかにもなさそうなんだけれど・・・
今試聴しているのは、小谷 美紗子 [火の川]
ストリーミングで聴けるのは便利である。クラッシックの場合は出だしの40秒は音量が小さくわけわからない場合が多いのだけれどね。そのままネットで注文も便利な世の中です。町の本屋が閉店するわけだ。
憲法記念日ということで色々と憲法に関するイベントもあったようだ。にわかに改憲論が現実味を帯びてきたこともあって興味をひかれた。それなので憲法に関してちょいとおさらい。自民党は憲法を丸ごと改正する立場。民主党は一部修正という感じか。社民・共産は改悪反対ということで現状維持。公明党は修整ではなく追加という意味で加憲。
現行の憲法と比べて変更点が多い順番は以下のとおりだろう。
「自民>民主>公明>社民・共産」
民主党の議員は「改憲は自民党と民主党の議員だけでできますから」と露骨に発言しているように、改憲が実現するにあたって最も重要なのは民主党と自民党がどこまで意見をすり合わせることができるかである。なので共産・社民に個人的な関心はなく、特に某女性党首の発言には驚かされることが多い。
自民党は草案を作ったりしていて頑張っている感じがするのだが、「公共の責務(義務)」を盛り込んでいるのには違和感を覚える。憲法は国家という権力が暴走しないための国家と国民との契約なのだから、国民側の義務まで扱う必要はないはず。しかも家族を扶養する義務や国防の義務なのだからいい子ちゃん国民でいなさいということか。
自衛隊が海外で活動することが事実上解禁とされている現状を考えるとやはり改憲は必要になるのだろう。戦争の契機となる交戦権を認めいている政党はないが、集団的自衛権を考える時にこの微妙な問題をどこまで明文化できるかこそが過去から何を学んだかということの証になるのだろう。
最後になってしまったが改憲議論の前に憲法改正を実現するプロセスが決まっていないのがまた問題。憲法には以下のように書かれている。
第9章 改正日本には国民投票という制度がないので、この実施方法を決めることから始まるのだろう。予想通り長い道のりのようだ。
〔憲法改正の発議、国民投票及び公布〕
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
国会図書館
日本国憲法
自民党
「憲法調査会」 インデックスページ。ほんとに草案でありここまでやれるのか?と思った。
「憲法調査会-論点整理」 ニュースではこの程度の事しか言っていないと思う。
民主党
「憲法提言中間報告-要約版」民主党と自民党ならばほんとに改憲ができるかもね。
公明党
「特集 憲法改正」 憲法改正に関してはもっとも影の薄い政党かも。
社民党
「憲法をめぐる議論についての論点整理」 自衛隊の海外活動が違憲というのは理解できるが、非軍事面だけの国際貢献か。
共産党
「憲法9条と日本のあり方」 9条改正が改悪だというのが共産党の主張。社民と共同戦線を張るのだろうか。
今聴いているのは、ドビュッシー [海]
ブーレーズ指揮、クリーブランド管弦楽団。この曲は素晴らしすぎる。ハイティンク-コンセルトヘボウ管弦楽団とクリヴィヌ-国立リヨン管弦楽団とこのブーレーズの3枚はとてもいい。個人的にはクリヴィヌ盤が一番だと思う。
寺はなんだか閉鎖的な気がするので神社の方が好きだ。寺は住居を兼ねているので境内が人の家の敷地という雰囲気が濃い。一方で神社は少なくとも家と神殿は別になっているし、入口も門ではなくて鳥居なので入りやすい。神社の方も境内は公共広場であるとの認識があるように思う。
というわけで神社があると思わず入ってしまう。鳥居を眺め(石材の継ぎ目がわかる)、狛犬の古さと風格を楽しみ、手水で穢れを落として本殿を除く。熱心な信徒ではないし、神道の神は寛容(な気がする)ので鈴を鳴らさなければ賽銭もあげない。あくまでも観察者の立場。
手水にも順序があってまず柄杓に水をすくい
1 左手を水ですすぎ清める
2 右手を水ですすぎ清める
3 左手に水をとり口を清める
4 再度左手を水ですすぎ清める
5 柄杓をたて、柄の部分を水で洗い流す
と行えば立派なもの。
仏教では線香をあげるように神道では玉串を捧げる。榊に紙垂がついたものだかそれにも作法がある。母の実家が神道なので榊を受け取って「の」の字を描いて捧げる、と子供の時からなんとなく聞いていた。しばらく前、祖母の葬儀がありいざ実践することとなった。親族だけでひっそりと儀式を行う直前に神主が玉串の捧げ方の説明を始めた。するとそのとき玄関に来客である。喪主は席を立てないし、周りを見る限り僕が一番下っ端の男だったのでこれぞ我が役目とばかりにお客を案内する。そして儀式の間に戻るとなんと、順番で玉串を捧げているではないか。神主の説明を聞きそびれてしまった。幼少の時に聞いた「ののじ」を思い出し、僕の前2人の行為をしっかりと覚える。
後で妹に「動きがぎこちなかったけれど間違っていなかった」といわれたのでホッとした。神は小さな試練を用意しておられたのであった。
「玉串奉奠」
今聴いているのは、ラヴェル [眠りの森の美女のためのパヴァーヌ 管弦楽版]
この曲を聴いていて木管楽器のアンサンブルについて考えた。OBとCLは音色や響きがよくあうのだが、Flはちょっと他の木管とは異質な音がする。Flの伴奏は高弦がよろしいようです。
ここに立方体がある。立方体だから3辺の長さがひとしい。簡単な説明をすればサイコロの形。この立方体の一辺を2rとすると、半径rの球は立方体にぴっちりと入る。各面とそれぞれ一点で接する状態となる。このとき、立方体の体積(V1)と球の体積(V2)は以下の式から求められる。
V1=2r*2r*2r
=8r3
V2=4/3*3*r3 (最近では円周率の近似値は3らしいのでそれを採用)
=4r3
となるわけです。このような立方体と球の体積の関係がこの程度とは感覚的には想像できなかった。四角い箱にピッタリ収まっているメロンは箱の半分の体積か。見た目よりも球の体積は小さいのがさすが。ふと球の体積を求める公式を思い出しただけなのだが思いもよらない発見があった。ちなみに月を見ていて球の体積のことを思い出しました。
今聴いているのは、Claude Debussy [Hommages a Rameau] from Images Premier Livre
今宵のラモー賛はワイゼンベルグの演奏。堅実な演奏でよいです。いい香りがする音楽だ。

平面と立体。xy軸とxyz軸。絵と彫刻。2次元と3次元の関係(正確ではないけど)。油彩画には厚みがあるから3次元かな。
この写真は広島市現代美術館の石段にあるオブジェ。石臼の中に金属のボールがあり中央に出ているのは噴水口。じわじわと水があふれており、なかなかいい感じである。このオブジェの写真を撮っていたら僕の頭は混乱してきた。なんだこの感覚は?と思いながら数枚撮ると理由がわかってきた。デジカメの液晶に表示されているのは2次元のオブジェでありちらちらと横目で見ていた実際のオブジェは3次元の像であったから。写真を見ればわかるように水面には木の影が映りこんでいる。これは水面で像を結んでいる。けれど実際のオブジェを見るときには水面ではなくて水の底のボールに焦点があってしまうのである。そうすると水面の淡い影は見えなくなってしまう。影に目の焦点を合わせると今度はボールの存在が曖昧になっている。デジカメの液晶ではこれらの2つがまったく綺麗に写っているので現実とのギャップに脳が驚いてしまったようだ。
今聴いているのは、Colin Chin [The Alluvial Plains]
ふと「いぶりがっこ」という言葉が頭をよぎった。最近どこかで聞いたことがあるような、ないような。それがいぶりがっこ。テレビか雑誌で目にしたのだろうか、いぶりがっこ。さっそくGoogleに伺いを立ててみるとこんなページを発見。「いぶりがっこ -東北東こだわり百科」。秋田の伝統的食品のようだ。燻したたくあんなのだが、このページを見て初めて知った。秋田にもたくあんにも漬物にもいぶりがっこが結びつかない。どこでこの言葉を覚えたのだろう。
まさか宇宙人にアブダクション!と思ったけれど付けっぱなしで寝たラジオが情報源として有力。他にはどこかのwebページでチラリと目にしたか。たまにこのようなことが起こって非常に楽しい。
今聴いているのは、UNICORN [May be blue]
あー懐かしい。民生の声にエフェクトがかかっていて時代を感じるなあ。アラビアのロレンス!Limbo!!
最近読んだ「やさしくわかる気象・天気の知識」と「完全図解 気象百科」の2冊は非常に有用な本だ。この2冊を読めば素人にとって天気や気象に関するほとんどの疑問が解決されるだろう。少なくとも僕は知りたかったことをいくつも知ることができた。
「なぜ台風の目ができるのか」低気圧の中心に向かって吹き込んでいる風がコリオリの力によって曲がる。この曲がりが遠心力を生み、渦の中心まで風がたどり着けずに台風の目となるのだと。だから中心はほぼ無風状態なのだと。なるほど。
「熱帯低気圧とはなにか」台風の勢力が弱まると熱帯低気圧に変化するのだが普通の低気圧とどう違うのだろうか。違いは明確。熱帯低気圧は暖気だけでできており、普通の低気圧は暖気と寒気によって構成されている。なるほど。
「コリオリと台風」コリオリの力はsinθ(θはシータです)に比例する。このときθは緯度。sin90°で最大値、sin0°で最小値の0。というわけで赤道付近ではコリオリの力が非常に弱く風は渦を巻かないので台風は発生しない。なるほど。
「台風の大きさは中心気圧ではなくて風速」天気予報で台風といえば中心気圧が今どのくらいかを伝えることが多い。しかし台風の「強さ」も「大きさ」も実は風力によって定義される。強さは最大風速で定義され、大きさは風速15m/s以上の半径によって定義される。中心気圧よりも風力とその範囲に気を配る方が、より正確に台風を知ることになるようだ。なるほど。
「正しいスコールの意味」スコールというと熱帯で発生する一時的な雨のように思われるけれど、正確には「急に強まって吹き、しばらく吹いて収まる強風」のこと。にわか雨や雷雨を伴う時もある。なるほど、伴う時もあるのか。
今聴いているのは、ドビュッシー [海]
コンセルトヘボウ、ハイティンク。好きな曲はしつこく聴きます。
近年では洋菓子よりも和菓子の方に魅力を感じる。和菓子の素晴らしさを知ったのはばってんや、道楽屋、達屋のおかげなのだが今回は道楽屋と達屋の桜餅を食べた。(同じ日に食べ比べをしたわけではない)
写真でわかるようにどちらも道明寺の桜餅。いわゆる関西風です。道明寺とは蒸したもち米を乾かしてから砕いたものであり、粘りと粒の歯ごたえを楽しめる。餡は漉し餡で、塩漬けされたオオシマザクラの葉が桜の香りと塩味を道明寺に加えている。葉を食べるのかは個人の自由だが、硬い葉、柔らかい葉があるのでこのような個性も考慮すべきである。
達屋の桜餅
広島では道明寺が一般なようだ。中にはもち米を使っている店もあると達屋の店主が言っていた。かなり薄い道明寺と漉し餡が柔らかく、桜の葉を噛み切る時のわずかな抵抗との対比にうっとりしてしまう。この桜餅の香りこそが春の香りだ。道楽屋よりも葉っぱが小さいけれど葉の香りは強かった。米の粒を噛み締める楽しみは東アジア民族共通の楽しみだろうか。おいしく食べたのだが、販売は4月3日までで終了しています。105円
道楽屋の桜餅
ご覧の通り道明寺。漉し餡と道明寺、塩漬け桜の葉のハーモニーがなんとも素敵。落葉した桜の葉は、桜餅の香りがするので秋には必ず桜餅のことを思い浮かべる。そしてやっと食べられる季節になりました。葉の大きさと中身の大きさのバランスの良さが目に美しい。香りを楽しみ、甘さとしょっぱさのハーモニーを楽しみながら葉っぱごと頂きました。うまい。120円
今聴いているのは、Stina Nordenstam [And She closed her eyes]
ホリエモンが言うまでもなく、ネットとテレビは融合していくだろう。PCの起動がもっと早くなり(この問題はハード、ソフトの進歩に追いついていない)、より簡単に操作できるようになればこの融合は必然だろう、とドビュッシーの「海」カラヤン ベルリンフィルのDVDを見ていて思った。
この曲で僕はただひたすらカラヤンの指揮を見ていたかった。けれどソロパートの多いこの曲では画面が移り変わる。画面を分割して、1つは指揮者のみ、もう1つはソロを追いかけるようなみかたをしてみたい。その方が実際の演奏会の様子に近いだろう。指揮者の顔は見えないけれど、動きとそれに反応する演奏家の様子は1つのものとしてみているから。小澤-サイトウキネン-ブラ4ではビオラがアップになる箇所があるのだけれど、隣でチェロのトップがビオラを見ている。それがまるでカメラ目線のようで非常に楽しい。ビオラの動きを探りながら音を出す、そうあの感覚こそがオーケストラの醍醐味だから。ソロが誰を見ているか、伴奏はどこに注意しているのかをもっと見たい。
DVDでは容量が足りなくて多チャンネルの映像を収録できないし、テレビ放送でも編集するのがテレビ局の仕事だからそのような事はしないだろう。ということでこれはネット放送に期待です。
今聴いているのは、カラヤン ウィーンフィル ドビュッシー[海]
ドビュッシーの海に最近はまっている。3楽章の最後、トランペット5管とトロンボーン4管の響きは美しい。1楽章の終盤、ホルン4管とハープの旋律も美しい。なるほど、ドビュッシーがあこがれていた海とはこのような海だったのか。
もっと早く書こうと思っていたのに忘れてしまった。和菓子の逹屋で聞いた所によると、4月3日は暦の上での花見にあたるらしく、桜餅は4月3日までしか作らないのだと。こんなに硬派な和菓子屋も少ないと思うけれど、桜餅は明日までという店があるかもしれません。広島では桜餅というと関西風。もち米か道明寺かは店によって違うらしいが、良くいく2軒はどちらも道明寺。道明寺の方が基本ですね。
桜もようやく開花。大学のとき、外で演奏しながら舞い落ちる桜の花びらの情景を毎年毎年思いだす。それくらいあの映像は強烈であった。座っている位置からは図書館から情処へ続く桜並木が見れたけれど、チェロやビオラ、バスの人はみれなかったかもしれない。
今聴いているのは、ドビュッシー [小舟 小組曲より]
「手紙」岡林信康 作詞/作曲
私の好きな みつるさんが
おじいさんから お店をもらい
二人いっしょに 暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私といっしょに なるのだったら
お店をゆずらないと 言われたの
お店をゆずらないと 言われたの
鋭い人ならわかると思うがこれは部落差別を歌ったもの。いきなりなぜこんな話題かというと「放送禁止歌」という本を読んだから。作者の森達也はオウム事件のドキュメンタリー映画などで知られる映像ディレクター。本も書いているのでどれ1冊読んでみようと思って図書館で借りたのがこの本。放送禁止歌とかかれているが、この本で扱っているのは部落問題で放送禁止となった歌。ハードカバーの出版は解放出版社だし。軽い気持ちで読み始めたのとは裏腹に本の内容はどんどんとディープになっていく。義務教育期間中にこれといった部落問題の教育を受けていなかったのであまり詳しくないのだが、関西では部落問題というものは力を込めて教えられているようだ。
特におもしろかったのは放送禁止歌というものに実体はなくて、テレビ局が共同で決めた「放送に相応しくない歌のリスト」が何となく守られているだけなのだと。だからこの曲のこの部分がダメだから放送してはいけないのではなくて、あくまでも自主規制しているだけのこと。例え放送されても放送事故というわけではないようだ。
もう1つ鋭い表現があって、戦後の日本のタブーは「天皇、在日朝鮮人、部落」なのだと。なるほどー。確かにこれはタブーだ。戦後しばらくの間は朝日新聞など左翼系の新聞では天皇に直接「戦争責任」についてインタヴューしていた。今となっては天皇と戦争責任を結びつけるマスコミはあるまい。テレビで韓国や中国がいまだに日本に戦争の謝罪を求めていることに対して「ドイツはうまくやったよ。全てナチのせいにして戦後は過剰にナチを弾圧することによって、ドイツ国民は悪くないかのようにしているから。」とコメントしている人がいた(たかじんのそこまで言って委員会かな?)。その時に会場にいた知識人といわれる人々はみな「日本の場合は天皇に責任を押し付けられなかったから」と思ったに違いない。みんな黙っていたから。お世継ぎ問題で久しぶりにタブーに触れることになりそう。マスコミはこのタブーをうまくかわせるのだろうか。
今聴いているのは、ラヴェル[ヴァイオリンソナタ 遺作]
学生時代に作曲して死後見つかったこの遺作。有名でないけどかなりいい曲です。
ライブドアとニッポン放送、フジテレビのやり取りはなかなかおもしろかった。一番気になるのはニッポン放送の亀渕社長の言動である。もっとも気になるのは「私は若い人が好きだ」という発言。若い女が好き、という発言ならばただのエロオヤジなのだが女も男も若い人が好きらしい。DJをやっていたこともあり、若い人の感性が好きだし応援しているといいたいのだろうがなんだか国民の心情を握りたいという気持ちが明け透けなのである。「社員の気持ちが伝わらず残念」という発言もあった。これは裁判所の判断に対してなのだがそもそも問題の発端は経営者にあるのに。油揚げをさらうトンビはソフトバンク系の投資会社なのだろうか。ホリエモン、同業者に2連敗か。
さて最近気になったCMを4つ紹介。
Adidas_1
そう、音楽といい押し付けがましくない内容といい好感のもてるCM。ただサイトがFlashを多用していて使いにくい。
キューピーマヨネーズのたらこキユーピー行進のCM
そう、これは押し付けがましいCMの代表例。しかし画像が新しくて耳に残る音楽とともに思わず画面に注視してしまう。週に1度見るなら良いが毎日だと嫌だね。個人的にはサントリーよりもキューピーのCMが好きだ。
EOS KISS
キャノンじゃなくてキヤノンのデジタル一眼のEOS KISS。子供のメイクがロックバンドのKISSとなっている。KISSはかなり有名なバンドだけれど、女性はわかるのかなあこのシャレ。最後に火を噴くのに笑ってしまう。
コカコーラ
最後はイメージを売るCMの代表。コカコーラ。瓶のコーラなんてめっきり見なくなった。最後に手にしたのは何年前だろう?しかもイメージが伝わってこない。第一、ボトルから直接飲む姿は美しくないということに気がつかないのだろうか。
ふと思い出したのだけどコンビニの冷蔵庫のドリンクはほとんどがペットボトル。コーラなんて500mlも飲みたくないんだけれど。実質的な値上げということか。
今聴いているのは、ドビュッシー [海]
激しく雨が降っていて、この曲とよく雰囲気があう。
サッカーW杯地区予選を見ていたのだが解説の松木安太郎がもうどうしようもない。言っている言葉は「ア″ァーーー」とか「もーー」ばっかり。センタリングに失敗した時のコメントが万事これだった。イラン戦を見ていていまいち画面に集中できなかったのは安太郎の安いコメントのせいだろう。このくらいならば全国テレビの前で叫ばれている。解説じゃなくて心情実況中継だからなあ。実況じゃなくて解説をしてください。早速次のバーレーン戦をチェックすると地上波では解説がセルジオ越後だった。よかった、安太郎でなくて。
十年ほど前、セリエAを衛星放送でみていた。その時の実況が非常によくて今でも記憶にある。多分柄沢晃弘だったかな。声が聞き易いのと必要以上に叫ばないのがはやりいい。地上波ではお祭みたいな雰囲気を出したいのだろうな。フジテレビが地上波のF1解説に一流どころを出さなかったりと無料放送は何かとしがらみが多い。いいものは高いということなのだろうか。
今聴いているのは、久石譲 [ナウシカレクイエム]
ナウシカのCD、初めて買ったCD。確か小学生5年くらいかな。久しぶりに聴いた。
万博でサツキとメイの家を出展してスタジオジブリが金を稼いでいるのは、原作のナウシカを完全映画化するためでは?と希望的観測をしているのだがどうでしょうか。
あいかわらず卵が高め。10個入りで188円だと高いと感じてしまう。168円で普通の値段。あわよくば99円で購入したいと思っているので最近の238円を超える卵価格には参ってしまう。といってもそんなに卵を食べるわけではないのだが。
卵が価格の優等生であるというのは良く聞く話。1キロあたりの値段は50年前とそんなに変わっていないので納得。「たまご博物館-鶏卵統計室」より。
この間に貨幣価値の変化(つまりはインフレ)しているので卵の価格が変化しないのは実質的には値下げである。かつては高級品だったものがすっかり普及品となった例はたくさんある。そして現在の卵はもう工業製品と同じレベルだからなあ。それは安くなります。
もともと卵の値段は冬に高くて夏に安い。冬はクリスマス、年末、おでんなど卵の需要が増えるけれど供給が少なくなる時期だからである。今回は鳥インフルエンザによる鶏数の減少も大きな要因のようだ。しばらく前にテレビのニュースでお好み焼き屋がインタビューされていた。「卵が高くなって大変ですね?」「はい。かといって価格を上げるわけにもいかず・・・」。思わず笑ってしまう。だったら卵が安い時には値下げするのだろうか。今回の値上がりもまあ2割程度なので受け入れざるえない価格変動か。PCのメモリだって液晶画面だってこのような値上がりは良くあるのだからね。10個100円の時代が懐かしい。
今聴いているのは、チャイコフスキー 長岡京室内アンサンブル[弦楽セレナーデ]
今回は空気の話。透明だし軽いので普段意識しない。人間の体は水で出来ているという言葉は良く聞くけれど、空気が非常に重要だといわれるのはダイエットの時の有酸素運動の時と泳いでいる時くらいだろうか。人間の体をエンジンに例えると水はオイルで空気はガソリンかな。
この空気の重さは1Lで1.3g程。水は1Lで1000g。そして地表付近での空気の重さは1気圧(1atm、1013hPa)では1cm平方あたり1Kgなのだと。ちなみに人間の体には250Kg程度の空気がのっているらしい。これは圧力なので天井のある部屋でも屋外でも同じ値。そうなのかー空気って結構重いんだなあ。もちろん人間は1気圧の条件で生きてきたので、この状態で不自由を感じない体の作りになっているのは言うまでもない。空気もあなどれません。
今日読み終わったのは、トランボ [ジョニーは戦場へ行った]
今聴いているのは、中村 由利子 [私の騎士]
子供の頃、夕焼けを見て泣き出したことがあった。セミを取りに行って、4、5人いた仲間とはぐれて気づいたら一人ぼっちで、夕焼けで、僕は恐ろしいほど孤独だった。まるで天と地の間に僕一人しかいないような、そんな寂しさ。夕焼けは酷い位に綺麗で、赤と金色が入り交じって、あたり一面光っていた。 それなのに、その事を語る事のできる奴は、誰もいない。恐かった。寂しかった。僕は、どうしようもなく無力で、出来る事といったら、泣き出す事だけだった。今でも僕は、その日の事を夢に見る。ちょうどこんな風な夕焼けだったよ。
おもしろい本だった。池澤夏樹の博識にはいつもながら驚かされる。理系の作家のいいところが満載。しばらく前に読み終わったのは「パレオマニア―大英博物館からの13の旅」。大英博物館の展示物をみて、それがもとあった場所を訪ねるという紀行文。ギリシア、トルコ、イラン、韓国、カナダ、イラク、イギリス、エジプト、インド、カンボジア、メキシコ、ヴェトナム、オーストラリアの13の旅。
エルギンマーブルを始め、カナダのトーテムポール、エジプトのミイラなど大英帝国がせっせと持ち帰ったものがなんと多いことか。そして今でも返還請求が行われているという。しかし池澤が書いているように、保護されたおかげで現在まで保存された遺跡や遺物がたくさんある。そして世界中に向けて公開しているのはやはり大英博物館の存在意義そのものであり、この意義はこれから先もしばらくは保たれるのだろう。
あくまでも紀行文であって、大英博物館の解説ではない。もっとも印象的だったのはカナダのイヌイットのトーテムポールの話だが、これは星野道夫の著作を読んでいたからだろう。ワタリガラスやサンダーバードの話をしっていたのでより深く楽しめることができた。というわけであわせてお薦め。星野道夫「森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて」
今聴いているのは、フォレ [ピアノトリオ]
ああ、春の雨にはこの曲だ。時に激しく、時に優しく。
あいにく男のトイレの状況しかわからないのだがトイレの後、手を洗わない男性は多い。80%とは言わないけれど、60%は超えるだろう。老いも若きも手を洗わない。なぜ手を洗わないかというと、それはもちろん汚れた気がしないし、汚していない自身もあるのだろう。僕は男性用小便器の機能・形状に関して合格点を与えていないので手を洗う。適当にではあるけれど手を洗う。そういえば昔見た(ゴッドファーザーかな)映画でマフィアのボスが用をたす前に手を洗っていた。手下に「ボス、なんで先に手を洗うんですか?」と聞かれて「汚い手で触ったら汚れちまうだろ」と答えていた。こういうのがかっこいいといえるのかもしれない。
もう1つトイレで気になるのは、通路の男女別になるかならないかのところでチャックに手をかけているおじさんが意外と多いことだ。そんなにもれそうというわけでもなく、癖のようなものなのだろう。男ゾーンには男しかいないので安心しているのかな。ちょっとみっともない。締まりの悪い男のように思えてしまうからだ。
今聴いているのは、the Beatles [オブラディ オブラダ]
ホンダのクルマのCMでずいぶん前から使われているけれど、この曲、ビートルズの中でも好きではない曲なんです。
サッカーワールドカップ予選の日本対北朝鮮戦がおこなわれた時、ネットのニュース速報に「北朝鮮戦にむけ厳戒態勢」というタイトルがあった。一瞬、ついに第二次朝鮮戦争が始まったのか?と思ったのだがサッカーのことであった。平和な世の中である。
たいした根拠があるわけではないが、北朝鮮の金体制が崩壊する時に戦争が起こるような気がする。核兵器の保持を宣言しており、核家族の仲間入りしたことは家長アメリカにはさぞ不満のことだろう。ブッシュも二期目で名声を得るために、あるいは悪の枢軸国家打倒の仕上げとしてイラクの次は北朝鮮を狙っているかもしれない。少なくともイランよりはツッコミどころが満載だからね。次の大統領選挙では共和党から民主党への政権移動もありうるので、4年以内に戦争が起こるのかも。意外と近いな。
隣国で戦争が起きたときに日本はどうするのだろう。自衛隊を派遣するのだろうか。朝鮮半島は統一されるのだろうか。どうなるのでしょうねえ。なんとも頼りないわが政府です。
今聴いているのは、Bjork [come to me]
久しぶりに聴いた。この曲をいいなあと初めて思ったのが春だったので、春の曲である。
MTBについているブレーキはカンチレバーブレーキといって今や1世代前の装備。現在主流のVブレーキの方が制動力が大きいらしい。ブレーキシューの位置を直して、ブレーキワイヤーを締めなおした。そしてブレーキレバーとシフトレバーの位置も修正して調整完了。うんうん、ブレーキの効きが良くなった。やはりこれくらいでないとね。普段何気なく自転車に乗っている方、ブレーキの減りは確認しておいた方がいいですよ。特に濡れた時のブレーキの効きに差が出るから。
最大速度で自転車をこぐとき、一瞬体の力が伝わらない瞬間を感じる。まるで車のクラッチを切ったときのように。それは踏み込んだ右足が一番下まで降りて、今まさに踏み込もうとしている左足に力を入れるために体重移動をする瞬間。普通の速度でこいでいる時にはペダルが一番下に行く前に反対の足に体重移動をするのだが、スピードを出しているときにはパワーを最大限に使いたいためにペダルを下までこぎきりたいのだ。この一瞬の空白と坂道が重なると段々とスピードが落ちてしまうのがなんとももどかしい。この解決法は以前にも書いたとおり、引き上げる足でペダルを引き上げること。ペダルを引きあげるってどういうこと?というと意外と簡単。足の裏にペダルを乗せる感じ。左足をこぎ下ろすのと同時に右足はペダルを蹴り上げるのだ。これはハンドルに体重をかけながら行うとさらに簡単。これでスピードアップは間違いなしです。しかしスピードアップしたからといって目的地にたいして早く着くわけではありません。1分の短縮は可能ですが、5分の短縮は難しいものです。これは車も同じ。早くつきたのなら早く出発するしかありません。
今聴いているのは、the art of noise [ロビンソンクルーソー]
例えばあなたと私それは永遠の目的地なのかもしれません。でもこの星を包む風のように、ウイークエンドの夜は静かに2人の中を飛びつづけています。
ジェットストリーム、ミッドナイトオデッセイ。スクリプト、原田宗典お相手は、城達也。この番組は日本航空がお送りしました。
広島に本社のある家電量販店のデオデオのトイレを借りたついでに気になる家電をチェックしてしまった。まずは薄型テレビ。今使っている17インチ(多分)ブラウン管テレビでもまったく差し支えないし、なければないで過ごせるのだがトレンドとしてチェック。売れ筋は40型程度のテレビらしい。かなりでかいです。もうこれは家族向けなのだね。40型というのは小さなプラズマ、大きな液晶が入り乱れ価格もこなれてきているのだと。しかし30万円台なのであるけれど。地上波デジタル放送がしばらくしたら始まり、アナログ地上波は廃止されることが決定している。これはテレビの問題ではなくてチューナの問題なのだが、単体のチューナが安くないのでチューナ付属のテレビかビデオを買うのが普通なようだ。
さてブラウン管テレビは今や時代遅れなのだがプラズマと液晶のどちらが良いのだろう。小さい画面なら液晶、大きい画面ならプラズマが有利。色はプラズマの方が自然だし、画面の反応やチラツキのに関してもプラズマの方に分がある。液晶の利点は小さい画面だと安い、消費電力が小さい、技術的にほどほど成熟している点だろうか。プラズマは新しい技術で、小画面化への技術的なブレイクスルーも難しいようで撤退したり、他者と合同で生産しているメーカーもある。それに寿命が短いのではないか、という噂も絶えない点が気になる。
どうなんだろうか。地上波デジタルチューナを持っており、大画面が必要なければもう一度ブラウン管という選択肢もありうるような気がする。もっとも地球の資源という点ではブラウン管はよろしくないようだけれど。
その後ちょっと冷やかしたのは洗濯機とオーブンレンジコーナー。今の時代でも2槽式洗濯機が売られていて驚いた。洗濯槽と脱水槽が別れているあれである。かなり懐かしい。2槽式の時代は冬の洗濯は辛い仕事だったし、年に数回は水があふれることもあった。今ではほんとにスイッチ1つ。これほど進化のあった家電も珍しいだろう。オーブンレンジはコンベクション機能がオーブンの機能を決めるようだ。そして最高温度を何分維持できるか。これによって使い勝手が違うようだ。個人的には料理完成時のアナウンス音がどんな音かが気になる。日立のメロディはちょっとなあ。甲高い音の機械音も耳にさわる。使用頻度が高いだけにこういう事は重要なんだよな。買わないけれど。
今聴いているのは、the Beatles [Lucy in the sky with diamonds]
アイ アム サムを見てました。子供の演技がうまい。日本の子役は下手すぎるね。
たまに女性誌を読むと「SHIHOの流行のパンツ着回し1週間」みたいな特集が載っていて非常におもしろい。「先週の合コンで知り合った藤木君からメール。お食事の誘いだった。ブランチくらいならいいかな?あれ、これって恋の予感?」などと書いてあるからおもしろい。これが漫画だったらギャグ漫画なのだが。
さて、ここにいるのは恋ならぬ鯉。そう、巨大カープです。8歳、24キロ、80万円の巨大な奴。画面の上部で覗いている女の子は小学生1年くらい。後ろを振り向いている二人はあまりのでかさに驚いて親を探しています。広島市西区は新潟についで鯉の生産量が多い。地震のおかげで首位奪回か?品質では広島が一番だといっていました。数の新潟、質の広島ということか。
NHKスペシャルで放送されたスマトラ沖地震の津波の映像に釘付けとなってしまった。津波というのは波というよりは水塊が押し寄せてくるということなのだとよくわかった。波というと波長が短く、崩れやすく、抜ければ安全という感じだけれど、津波は波長が長く、崩れにくく、厚いのだ。普通の波が薄切りの羊羹だとすれば、津波は羊羹一棹そのままのような感じ(こんな例えでわかるだろうか)。
ドイツ人の観光客が海岸でビデオを撮っており、海岸線が異常な速さで後退してはるか沖に一様な波頭が見えているのだが、周囲の人が非難していないせいか結構余裕そうであった。結局この人は後から裸足で逃げて、足元を洗われる程度で逃げることが出来たので運が良かったのだろう。
自然災害で死ぬのなら地震で地割れに飲み込まれるより、津波に飲み込まれて死にたいと思っていたのでこの映像は衝撃的だった。そして津浪が打ち寄せる海岸にたくさんの人がいるのも衝撃的。波に飲まれ数分後には死亡する人の姿が映っているのだ。そして死体にはモザイクがかけられていた。死体ってそんなにタブーなのか?押し寄せた波が瓦礫や車とともに街中を進んでいく姿をはじめてみた。洪水による浸水が高いところから低いところへと重力に従って動いているのに比べ、津波は波自体が持っているエネルギーが高低さを逆流して進んでいる。そのため複雑な流れが発生するようだ。
今や英語どころか世界中で通じるといわれる津波。やはりその姿を見てみたいものだ。こういっては不謹慎だがホテルの屋上から津波の様子をビデオに録画していた人がうらやましかったりする。津波の映像を見逃した方はこちら。「asiantsunamivideos.com/」
今聴いているのは、ドビュッシー [バイオリンソナタ]
グリュミオーの演奏を聴くと、江坂公園で初めてこの曲を聴いた時のことを思い出す。いい思い出だ。
酸っぱいものが食べたくなって、酢の物を作るのももどかしく酢をそのまま飲んでみた。飲み下し、息を吸った瞬間に起こる空気の逆流。かなりつらい。こんな反応を起すなんて酢って人体に有害じゃないのか?少なくともそのまま飲むのは間違っていたなと思ってしまう。
浜松でやる気のある魚コーナーのあるスーパーには生ノリが売られている。佃煮や板ノリにする前の、ただ摘んだだけの生のノリ。このノリで作った酢の物がめっぽううまい。モズクのようなぬめりはないけど、磯の香りがより強くてうまい。もうひたすらにおいしいのだ。子供のときは酢の物なって義理程度にしか食べなかったのに今ではおいしいと思う。いろいろ変化しているんだと実感。ノリの養殖が盛んな地域では売られているかもしれない生ノリ、ぜひお試しあれ。
今聴いているのは、クランベリーズ [ドリーム]
久しぶりにきいた。数年ぶりだろうか。ネスカフェのCMで使われているので思い出してきいたのです。
MOKOさんが頭の中でまわっているメロディーのことを脳内レコードと表現していた。そしてさいほも頭の中でまわっている音楽が何かということについて書いていた。さいほはそれが白鳥の湖のワルツだとわかったようだけれど、僕にはもう何年もこの曲なんだろう?と思う曲がある。
クラッシックならばまだ見当をつけやすいのだけれど、その曲はイージーリスニング。ちょっとミスターロンリーに似ている。大丸の店内放送で聞いたことがあって、その時は受付までいってなんという曲か聞いてみようと思ったけれど聞いておけばよかった。いまだに脳内レコードでは曲名が不明なまま。もどかしい。
もう1つ二胡の曲で気になる曲があった。それはNHKの太極拳の番組で流れていたピアノと二胡のデュオでこの曲を探すのは困難だろうなーと思っていたら父がそのCDを持っていた。磯村由紀子の「風の住む街」という曲でリッピングもできてもう最高。こんなことは稀なのだけれど、ラヴェルの弦楽四重奏の再会と2回目があった。ということは3回目はどの脳内レコーズと現実に出会えるのだろうか。
今聴いているのは、モーガン フィッシャー [go slowly]
Music for city lifeというアルバムより。ジェットストリームミッドナイトオデッセイのオープニングでした。
地下街のトイレを使った時、彼はとなりの便器を使っていた。黄色いダウンジャケットはロングで地下街だけれどサングラスをしており、ストーンウォッシュのジーンズだった。いかついとかあんちゃんという表現が似合うような人だった。しかし彼は恥ずかしい人だった。それは右足の膝下に32 32 32 32 32 32と書かれたテープが張られていたから。すぐにわかった。ウエストが32インチなのだと思う。さらにユニクロのような気がする。
手を洗う時に鏡に映った姿で気がつくだろうか?と思ったけれど髪型と表情をチェックすると足早に出て行った。この人を尾行して、シールに気がつくその瞬間を、その時の表情を見たい!と思ったけれど面倒なのでやめた。
さて彼はいつ気がついたのだろう?彼女に指摘されるのだろうか。自分で気がついても、さりげなく、極めてさりげない風を装ってシールを取るのだろうか。想像する楽しみをありがとう。
今聴いているのは、ラヴェル [溜息]
この曲はいい。 「わが霊魂は昇る。メランコリックの園さながらに」と歌ってしまう。
忘れないために書いておこう。地球は公転をしている。中心に太陽があるわけだがこの公転軌道は円ではなく楕円である。地球が太陽に1番接近するのは1月。逆にもっとも遠くなるのは7月。地球と太陽の距離は最大で7%も変化する。この変化は太陽放射の量にも影響を与えるのだが、ある本には気候に影響があると書いてあったけれど、ある本にはほとんど影響がないとかかれていた。どちらの本も間違いとはいえないから、両説あるというのをしった上で自分が納得できる方を信じればいいのだと思う。気候に影響は与えるけれど大きな影響は与えないということなのだろうね。
他にもおもしろいことがわかった。それはそれは天気予報の当たる確率について。気象庁オフィシャルでその名も「予報精度検証」。2004年の明日の天気があたる確率は90%弱という感じ。意外と高い。けれどこの数値はまず月によって違う。6月はちょっと低目かな。そして年によっても大きく違う。地方によって大きく異なるので全体の傾向を言ってもあまり意味がないかもしれない。降水確率については年々精度が上がっているようだけれどこれだけゆらぎが大きいとなあ、石原良純に文句もいいたくなるか。以下の表は「2004年天気予報の検証結果」より作成。
| 5時発表予報 降水の有無 | 17時発表予報 降水の有無 | ||||
| 今日 5-24時 | 明日 0-24時 | 今夜 17-24時 | 明日 0-24時 | 明後日 0-24時 | |
| 適中率 | 87 | 84 | 88 | 84 | 84 |
| 捕捉率 | 76 | 71 | 72 | 75 | 72 |
| 一致率 | 80 | 77 | 70 | 77 | 78 |
| 見逃し率 | 7 | 9 | 5 | 8 | 9 |
| 空振り率 | 7 | 7 | 7 | 8 | 8 |
「適中率」:総適中回数の全予報数に対する割合
「見逃し率」:「見逃し」回数の全予報数に対する割合
「見逃し」とは、予報が「降水なし」だったのに実況が「降水あり」となった場合
「空振り率」:「空振り」回数の全予報数に対する割合
「空振り」とは、予報が「降水あり」だったのに実況が「降水なし」となった場合
「捕捉率」:実況が「降水あり」となった場合だけを取り出して、そのうち予報が「降水あり」だった割合
「一致率」:予報が「降水あり」だった場合だけを取り出して、そのうち実況が「降水あり」となった割合
今聴いているのは、ラモー [プレリュード クラブザン作品集 第1集より]
雨の日にクラブザンの音はよくあうな。
セントレア空港が開港してふと南セントレア市の話題を思い出した。「南知多町」と「美浜町」が合併して空港にあやかって南セントレア市にしようと協議していたが住民の猛反対にあって撤回、再協議することになったというのがことのあらまし。大体、セントレアって民間の空港だし関空のように問題山積という可能性もあるのになに調子に乗っていたのだろう。町や小さい市の合併だと名前の最終決定権を町会議員が持っていたりするので、しょぼい名前になる可能性が高い。町会議員って普通のおっさんレベルだからなあ。そんな場所に住むことになった人には御愁傷様としか言いようがない。
そんな場所はたくさんあるけれど筆頭は「南アルプス市」。紅の豚でカーチスはポルコの愛機の色を「破廉恥な赤だ」と表現していたがまったく同じ。破廉恥な名前である。英語では「Minami-Alps City」のようだ。南アルプスという地名が有名なのは認めるけれどもねえ。日本の土地の名前なんだから日本語を使って相応しいものを探せよ、と思ってしまう。まったく破廉恥な土地には住みたくないものだ。もしかして住人はアルプスに美しさを感じているのだろうか。言葉自体のイメージは美しくても、言葉の背景は破廉恥だと思うのだが。
浜松市も市町村合併をおこなったけれど破廉恥化は防げたようで一安心。
今聴いているのは、ラヴェル [ヴァイオリンソナタ 遺作]
ラヴェルの死後に発見されたから遺作。決して最後の曲ではありません。VnとPfのシンプルな曲。
実家で飼っていたレオが身罷った。18歳と3週間であった。昨日の朝ご飯を最後に食べなくなり、今朝はやく眠りについた。

この画像のファイルスタンプをみると2004/08/14とある。よく覚えている。夏の夕暮れ時に家の近くの公園まで散歩に行ったときのものだ。人間の子供と同じで小さかったレオはカメラを向けると好奇心のあふれる顏で近寄ってきたためにいい写真がたくさん撮れたものなのだけど、カメラに愛想をふりまいても特別いいことはないと学習してからは人間の思う通りに振舞ってくれなかった。レオは怪しい人だけに吠えるので吠えられた人に対する家族の目はちょっと冷たかった。
スケボーが流行った頃にはレオの散歩といいながらひかせたこともあった。当時は小学生でうまくスケボーでブレーキがかけられず、ドンドンとスピードがあがって怖かったけどレオにとってはいい運動だったのかもしれない。若く、力のあふれる時には自転車で散歩に連れて行き引っ張ってもらった。馬と同じようにダク足から駆け足に変わるとかなりのスピード。綱を持つ右手を通じてレオの力を感じる。たまに自転車でレオの足を踏んだりするとキャンと短く鳴いて「なにするんだよ?」という表情でこちらを見る。けれど2秒後にはまた猛ダッシュをするいい奴だった。
田舎の冬夜空が非常に綺麗なので何度もいっしょに見に行った。もちろん空を見上げるのは僕だけだったがあの冷たい空気と冷たい光を覚えている。月の光も何度か眺めた。散歩しながら年をまだいだこともいい思い出だ。
頭の上に石をのせて遊んだ。コンクリートの段差にアゴをのせて休んでいる時もあった。冬の寒い日には訪れる日向とともに松の根元から砂利の上へと段々と移動していった。首をのばしてツツジの花を食べている様は滑稽だったし、犬小屋の近くでキンギョを飼った時には嫉妬をしていたようだ。海に遊びにいった時の帰り道に膝の上にゲロをしたこともあった。寒い朝には水の器に氷が張っていて喉が渇いていたこともあった。松の木に登っておりれなくなったこともあったし、生きたハゼに吠えたこともあった。赤い紐が良く似合った。
楽しい思いでもたくさんあるし、最期の時は苦しむことなく、乱れることなくまこと穏やかな表情だったということなので悲しくないと思うことにしているのだがやっぱり悲しい。畑に植えられたスモモの木の近くに埋葬されたのだがあそこは梅の木も近くにあって日当たりもよく気持ちよい場所だ。妹の友達は花まで買ってきてくれたのだと。
すべてが過去形になったのはさみしいけれど、レオは人間の年齢にすると96歳。
これ以上、なにを望もうか。
今聴いているのは、Maurice Ravel[亡き王女の為のパヴァーヌ オーケストラ版]
この曲をおくる。やすらかに眠れ、レオ。
数年以来の大当たりでフィーバー。何があたったのかといえば感染性腸炎。多分ノロウイルスでありもっとわかりやすく言えば牡蠣にあたった。呉かき祭へ行ったのだがまんまとやられた。もっともかき祭は楽しいけれど翌日が辛いという噂があったのだがそれは本当だった。
これから先、食事中の方は読まないように。
今回、3回吐いて8回くらいトイレに行った。幼児や老人では死ぬ場合もあるようだけれども普通の人にとっては1日程度で治癒するので心配はしていなかったのだがやはり辛い。トイレで3回目に吐いているときに、「そうか、吐くということは胃の内容物を上の方から逆流させることだから、空になれば吐き気も収まるかな」とぼんやり考えていた。1回目では未消化の物体が多かったのだが3回目には結構消化されてた。しかしこの逆流の為の動作が用意されていたのはうれしいけれどグハァとしか言いあらわせない。吐いたところで胃の中に原因物質はないのだけれどな。
汚れてしまった服を着替えて歯を磨いて布団に入る。この時に温かい湯たんぽがなんとも心強い。湯たんぽ様々である。ウイルス性の腸炎の時には対処療法しかない。それも温かくして水分補給を心がけるというだけ。アパートの入口にあるコカコーラの自動販売機でアクエリアスを買ってそれを温める。この季節の水分補給には温めたアイソトニック飲料がお薦めです。普通の風邪と違ってピークが分かりやすく、一度超えたら後は快復してゆくのみ。トイレに行く時の切羽詰まり度は段々と低くなっていくのが分かってうれしい。そうそう、止瀉薬はあまり使わない方がいいみたい。原因物質を体外に出すほうがいいので。
というわけで一人暮らしのノロウイルスはそんなに気を使わないのだが、100個程度でも感染するので一家に広がるという可能性もあって家族のある人には油断できないものです。しかもノロウイルス、人間の体で増殖してそれが下水処理された水となり海に戻る。牡蠣などの二枚貝がそのウイルスを溜め込んで、それを食べた人間が発症という循環をたどる。今回はきっちり培養してしまった。牡蠣はきっちり火を通して食べましょう。85℃で1分が目安です。しばらくは食べたくはありませんが・・・うどんと湯たんぽのありがたさをしみじみと感じました。
今聴いているのは、ラヴェル [臀部より出でて,飛び出でて] ステファン マラルメの3つの詩より
そう、こんな気分でした。しかし傷が治る時もそうだけれど生物の治癒力には驚くよ。そう簡単には死にません。
広島市立図書館のシステムが新しくなって、やっとwebから蔵書検索や予約ができるようになった。おかげで、気になる本をすぐに予約できるので非常に便利。書庫の本やめったに行かない図書館の蔵書には触れる機会がなかったのでだいぶ読む本が変わった。今までは図書館にいって何気なく選んでいたけれども、今では作家名で検索をしてそのなかから適当に予約している。
予約が簡単にできるようになったおかげで、貸し出し窓口もちょっと変化したようだ。それは予約による取り置きの本が増えたこと。近所の図書館は小さいので予約本を置くスペースが少なく、棚が混雑している。だから名前を告げてから本を持ってきてもらうまでの時間が明らかに増えた。今までは職員が予約の入力をおこなっていたけれど、それを利用者がするようになった分、別の仕事が増えたようだ。
しかし広島市のオンラインシステム、処理が一元化されておらず微妙な時差が生じる。図書館内の端末ならば常に最新情報が表示されるらしいのだが、webから参照した場合情報が古いことがある。本を返却して家に帰って、利用状況を見ても返却した本が借りたままになっているのである。これはちょっと気持ち悪い。それ以外に特に不満はないのだけれど・・・。
ちなみに今借りているのは、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、「Dr.ヘリオットのおかしな体験」、「百万人の天気教室」、「気象と気候」、「アマバルの自然誌」。キャッチャーは次の人の予約が入っているからはやめに読まなくては。
今聴いているのは、Faure [Piano Trio]
この曲はせつない。特に1楽章は心の中から溢れ出る悲しさを思い出す。涙を流させる音楽とはこの曲のこと。
比熱説(比熱とは物質1gを1K上昇させるために必要なエネルギー。水や地面は大きく、空気は小さい)とは太陽からの光(太陽放射)はまず地面や海洋を温める。そしてそれらが次に空気を温める。このタイムラグが1年間で見ると2ヶ月ずれるというもの。
放射説(放射とはエネルギーの移動のことであり2種類ある。太陽から地球に入る太陽放射と地球から出て行く地球放射である)とは気温の変化は太陽放射と地球放射のバランスで決まる。太陽放射>地球放射ならば気温が上がり、逆ならば下がる。この収支が逆転するのが2月と8月なのである、というもの。
不勉強なことに僕は放射に関して初めて知った。今までは比熱と熱伝導によって説明されてきたことを信じていたけど、冬至を過ぎて太陽放射が強くなっているのに気温が下がりつづける理由がいまいち納得できなかった。水や地面が温まりにくいといってもねえ。ヤカンの水をガスで温めるとき、温度が最高となるのは火を消してからタイムラグがあるというのか?と考え込んでしまったから。地球サイズでそう考えればそうかなあ。疑問が残るばかり。反対に放射説は分かりやすい。太陽放射は日が長いほど大きくなる。夏至の時に太陽放射が最大となり、冬至のときに最小となる。一方で地球放射は季節変化するのだろうか?うーんよく分からない。地球放射は比熱とも関係しているので季節による変化はするのだろう。そうして太陽放射と地球放射のバランスによって徐々に季節が変化していくんだろう。
色々読んで考えたけれどすぱっと解説している文章がなくて今でも確信が持てない。比熱も影響しているだろうけど、主原因は放射であると今回は認識するに至ったわけだがちょっと不安。だれか教えてください。
今日読み終わったのは、ペトロスキー [フォークの歯はなぜ4本になったか]
おもしろい本だった。著者は「形は機能に従う」という命題への反駁を散りばめている。しばらく前に読んだ、夏への扉と特許というつながりがあった。
今までだまされていたのかもしれない。今回、そう思うようになった。2月はもっとも寒い時期。しかし冬至を過ぎているから昼間は日に日に長くなっているし、夕方の明るさを実感している。今日の日の入りは17時45分だけれど冬至の頃より40分も長い。日差しは強く、長くなっているのに寒くなるってどういうことよ?と思って調べてみました。調べようと思ったのは、「地球は温まりにくくて冷めにくい」という通説に疑問を思ったからです。
まずは巷の状況をネットや本で調べました。本を読んで分かったのだけれど、このタイムラグの説明には2通りあった。それは「海洋や地表は温まりにくく冷めにくいからという比熱説」と「太陽放射と地球放射のバランスが原因という放射説」である。比熱説、放射説ともに僕の造語です。
「山口大学農学部教授の山本 晴彦」は「比熱説」の人。
「フジテレビの天気予報士の三井良浩」は「放射説」の人。
「TBSの天気予報士の森田正光」は「比熱説」。
「「気になる気象の話」の著者、能沢 源右衛門」は「比熱説」。
「「図解 気象の基礎知識」の著者、二宮 洸三」は「比熱説」。
「「百万人の天気教室」の著者、白木 正規」は記述無し。
比熱説の方が優勢だけれど、うーん怪しい。もっとも複雑な自然現象だから諸説入り乱れるのもわかるけど、主要因といえるものはないのだろうか。
個人的な考察は明日へ続く
今聴いているのは、Bjork [Pagan Poetry]
なんという曲だろう。この曲は体の中に眠っている凶暴性を呼び起こす。
今日はなぜ8月が1番暑くて2月が1番寒いかについて書こうと思ったけれどちょっとまとまっていないのでまた明日。キーワードは「放射」のようです。
図書館の近くにはデパートがあるので、掲示板で話題となっている香水の試嗅をしてきました。買う予定はまったくなく単なる好奇心を満たすため。彼女の為と自分の為という会話をくりひろげながら香水のにおいを嗅ぎ、自分のマフラーのにおいを嗅いできました。忘れないうちに感想を記しておこう。
「incanto dream」
店員の一押し、新商品というフェラガモのインカント ドリーム。フローラル系だけれど、フルーツのような甘さがある。花の甘味ではなくて果物の甘味。イチゴのような甘さではなくて、完熟した甘い柑橘類のようなさわやかさを伴っている。入れ物はピンク色だけれどイメージするのは薄い黄緑色。しかしこのにおいから思い出されたのは、小学生の時にかいだ擦ると花の匂いがする学研の付録。香り自体は素敵だが、においと記憶の結びつきは強い。
「Cabotine Rose」
グレのカボティーヌ。この名前とボトルの形は僕でも知っていた。フローラルの王道を行くローズの香り。わずかにアルコール臭のような透き通って尖った香りを感じるがこれは紙についているからだろうか。イメージする色はピンク。イメージする文字はcuteという感じだろうか。coolさとかは感じられない。かすかに感じられるグリーンノートはさわやかである。
「SAMOURAI Silver」
アランドロンのサムライシルバー。なるほど、人気の香りというだけあっていい香りだ。まず思い出したのはジンの香り。あの蒸留酒は杜松で香りつけさているがそんな香りだ。続いて感じるのはライムのすがすがしさ。なるほどライムとジンは相性がよい。イメージするのはボトルと同じブルー。水色ではなくてブルーである。ジンのように無色に近いブルー。
「ライトブルー」
ドルチェ&ガッバーナのライトブルー。今回試嗅したなかで1番気に入ったのがこれ。イメージする色は透明にわずかなブルー。香りがあまり強くなくシトラス系が香りの中心だけれど背後にはわずかにフローラルの香りがする。さらにわずかにクチナシのような甘い花の香りも。ラストノートでは甘味がでてくるのだろうか。それにしてもサイトのURLにjapの文字が。せめてjpにしろよな。
「TRESOR」
ランコムといえばトレゾァ。これは誰かの香りとして街でかぐ機会が多い。今にすればあれはトレゾァだったのかという感じ。以前、歩いていたら段々トレゾァの香りが強くなってその先に香りの本人がいたということがあった。犬ってこういう生活なのだろうか。色をイメージするのが難しいけれど、透明なあめ色だろうか。香りが濃厚で甘いバラ。うーん大人の香りだね。
「MIRACLE」
ランコムからもう1つはミラク。イメージするのは黄緑色。萌木のような活力にあふれる香りなのだが生牡蠣のような生物的な青臭さもある。こういうにおいを認識してしまうともうだめです。フローラル系のトップノートにだまされるところだった。
「Vol de Nuit」
今回の目的はゲランの夜間飛行を試嗅することだった。むっちりとした濃厚さにサンダルウッドのようなスパイシーな香り。店員はサンテグ ジュペリの星の王子様から名付られたといっていたがそれは誤解。ずばり夜間飛行という本からだろう。ヨーロッパから見たオリエンタルとはインドネシアとかタイとかの東南アジアなんだね。熱帯の絡みつく空気の色は煙っている。
「MITSUKO」
ゲランから2つめの目玉はミツコ。マスターキートンを読んだときからどんな香りか気になっていたのだがなるほど日本人女性の名前がついているだけある。白檀のような香りはお寺の御香をダイレクトに思い出させる。日本人にとっては馴染みのある香りだけれどヨーロッパ人はどのように感じるのだろう。夜間飛行と比べると香りが薄く、ゲランって上品ねと思ってしまった。やはりイメージするのは薄い紫色。仏教の色です。
「Samsara」
ゲランのサムラサは瞑想している仏僧をイメージするような香りなのだと店員が言っていた。甘く、濃い。ハーゲンダッツのアイスに香りがあったらこういう感じだろうか。ジャスミンに甘さを加えた香りは嗅いでいておいしそう。けれど香水としては濃すぎる典型。いっしょに食事はしたくないな。イメージする色はブリック。タイの僧侶が着る服みたいなちょっとくすんだ色。このくすみに濃さがあらわれている。
「L'Instant De GUERLAIN」
最後はゲランのランスタントゲラン。ランスタントって何か?と思いきやInstantなのだね。なるほど。夜間飛行やミツコのような歴史のある香りではなく、2003年に発売されたようだ。くどくないユリの香りとわずかな石けんの香り。そして複雑に絡み合うのは何かは分からないのだけれどいい香りです。かなり気に入った。イメージする色はミツコと同じ薄い紫。ミツコの紫は和紙に漉き込まれたようなぼんやりとした紫だけれど、ランスタントはアメジストのような硬質の薄紫。見方によってはピンクに見えるという感じです。
というわけで香水の試嗅ぎ記録でした。自分ではあまりつけないけれど何の香りであるかやミドルノートやラストノートを想像するのはなかなか楽しい。もらった紙はお気に入りの本に挟むとするか。それにしてもネットで買うとだいぶ安くなるようですね。
今聴いているのは、Colin Chin [The Alluvial Plains]
この曲が終わる瞬間にいきなり現実に引き戻される。頭にはいつも城達也のナレーションが響いています。
どんな人が好きか?という質問は気軽にすることができるがどんな人が嫌いか?という質問はすることすら難しい。なんかネガティブな面を問うようだから。
はっきりと嫌いなタイプというのは難しい。開襟シャツに金のネックレスは嫌いだけれど、その人が嫌いというわけではなくてそんな趣味が嫌い。そんな趣味の人はやっぱり嫌いかも、と思わないでもないのだがそこで判断してしまうのは尚早かなと思うようにしている。また反対にある行為を見ただけでその人を嫌いになるようなこともある。
それは本屋でよくあること。雑誌やガイドブックのコーナーで平積みされている本の上に自分の持ち物を置く人。これには我慢がならない。置くなら床に置きなさい。商品の上に物を置くとは、よくもそんなことができると思う。若い人も年老いた人も満遍なくこの行為をしてくれるのでガイドブックコーナーは滅入ってしまう。もう1つ本に関して。図書館内で携帯電話を使って会話をする人は圧倒的に中高年が多い。大抵の場合、マナーモードにしていないので(使い慣れていないので)笑点のテーマとか間抜けな音楽が流れる。そしてそのまま会話が始まる。そんな時は汚物を見るときの視線を送ってあげるのだが。
後はゴミのポイ捨てだろうか。落ちているゴミを見てもなんとも思わないのだが、ゴミを落とす瞬間を目撃するのは非常に不快だ。なんであんなことができるのか疑問である。
今日は本の上に紙袋を置くおっさんを目撃したので極めて不快だった。彼は嫌いなタイプだ。
今聴いているのは、フォーレ 歌曲集[イスファーンの薔薇]
ピアノとソプラノのシンプルな歌。楽器と肉声ではだいぶ違うんだよな。
静岡は冬でも温暖な土地ということになっている。浜松市は北からの季節風が強くて、体感温度が低いけれども晴れの日が多いし日の当たる場所ではぬくもりを感じる。ミカンの産地となっていることからも温かいことがうかがわれる。
昨日の夜から降り始めた雪はまる1日降り続いた。アスファルトは雪を溶かすのか積もってはいないけれど歩道は圧雪と氷で非常に危険な状態。ツルッといってしまいます。
静まり返ってしーんとするほど積もってはいないけれど、雪が音を吸収しているのだろう。いつもより静かな気がする。街灯の下で雪は踊っている。風がなくただ冷たいだけの、きっと零度を下回っている大気の中を踊っている。そしてツララは静かに成長している。
寒い夜は、静かな夜です。
今聴いているのは、gontiti[Norwegian Wood]
天気予報の言うように、雪が降っている。
静岡で育ったから冬の雪は珍しい。雪が降っているとその姿に見入ってしまう。温かい部屋から、遠くまで見通せる窓があって雪が降っていれば1日見ていても見飽きないだろう。
雨よりも不思議だと思うのは、雪は降っている最中に舞い上がるから。落ちながらもたまにフワリ。なんともいえません。
今聴いているのは、ドビュッシーの[The Snow is dancing]
次の[The little shepherd]もいい曲。ともに[子供の領分]より
何が好きと聞かれたら廉価版が好きだ。廉価、れんか、レンカ。廉価版というのはいたるところにあふれていて、農産物で形を気にしないものは廉価版として売られているし、PCのCPUにも廉価版がある。
さて今日買った廉価版はおしゃれ着を洗う液体洗剤。今まではエマールを使ってたのだが空になった。ドラッグストアへ行くと、エマール、アクロンがある。ハミングやファーファは柔軟材と言われておりちょっと違うようだ。エマールの詰め替え用を買おうと思ったのだが、480mlで198円。安くはないけどドラッグストアの平均的値段だ。定価よりは安いけれど、底値というわけではない。さて買おうと思ったら隣には本体が198円で売られている。今月の目玉らしくて確かに安い。しかも容量が500ml。こちらの方がお得ではないか!!さてこちらを買おうと思ったけれどなんだか納得できない。省資源、ゴミ減量のために詰め替え用を買おうと思ったのにそちらが割高なんて。
ちょっと複雑な気分になっているとその隣にはナショナルブランドではないおしゃれ着洗いがあった。値段は138円。おお、と思ってエマールと成分を比べてみるとほとんど同じ。主成分である界面活性剤はポリオキシエチレンアルキルエーテルでまったく同じ。使用量もほぼ同じ。これぞまさに廉価版。ということでこちらを購入。エマールのボトルは洗って再利用することししよう。
今聴いているのは、書上奈朋子 [della copla mia]
エンマに
1915年12月6日もっとも単純な出来事すら、それが何を準備しているのか、けっして分かりはしないのだから、僕はもう一度これを最後に、僕の愛情のすべてを、そして、もし何らかの事故によって、君が現在も未来も同様に幸せであるために、僕がやり遂げたいと思っていることが成就しなかったら、僕がどれほど辛い思いをするか、ということを君に言っておきたい。
そして君、いつまでも僕の可愛い人でありつづける人よ、どうか、僕たちの小さなシュシュの中にいる僕を愛してくれ・・・・・・。君たち二人だけのために、私は断じてこの世を去りたくない。
君の夫C・D
スクワル・デュ・ボワ・ド・ブローニュ、24番地 12月6日、午後11時
ドビュッシーが死んだのは1918年3月25日。これはその2年ほど前、手術を受ける直前に妻に送った手紙なのだが、もう完全に遺書である。書簡集には本物の遺書はなかったけれど、この時点で一度死を覚悟したのだろう。シュシュは彼の愛娘の愛称。「シュシュの中にいる僕を愛してくれ・・・・・・」とはとても印象的な言葉である。
昨日、ニュースを見たら広島交響楽団が音楽を体で感じるという子供向けプログラムの演奏会の様子を放送していた。使われている曲がドビュッシーの「海」だったので思わず画面に目が行ったのだが、なんだかなあ。手をひらひらさせる様子はタコやイソギンチャクのようだったし、他の子供の動きにシンクロさせようとしているのもわかってちょっと興ざめ。客席に座ったままmでタコ踊りしている子供、不思議な顏半分、楽しげな顏半分だった。妙なことをさせるくらいなら、演奏中の舞台に子供を入れてあげればいいのに。
それにしても海はいい曲だ。弦楽器は弾いてもあまりおもしろくないかもしれないけれど、フルートをはじめとして木管はその力量が試されるだろう。規則正しいけれど、同じではない波の様子や光によって色や表情を変えていく海の様子を思い浮かべる。ドビュッシーの海に対する憧れは強く、それがこの曲に結晶したのだろう。デュラン社からでた海のスコアの表紙が葛飾北斎の冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」であることは結構有名である。
持っているのはコンセルトヘボウ、ハイティンクのCDなんだけれどかなりの名演です。
今聴いているのは、クロード ドビュッシー
交響詩 海
1 海の夜明けから真昼まで
2 波の戯れ
3 風と海との対話
ドビュッシーの音楽といってまず思い浮かぶのはピアノ曲だろう。「前奏曲集」や、「ベルガマスク組曲」、「アラベスク」だろうか。その次に有名なのはオーケストラ曲だろう。「牧神の午後への前奏曲」や「夜想曲」、「海」は聴いたことがある人も多いと思う。
個人的に好きなのは室内楽である。ピアノも室内楽だけれど、それ以外のドビュッシーの室内楽はもっと評価されても良い。「弦楽四重奏曲」、「チェロソナタ」、「ヴァイオリンソナタ」、「フルートとビオラとハープのソナタ」、「シランクス」、「ピアノトリオ」などの室内楽をはじめとして、「ビリティスの歌」、「リア王」、「放蕩息子」など朗読や歌の入った曲もある。「ペレアスとメリザンド」や「遊戯」のような歌劇もあるしほんとに音楽の種類が豊富。
同じ時代を生きたラヴェルも曲の種類が豊富でおもしろい。ピアノ曲も多いしオケの曲も多い。それにラヴェルは歌曲だって作っている。CDでもカップリングされていることが多いので聴く機会も多いでしょう。書簡集を読む限り、ドビュッシーはラヴェルのことを「才能はあるけれど奇術師のような音楽。1度は人を驚かせるけれど2度目は驚かない」と評しているのも興味深い。
ドビュッシーのピアノトリオは学生時代の習作なのでお薦めしないけれど、3つあるソナタや弦楽四重奏曲はお薦めです。ビリティスの歌とシランクスは異世界へ連れて行かれそうな雰囲気がある。
ついに書簡集を読み終わってしまった。
今聴いているのは、Claude Debussy [La Mer]
時は1915年。ドビュッシー最後の曲となる「ヴァイオリン(とピアノのための)ソナタ」の作曲を終えてしまった。3楽章に手直しが入るので完成は2年後の1917年になるのだが。友へ宛てた手紙でも体調不良を訴えている。これこそが彼の命を奪う癌の兆候なのだが。
今読んでいるのはドビュッシーの書簡集。ドビュッシーが知り合いに宛てた手紙で構成されているので、話がわかりにくいのだが2人目の妻と結婚し、それが原因で友達が入れ替わってしまうあたりからおもしろい。ドビュッシー、名声は得ていたが不遇の生涯だったようだ。今読んでいるのは1915年9月のデュランへ宛てた手紙。デュランとはそう、スコアの版権をもっていたジャック デュラン。娘のエマも10歳となり、ドビュッシーは彼女にも手紙を送り始める。「天才チェルニーはどうしている?」なんて書いてあるし。おもしろくなってきたのだが、残りのページがいかにも少ない。戦争も始まってしまったし。あと2年、彼はどのようにして生きていくのだろう。
今読んでいるのは、フランソワ リシュール編 [ドビュッシー書簡集]
今聴いているのは、ドビュッシー [ヴァイオリンソナタ]
ずいぶん昔にわかぎえふという人の本を読んだ。「わかぎえふ」は中島らもの元マネージャであり、劇団リリパットアーミーの主宰の一人である。ふと図書館のマ行、ワ行をながめているとある本が目に入った。それは「女体の神秘」という本だった。タイトルはエロイけれど表紙はエロイという感じではなく、バカっぽい感じ。こういう本は男は読まないほうがいいのかもしれないと思ったのだが、思わず手にとり、思わず読んでしまった。うーんそうだったのかというのが素直な感想だけれど、ちょっとブルーになってしまったのも素直な感想。ま、事実なのでしょうがないのだけれど。
もう1つ知った秘密はブーツについて。今でこそブーツは冬の定番アイテムだけれども5年ほど前までは選ばれた者のみがはくことができるものだった。そう、足がそこそこ細くないとブーツは履けなかったのだ。少なくとも大学時代にはそういう制度だった。しかし数年前から、ブーツには足のサイズとは別に胴回りというかふくらはぎのサイズも表示されるようになっていた。これによりブーツは万人のアイテムとなったわけだが、水着売り場と同様にブーツ売り場にもサイズによるヒエラルキーが生まれたと思う。
今聴いているのは、フォーレ[ピアノトリオ]
最近、携帯電話の機種変更を行った。携帯は喋れて、メールができて、ネットができて、安ければいいという考えなので最新機種ではなく、廃盤スレスレの機種となった。第三世代化がもっとも送れているVodafoneでは3Gに乗り換える意味は極めて薄い。3Gの利点としては海外でもつかえる、音声通話の品質アップ、パケット通信速度の向上が挙げられる。海外ローミング以外は新しいサービスではなくて、単なる改良。料金アップしてまで乗り換える利点は薄い。
というわけで第2世代、消え行くPDCの端末となった。webの速度が遅いのは数秒の我慢が必要なだけだ。1kバイトで2円は3Gと比べて3割ほど高いが基本料金の安さで元が取れているし、乗換え案内くらいしか使わないから問題なし。Vodafoneは3Gに力を入れているので、第二世代の端末は品薄となっていた。消去法で決めたシャープの端末はなんとテレビとFMラジオが付いている。おまえは携帯電話だろ?といいたくなるけどテレビである。画面は小さいしアンテナもしょぼいけれど条件によってはかなり綺麗に写る。布団の中でこっそり見るのにもってこい。こっそりひらめっ娘学園でも見るとしよう。もうひとつ新しい機能は2次元バーコードのQRコードが使えるようになったこと。ただし、携帯でネットはあまりしないから利便性は低い。楽しいからおもわず読み込んでしまうのだけれど。
さて、携帯はこのところ脱携帯を目指している。いや、携帯されるのだから携帯という言葉どおりの家電になっているのか。脱携帯電話。家電にケータイという新しいカテゴリーを作ったほうがよいのかも。ケータイに組み込めるのは電話、メール、ネットなどの主機能に加えてデジカメ、音楽プレイヤ、テレビ、ラジオ、電子マネー、ボイスメモ、フラッシュメモリ、GPSなどの機能を組み合わせて製品となる。これらの機能は既に実装されており、電話よりもメールやデジカメの方が利用頻度の高い人もいるだろう。もはや携帯電話ではなくてケータイであった。
これは大きな進歩だと思うけれど、そのために液晶がでかくなり、バッテリもでかくなった。テレビなどをつけたら通話品質が下がるかもしれない。重く、電池の持ちの悪くなったケータイは携帯という意味では違う方向に進化している。さて、第三世代ではそれほど驚くような進化はないけれどケータイはどのような進化を遂げるのだろうか。
今聴いているのは、イタリア民謡[帰れソレントへ]
年頭から日本をにぎわせた偽札騒動。年始のドサクサで使おうと計画をしていたのだろう。カラーコピーを応用したものなのだろうか、見た目はそっくりだけれど透かしがなかったり手触りがいまいちだったりしたらしい。出店などで忙しかったら手触りまで確認しないだろうし季節柄手袋をしている人も多かったということだ。
ニュースでは「こんなテキヤを狙って、かわいそうだと思わないのか」といいたげな映像が流れていた。被害者は何の補償も受けられないからかわいそうだけれど、だからといって犯人が偽札を銀行に持っていくわけはない。犯罪は常にカモられやすいところが狙われるのだから。
同じようにひったくりも老人や若い女性がターゲットとなっているが、弱者を狙って!ということを暗に意図しているニュースもある。誰も若い男や柔道部員を狙ったりしないだろう。
また同じように街頭でのアンケートやキャッチセールスなんかも顔で判断して寄ってくる。群集にまぎれていながらも彼らはカモ顔を見分けて近づいてくるわけだ。それは当然。彼らは犯罪者ではないけれど、効率良く仕事をするために自然とそうなるのだ。私はそんな人たちにとってカモ顔に見えるようで、かなりの割合で近寄ってくる。「あのー」と声をかけられても、振り向かない、聞かない、見えないふりをすれば素通りなのだが、相手が近づく前に早足で歩くという予防措置をとるのも有効。そう簡単にカモられるわけにはいきません。
今聴いているのは、オルフ[カルミナ ブラーナ]
愛しているよ。だって君って人は知りたいことをいってくれるから。
ほんとだよ、そのことはすぐにわかるさ。
そう、知っているんだ、ぜったいぜったいぜったいブルーにならないって。
君は今僕のもの。幸せすぎて泣けてくる。
僕が泣いていても、やがて理由がわかるだろう。
悲しいからじゃなくて、君が一番の人だから。
こんなとが起こるなんて、信じられない。
悲劇なんて、存在しないと思ってしまうよ。
僕に聞いてみてよ、君を愛してるっていうから。
そしていつでも君のことを考えているから。
これはthe Beatlesの「Ask Me Why」という曲。デビューアルバムである「Please Please Me」に納められている。当時のthe Beatlesはアイドルバンドという位置付けだけれど歌がうまくメロディが(当時としては)新鮮だった。
そしてこの曲。強烈なラブソングに世の女の子はメロメロになってしまったのだろう。多くの曲が2分程度だし、ラブソングと失恋ソングが程よく混ざっていて心地よい。歌っても楽しいアルバムです。
今聴いているのは、the Beatles [Do you know a secret]
地震というか自然災害に関して予知をするのは非常に困難である。それは天気予報がなかなか当たらないという事実から容易に推測できる。天気予報の降水確率とは、過去に似たような気圧配置、天気概況の時にどれくらいの割合で降雨があったかに基づいている。データがたまるほど正確になっていくが積極的な予知ではないし天気予報官の主観もあるからなかなか難しいだろう。
地震を予知するのはかなり難しいようで、基本的には発生してからいかに早く警報を出し対策をすることができるかが重要だろう。海岸付近では津波の危険性があるが、地震発生から15分で津波が来た場合、どれほどの人が非難できるか疑問である。どこでどんな自然災害が起こるかなんてわからないから、常に少しは覚悟をしておく必要があると思う。
実家のある静岡県は今後数十年以内に大地震が起こるといわれている。浜松市のサイトには被害予想地図や自主防災方法などが載っており読む価値は十分にある。学校や職場などからどうやって家に帰るのか、どこに集合するのかなどは考えておくべきことのようだ。
地震発生後、携帯電話のパケット通信は比較的早く利用可能になるらしい。一般電話、携帯での音声通話は発着制限がかけられるのが常だが、新潟の地震ではパケット制限は行われなかったのだと。ということで家族向けにメーリングリストと携帯で使える掲示板を用意した。地震の発生が十年以上先ならば無駄に終わるだろうけど明日地震が起きた場合には役に立つかもしれない。
10年前の犠牲者のために、フォーレ [レクイエム]
嫌いではないけれど、決して好きではないものがちょっとある。自分から選択をすることはないだろうけれど、人からすすめられた時に断るほど嫌いでもないというもの。
例えばミカン。オレンジなど他の柑橘類は好きなのだがミカンは好きではない。年間消費量も例年3個くらい。味に当たり外れがあるのが好きでない理由だろうか。
例えばスキヤキ。豪華な鍋の代表格のスキヤキも好きではない。牛肉がまずあまり好きでないし、甘い牛肉にも違和感を感じる。そして生卵。非常に違和感を感じる料理だ。次の日のうどんは好きなのだが。
例えば餅。元日は雑煮を食べるが、2日からはパン。大福や団子などの餅は好きなのだが雑煮や磯辺焼といったのし餅が好きではない。食べにくいのが好きでない理由だろうか。年間消費量は3個かな。
例えばガム。電車の中でおっさんの噛むブルーベリーガムの匂いをかいでからというもの、ガムをすっかり嫌いになってしまった。人にすすめられたら食べるだろうけど。それ以来、ガムは一度も口にしていない。
一方で自ら選択することはないだろうものも存在する。
例えばトレンチコート。カーディガンも似合わない自信があるのだがトレンチコートはもっと似合わないだろう。トレンチコートはもともと軍服で肩にあるストラップは銃をつけるためということを知っては着る気が起こらない。
例えばローファー。あるいはモカシン。なんとも中途半端なあの靴。男向けの靴とは思えない。どうしても女子高生の指定靴のように思えてしょうがないのだ。
というわけで僕にミカンをすすめないでください。
今聴いているのは、ラヴェル[亡き王女の為のパヴァーヌ]
ノロウイルスが流行している。主に老人向け養護施設での感染なので普通の健康な人は大丈夫なのかな?と思っていたら職員にも死者が出ているように抵抗力があるからと過信はできない。そもそもノロウイルスは牡蠣などの2枚貝の食中毒の原因となるのだから普通の人にも十分感染するわけだ。
ウイルスというのは生物はない。非生物なのだけれどDNAかRNAを持っている。けれど代謝は行っていない。だから生物でもないし、非生物でもないというやっかいな構造体。インフルエンザ、風邪、AIDSなどウイルスによって引き起こされる疾病には有効な治療法がなく、インフルエンザのようにワクチンを使うか感染を予防することが有効なのである。医学が進化したとはいえ、風邪はまだまだ対処療法しかないのだからね。
さてさて、空気が乾燥してくるとインフルエンザの季節です。人間のインフルエンザにはタミフルという薬が開発されている。これもウイルスを直接不活性化させるわけではなく、他の細胞への感染を阻害するのが効力。だから発症後48時間以内に服用する必要があるのです。強い悪寒や関節の痛みがあったら病院へ行った方が無難でしょう。
今聴いているのは、gontiti [Sound Of Music]
CDを置く場所がなくなってきたので、たいして欲しくないCDを衝動的に買うのは控えている。レコードやLDと比べるとずいぶんと省スペースなのだが、200枚以上を超えると結構なスペースをとる。どうしたものか。
PCでiTunesなどを使ってmp3で保存するというのはまこと便利。携帯用のCDプレイヤでも聞くことができるし、HDDは将来も値上がりすることはまずないだろうから容量的にも安心できる。手持ちのCDをすべてPCに保存して、CDを処分するというのはまだまだ現実的ではないけれどいずれはそうなるのだろうか。
もう少しmp3が普及すれば現実的になるかな。音質の問題もあるかな。
今聴いているのは、ラヴェル [弦楽四重奏曲]
サーバの復旧によってblogとBBSが復活いたしました。oneway ticketに書いた分はぼちぼちアップしていく予定です。
今読んでいる、「ドリアン グレイの肖像」という本がおもしろくなってきた。この本には布製のカバーをかけてあるので、家で読むよりも外出中に読む本としている。そのため読むスピードが非常に遅いのだが内容がおもしろくなってきたのでおもわず読んでしまう。ドリアン グレイは美貌を持つ青年でそれゆえ社交界でも引く手あまたなのだが、ふとした拍子に、老いることや醜くなることに気がついてしまう。そんなとき、ドリアン グレイは自分の肖像がを前に行動をとるのだが・・・・
さて、新春の和菓子の花びら餅はほんとにおいしいですね。甘さと味噌餡の塩味が絶妙です。
今聞いているのは、ドビュッシー [ラ メール]
ナショナルジオグラフィックの8月号のひとつ目の特集は肥満だった。かなりおもしろい。肥満とは一般的にBMIで判断される。BMI=体重(kg)÷身長(m)×身長(m)。これの値が25より大きいと肥満と判断され18.5より小さいと痩せていると判断される。BMIの標準値は22であり、この値の時人間は病気にかかる率がもっとも低いのだという。
さてアメリカでは30%の人が肥満であり、しかもアメリカの定義する肥満とはBMIが30以上の人なのだという。確かにアメリカには太った人が多かった。カリブ諸島などの小さな島国では従来食料事情がよくないために、太りやすい遺伝子を持っている人が多いらしいが、アメリカ人の太りすぎはただもう食事が原因だろう。
一般的に子供というのは親と同じような食事を好む傾向にあると思う。親を反面教師としない限りは、小さい時から食べなれたものは大人になっても好きなままなのだ。実家で冷蔵庫にジュースが入っていることはほとんどなかったし、ファストフード(ファーストフードという言葉も間違いではない気がする)を食べることもあまりなかった。薄味が好みなのも家の味付けがそうだったからだと思う。
特集の記事には肥満の人と普通の人のCTスキャンの映像がある。頭からつま先まで垂直に写っているのだが衝撃の映像である。筋肉の付き方や形、骨格はほぼ同じなのに分厚い脂肪がくっきりとある。豚の三枚肉なんて問題じゃないほどの脂肪分。わき腹やわきの下にある太りすぎによるヒダヒダもくっきり。そして脂肪の層にも血管がはしっているのである。うーん、それは体に悪いよ。各種臓器の機能なんて変わらないのだから、過負荷をかけてしまうのだろう。
今聴いているのは、チャイコフスキー [交響曲第6番 悲愴]
「I'll be home for Christmas クリスマスはわが家で」は先週の土曜日に放送されたER8のタイトル。久しぶりにみてもERはおもしろい。熱心に見ていたのは4thシーズンまでだろうか。看護婦も知っているのはヘレンくらいだしドクターもベントン、グリーン、ウィーバー、カーターくらいしか記憶になかった。そしていつのまにかスーザンが戻ってきているのにも驚いた。
テレビを見ているとクリスマスへのカウントダウンをやっていて辟易してしまう。キリスト教徒の宗教行事であるのに日本ではすっかり市民権を得ている。まあクリスマスがサービスや産業と密接に関連付くことができたからここまで普及したのだろう。その点、花祭りは苦しい限り。ERを見ていてクリスマスというのは特別のだと実感。ホリデーシーズンでもあるし、会話の中にも「よいクリスマスを」という言葉が何度もでてきたし。
ERは季節が移っていくドラマ。長編なので当たり前だけど。なぜ日本では若者向けの長編ドラマが成立しないのだろう?そこまで金をかけたくないのか?技術がないのか?唯一の長編は渡る世間かな?そして去っていくドラマでもある。今回はついにベントンがERを去っていく。1stシーズンで強烈な出会いをしたベントンとカーターが別れの場面でも顔を合わせる。ベントンに別れの品をあげるカーター。それは(多分)電車のトークンでベントンがまだ研修中だったカーターに与えたもの。「決意が決まったらこれで戻って来い」といって。カーターがそれをベントンに「これで帰ってきてください」といって渡していた。ベントンは「これはもう使えないだろ」というとカーターは「迎えに行きますよ」うーんうまい。カーターとベントンはまったく正反対。白人で裕福なカーター、黒人で苦労をして医者になったベントン。けれどいつのまにか認め合う存在になっていたのですね。
今聴いているのは、Ravel [String Quartet 2mov]
TOPページの画像を更新しました。これは私が撮った画像ではありません。「flickr」という画像の共有をすすめるサイトの「girl friend」というtagに分類されているものからピックアップ。4枚目の画像は Felix the Cat'sによるもの。
今回、girlfriendを選んだのはgirlfriendの写真をこのようなネットに掲載するか?という単純な疑問から。それともう1つ、愛する人へ向けられているまなざしを一番ダイレクトに感じられるから。この感覚とは妙なものでカメラに向かって「あなたが大好き!」といっているわけであるが、あなたとはもちろん私のことではない。この奇妙な錯覚はまこと不思議である。普段、見知らぬ人からこのようなまなざしを向けられることはないので、妙なのである。そしてカメラで撮っているであろう彼の存在。写真を通してその人がgirlfriendに向けるまなざしというものを感じることができ、これまた妙な感覚である。
このまなざしというのはまこと強力である。すれ違う見知らぬ妊婦は、かなりの確率で腹に手をあてている。綺麗な服をきてお出かけ中の妊婦もそう。公園で休んでいる人もそう。これらは愛する我が子へのまなざしの代わりに他ならないのだろう。
というわけで普段とは趣向を変えております。
今聴いているのは、ラヴェル [クープランの墓]
あまり知られてはいないが広島には自動車会社のマツダの本社と本社工場がある。広島カープもマツダの経営者だった松田氏がオーナーである。現在ではマツダはフォード傘下であるのは有名。数日前に広島市宇品にあるマツダの主力工場で火災が起きた。中国への輸出やデミオ、RX-8、アテンザの売れ行きが好調で24時間のフル操業をしていた工場の塗装ラインから出火。火災はかなりの規模だった。発生は午前1時過ぎで、ぼちぼち寝ていた私はヘリコプターの音を夢み心地のなかに聞えたのを覚えている。金輪山からみたらすごい眺めだっただろう。
広島のローカルニュースでは広島市に多く存在するマツダ向けの部品製造の中小企業への打撃を連日報道していた。ゴムのパッキンを製造する工場では一日700万円もマツダに売っていたのだという。報道されるのは悲観的なニュースばかりなのだが一方で儲かっているところもあるはずだ。産業用ロボットは新しく購入されるだろうからこれはかなりの額になるはず。工場再建のために建築業者も潤うだろう。例のごとくこういったことはまったく報道されないのだが。
新潟の地震だって被害を受けた人がいる一方でビジネスチャンス到来!と喜んでいる人もいるはずだ。大人だったら御愁傷様でしたと口をもごもごさせながら仕事をするのだろうけれど、建築業界はしばらくウハウハなのではないだろうか。直接の復興が済んだ後は耐震工事があるだろうし。
今聴いているのは、奥田民生 [674]
獲得形質は遺伝しない。これは現在では定説である。獲得形質とは発生過程または生後に、環境や訓練などによって後天的に得た形質のこと。例えば字が上手いとか歌が上手いとか絵が上手いとかムキムキのマッチョであるとかは獲得形質といえるだろう。もちろん遺伝的に歌が上手いというのは肉体に依存している割合が大きいからありうるとしてもまあ獲得形質といってもよいのではないだろうか。塩水で芋を洗うサルの行動も獲得形質であって学習により伝播はするけれど遺伝による伝播はありえない。
字を書いていて、己の字があまり上手くないことに気がついたのは昔のこと。もちろんこれは遺伝ではない。途中で習字を習ったり、日ペンの美子ちゃんに教えを願っていれば美字な人となっていただろう。いやいや今からでも遅くないのだが。
祖父はもう亡くなって久しいが、いわゆる明治男であり、趣味であったが本格的に習字をしていた。農家でありながら習字をするってなんだかすごい組合わせである。小学生の時に私は祖父に硬筆を習っていた。祖父の部屋でマンツーマン。近くで感じる祖父の息遣いはやや荒く苦しそうであり、今にして思えばそれが初めて接した死のにおいであった。母は孫にはやさしく教えていたといっていたが、当の本人にとっては結構怖い習い事であり緊張していた。それも今ではいい思い出かもしれない。
過去には獲得形質は遺伝するというのが当たり前だったときがあった。それどころか自然発生説(ハエは腐肉から、ウナギは泥から生まれる)が信じられていた時もあった。今でもアメリカの一部では進化論が否定されているようだし、今は当然だと考えられていることも未来では笑い話の種になっていることもあるだろう。
知識というのも残念ながら獲得形質の代表ですね。まあたった1世代間で形質が遺伝したら生物はもっともっと多様性を獲得していただろうな。
今聴いているのは、長岡京室内アンサンブル ヴィヴァルディ[四季より 冬1mov]
OSにWindowsを使っている人でスタートアップにどんなソフトが登録されているか知らない人はこの機会に調べてみてはどうでしょうか。スタートアップは左下にある「スタート」-「プログラム」-「スタートアップ」とたどれば行き着く。この中に入っているソフトはWindows起動時に自動的に実行されてしまう。たいして必要でないDVDを見るソフトや音楽再生ソフトなんかが登録されていたら削除した方がいいでしょう。
使っているのは4つのフリーソフト。
「CzWTime」はPC内臓の時計を合わせてくれるソフト。なぜかPCの時計は狂いやすい。これを使えばPCとリアルな世界との時差ともおさらば。
「WWatch」は世界の都市の時刻を表示してくれる。カスタマイズが細かくできるので非常に便利。サマータイムも自動対応。
「HotClip」主な機能はコピーした内容を保持してくれること。100個と設定すればコピーの履歴を保持してくれる。かなり便利。
「IconTextBgColor」はデスクトップのアイコンの文字欄の背景を透明化してくれる。メモリに常駐しないので良いです。
今聴いているのは、Ravel 永野英樹 [クープランの墓 プレリュード]
官能小説はそれ自体でひとつのジャンル。フランス文庫がその代表だろうか。読んだことないけれど。ハーレークインは恋愛小説なのか官能小説なのかわからない。なぜなら読んだことがないから。ロマンスという分野なのかな?たまに毛色の変わった小説が読みたくなる時に手に取るのがこのエロ文学。官能小説ではないよ。
官能とかエロとかは非常にネガティブなイメージがあるけれどビデオだってDVDだってエロのおかげでメディアとして成長したことを忘れてはならない。エロは強いのである。さて今まで読んだ(年1冊程度のペース)なかで印象的だったのをご紹介。
「犬たち」
エルヴェ ギベール (著), Herve Guibert (原著), 佐宗 鈴夫 (翻訳)
かわいらしいタイトルにだまされた。犬の本だと思ったのだが犬とは人間の犬であって、しかも男の犬であるのだ。図書館で立読みしていて、なんてこったと思ったけれど借りて読んでしまった。なんともすごい本でした。この本でエルヴェ ギベールを知ったけれど「ぼくの命を救ってくれなかった友へ」もすごい本だった。フランスは大人の国です。
「砂の上の植物群」
吉行 淳之介 (著)
これはエロい。なんともえげつないエロなのである。詳しくは書けないほどのエロ。まだ吉行淳之介はこの本しか読んでいないのだが、彼の作風として考えてよいのだろうか。向田邦子の本にも不倫とかたくさん出てくるし、明治男は女遊びが許されるみたいな考えが伝わってきておもしろい。現在の方が性に関して開放的であると考えるのは短絡かもしれない。
「小鳥たち」
アナイス ニン (著), Anais Nin (原著), 矢川 澄子 (翻訳)
これはエロ文学を語るとかならず出会ってしまうのだがソフトなエロだ。作者がフランス人で薄くて表紙が白地に青の絵や文字だとエロ文学であるという法則を思い浮かべるようになってしまった。しかしエロさとしては序の口でむしろかわいらしいほどである。小鳥とは女子高生の事だったりする。今度はヘンリー&ジューンを読んでみようかな。この人は女性です。
一応オノレのサイトの品位を落とさないようにエロでも文学作品から紹介しました。いずれの本も表紙は文学系でありとくに小鳥たちと犬たちはスマートな感じです。カバーもかけずに読むという冒険をしてはいかが?なにげに人前で読んだりしてサディスティックなエロを満喫してはいかがでしょうか。
今聴いているのは、cinnamon [Hearts Can Heal]
向こうから歩いてくる女性を認めて思わずハッとしてしまった。その人が飛び切り美人だったり知っている人だったり誰かに似ていたというわけではない。その証拠にその人の顔に関する印象はまったくない。うん、思い出せない。目をひいたのはそのファッション。コートにマフラー、ブーツというこの季節ならいたって普通の服装。けれどマフラー、ストッキング、スカートにブーツまでもセルリアンブルーだったのだ。これには驚いてしまった。コートは茶色だったけれど。そうなんです、コート以外はすべてセルリアンブルー。マフラーはちょっとコバルトブルーのような鮮やかな色だったのだけれど、スカートとブーツは見事に少しくすんだセルリアンブルー。まあそんな色のストッキングは売っているだろうけれど、ブーツはかなり探したんだろうな。そしてその人はセルリアンブルーを愛する人なのだなとしみじみ思った。
一方で私は緑色の鞄を買った時にデパートの店員のおばさんに「緑色がお好きなのですね」といわれるほどの緑好き。その時は緑色のコートと緑色の小さな鞄を付けていたからだろう。そんなであるからセルリアンブルーな人の気持ちはよくわかった。よくわかったけれど似合う色と好きな色は別であるということも知っておかねばならない。緑は好きだけれど似合う色は茶色であるので、緑のシャツは持っていない。ズボンも持っていない。持っているのは緑の鞄と緑の財布。そして緑のマフラーか。うーむ緑が多いなあ。
今聴いているのは、ノイマン チェコフィル [ドヴォルザーク 交響曲第7番 3楽章]
日が沈んでまもなくしてから見た細い月が澄んだ空にあまりにもきれに見えたので今夜もふたご座流星群を見ようと思った。出現の極大は今朝の8時ころだったようで、つまり早朝の朝日が昇る前が一番たくさんみれた可能性があったようだ。昨夜観察した時には20分くらいで7個とまずまず。20個/時といわれていたからね。3つはかなり明るい流星だったのでその場所を見ていれば都会でも見れたのではないでしょうか。
星を見る時、すぐそばの太田川放水路の川岸へ行くのだがその土手には道路が走っている。信号もなく見通しもよいためけっこう速度をだして車が走るので油断ならないのだが、寒空のしたに人影を見つけた運転手は驚いているだろう。どうせなら敷布でもかぶってさらに驚かせてやりたい気分に毎回なる。脅かした車が事故ってもなんなのでやらないけれどその誘惑はかなり強い。
さて流星群の話。今日も一寸見ようと思ったけれど空はうす曇。大犬座の天狼星すら見えない空では流星は見えない。残念ながら今回のふたご座流星群はこれまでだろうか。明日でも見れると思うから見逃した人は挑戦してみてはどうだろう。
今聴いているのは、cinnamon [Promenade]
しばらく前に「24 twentyfour」というアメリカのドラマの2ndシーズンを見た。CTU(テロ対策ユニット)の工作員であるジャック バウアーが主人公でテロからアメリカを守るというわかりやすい内容。ジャックは目的のためなら手段を選ばない人間でテロの情報を聞き出すために拷問や射殺をいとわない。CTUの中でもはみ出し者だけれど、それらの行為は容認されている。ドラマを見る限りCTUはかなり攻性の機関である。アメリカのどこかの情報機関では同じようなことが行われているような気がする。
一方で日本にこのような機関があるのだろうか?ここまで攻性の機関が!この点なんとも心もとない。イラクで殺害された日本人を輸送するのはなぜか米軍だし、日本海の不信船やテポドン情報も米軍が頼り。第一自衛官で人間を殺した経験のある人がいるだろうか。終戦後、事故を除いて人間を殺した経験のある正規の自衛官はいないに違いない。傭兵部隊の存在も聞いたことがないし。
中国の原潜は余裕で日本の領海を偵察し、北朝鮮は日本人を拉致している。いつの間にやら日本はヤラレ国家として世界的に有名になっているではないか。日本が憲法で戦争を永久に放棄しているのは誇りに思うけれど、ぬかって領土を失うことにはならないで欲しい。日本人にとって国境とは海の上にあるために意識しにくいけれどロシア、中国、韓国、台湾と国境をめぐってもめているのを忘れてはならない。
今聴いているのは、John Lennon [Happy Xmas (war is over)]
平均寿命とはゼロ歳児の平均余命のことなんだと。なるほど、そうだね。日本人の平均寿命は男78.36歳、女85.33歳(日本人の平均余命 平成15年簡易生命表より)で平成14年よりもわずかながらのびている。平均余命はどうやら生命表というものに基づいて計算されるので例えば100歳の人の平均余命もマイナスではなく3年弱ある。ちなみに30歳の平均余命は男50年、女55年。なんか短く感じてしまうね。
今日はそういう話ではない。平均寿命が延びた、世界一だというニュースは毎年毎年聞いている。聞くたびに頭の中に思い浮かぶのは医学の進歩で寿命が延びたということ。もう少し具体的にすると、植物状態で生きたり、延命措置によって生存する老人というイメージをまず思い浮かべてしまう。なんか老人の寿命が長くなったのだと錯覚してしまう。最近ではそれが大きな要因となっているだろう。しかし忘れてはならない要因があった。それは乳幼児の死亡率が減っていること。昭和52年の出生千人あたりの乳児死亡8.9人、 新生児死亡 6.1人だったけれど平成14年では乳児死亡数3.0人、 新生児死亡数1.7人(対1000人)とかなり減っている。平均寿命アップへの寄与率を計算してはいないけれど結構影響がありそうだ。
もっとも新生児が多く生き残るようになってアトピーやアレルギーなどの疾患も増えたことも予想されるのだけれど。
今聴いているのは、cinnamon [Moments]
ふたご座流星群の出現の極大は13日から14日にかけて。今年は新月ということもあって観測には最適なのだと。天文観察の初心者が言うのもなんだけれど、街の灯りが届かない場所へ行けば一時間に50個程度をみることができるらしい。しかも出現する場所がふたご座ということで夜22時を過ぎれば観測可能になる。しっかりと厚着をして観察してみてはいかがでしょうか。
・ふたご座はオリオン座の左上にある。ボルックスという1等星と近くの土星が目印。
・極大は14日の午前2時くらい。けれど夜の間ならば見える。
・観測の邪魔となるのは街の灯り。山に囲まれた場所ならばよく見えるかも。
・外は寒いけどしし座流星群やペルセウス座流星群に比べれば観測条件はゆるいですよ。
流星の出現は12月2日から始まっているようです。
今聴いているのは、Stina [And she closed her eyes]
現在、喪中なので来年は年賀状を送らない予定です。年賀状の図案でいかにおもしろいものを考えるかがここ数年来の楽しみだったので今年はちょっとさみしい。このさみしさが喪中なのだろう。というわけでなぐさみのためにカレンダーを作ってみました。
カレンダーは重要です。毎日のように眺めるものでありながら、ほんとに気に入ったものを探すのはなかなか難しい。個人的には数字が枠に囲まれていなくて、シンプルで、「大安」などの表示がなくて、気に入った絵があるものを探している。卓上カレンダーとA5くらいの壁掛けカレンダーを探しているのだがなかなかない。かつて砂漠の写真の載っているカレンダーを買ってその1年間は心まで乾いたような気分で失敗した。アンセル アダムズのカレンダーはかなり素敵で第一候補なのだがサイズが大きくてちょっと高い。大学時代は年明けに生協のバーゲンで毎年入手していたのが懐かしい。さてさてどうしようと思っていたのだけれど、自作してみることにした。
カレンダーなんてデザインは単純だし、画像は手持ちのを使えばよい。祝日の設定は一応2つのカレンダーを参考にしたので間違っていないだろう。ハガキサイズ(あるいはA6)の小さなカレンダーができた。なかなか気に入っているので、机の横や台所の壁、トイレの壁に張ってみてはいかがでしょうか?
とりあえず4月分まで作成。忘れないうちに1年分作りたいものです。カレンダーの名前はもちろん「Four-Calendar cafe」。エクセルです。
今聴いているのは、CocteawTwins [Know who you are at every age]
浜松広報館は航空自衛隊をよく知ってもらうために(税金で)作られた建物。かなり立派な建物であり無駄な税金が使われているように思えるのだが、見ていて楽しい施設である。また新たな観光名所となっており休日は観光バスが何台も停まるほどの盛況ぶりなのだと。
航空自衛隊浜松基地は中級パイロットの訓練基地であり純国産のT-4という練習機が飛び回っている。雨の日も昼も夜も飛ぶこの飛行機は浜松市内のいたるところで見られ、騒音問題を起こしたりごく稀に部品を落としたり、かつては墜落したこともあった。というわけで浜松市民の自衛隊に対する感情というものは一般的にあまりよくない。けれど毎年行われる航空ショーはとても人気があり、この浜松広報館も人気スポット。普段はうるさくても軍隊って気になる存在だし、飛行機は見ていて楽しいのである。
浜松基地は航空自衛隊発祥の地ということでF-86とF-2のブルーインパルスが展示されている。F-104やF-4を始めとして懐かしのT-33(この騒音のせいで自衛隊嫌いになった人も多い)やヘリコプター、零式戦闘機なども展示されている。さすがにF-15は展示されていないけれど。格納庫内には解説の人(自衛隊を定年した人と思われる)がいてかなり詳しい説明をしてくれる。元パイロットだった人の話はおもしろい。燃料を満タンに積ん離陸しても30分で使い切る人もいれば2時間飛べる人もいるのだと。それほどパイロットの腕によって飛行機は変わるのだとさ。そしてそしてなんとコックピットに座ることができる!これはマニアにとってはたまらないのではないだろうか。そしてなによりラダーを踏めば垂直尾翼が動くんです。
建物の中には飛行機の装備品であるミサイルやレーダー、救難装備と基地の説明や役割が展示されている。基地の説明というのがとても細かく紹介されており、役立っているのです!!と言わんばかりなのですが。ファランクスの機関砲をみたのは初めてだったし、エンジンも透視図のように解説されていておもしろい。そしてカフェテラスの窓からは滑走路がとてもよく見える。こんなに滑走路がよく見える場所は国内にはないのではないだろうか。画像をクリックすると大きくなります。
楽器博物館と浜松広報館が浜松で訪れる価値のある箱物施設である。浜松に用のあるかたは是非どうぞ。予約すれば基地内見学もできるようだ。次はこれを狙ってみよう。
オフィシャルサイトはこちらです。
航空自衛隊浜松基地
航空自衛隊
おっと最後に追加。浜松市民ならば飛行機オタクでなくともこの程度は知っているものなのです。
今聴いているのは、ラヴェル ピアノ版[マ メール ロワ]
XXXさまきのう、きみの夢を見たよ。
きみからのメールももうすぐ100通。
今年の花見はいっしょにいけないよ。
ドラクエ、おれの続きをやっただろ。楽しみにしてたのに。もう終わりだ。
きみに貸したCD は砂に埋めてくれ。僕の記憶といっしょに………。
最後に言っとくけど、きみがスタバって呼んでたあの店、ドトールだから。じゃあね。
自動生成だけれども妙におもしろい。
今日は手抜きでした。
今聴いているのは、the Beatles [Norwegian Wood]
奈良県で小学生が殺されて犯人はまだ捕まっていない。テレビではすっかり忘れ去られているけど吉川友梨も今だ行方不明のまま。ああなんと恐ろしい世の中なのだろう、安心して子育てもできない、今子供をとりまく社会はどうなっているのか、というのがニュースの姿勢。だけれど冷静に考えてみて朝に子供を送り出す言葉として適当なのは知らない人について言ってはダメですよ、ではなくて交通事故に気をつけなさいである。小学生が遭遇する割合としては断然交通事故の方が危険なのだ。けれど車よりも不審者の方を心配してしまう。これには理由があるのだ。
以前、さおりさんからメールをもらったのだが人間の死に関して、死にゆくその人本人よりも残される人にとって死という問題が大きいのだと書かれていた。さらに残される人が死を意識してからほんとに死が訪れるまである程度の時間がある方が同じ死でも混乱の度合いが少ないのだと書かれていた。なるほどその通りである。予想できる死であれば、予想した時点でその死を受け入れる準備が始まっているのだろう。病気であったり老衰であったり緩やかに訪れる死は確かに存在する。一方で突然訪れる死というのはほんとにもってやりきれない。
誘拐の方を心配してしまう理由として事件の残虐性の他にも、交通事故による子供の死というのはどこかで受け入れており心の準備がわずかでもできているということが挙げられると思う。まさか誘拐事件の当事者になるとは思っていないからね、普通は。しかし親の気持ちを理解するのに役立つのは統計学ではなく心理学。分からないことや不可解なことはそれだけで恐怖の理由となるのだ。自動車を運転したことあるならば常に自分が加害者になる可能性を意識するのだが、さすがに自分が子供を誘拐し殺害することに思いをめぐらすことはできない。未知の領域で起こった事件を想像することは難しい。さて犯人は何が決め手となって逮捕されるのだろうか。
今聴いているのは、プッチーニ [母もなく、おお吾子よ、おまえは死んでしまったのね 歌劇修道女アンジェリカ より]
久しぶりにとても痩せている人を見た。痩せている程度ならば男性も女性もいるのだが、とても痩せているのは今ところ女性しか見たことない。これで3人目。とてもやせている状態とは、関節がふくらんでいるのがわかる状態。腕を例にするとよくわかる。手首から二の腕の間には肘がある。腕の中で一番盛り上がっているのは肘関節の手首側についている筋肉の隆起によるもの。隆起していなくても普通の人は凹んでいない。とても痩せている人というのは腕のなかで肘関節がぼっこりと浮き出ているような人のことである。このような関節をみると僕は北朝鮮やアフリカの飢餓の子供を連想してしまうのだが日本にも同じような人がいるのだ。なぜ?拒食症なのか?それともそのスリムボディが自慢なのか?と想像してみるが違和感しか感じない。
その人はカウンターの向こうにいるのでほんの少しだけ会話をする機会があったのだがショックなことに顔の輪郭がそのまま頭蓋骨のようであった。あと一歩で眼窩が落ち窪みそう。こめかみのあたりの皮膚は落ち込まないように一生懸命引っ張っているのである。体重は30キロ代なのだろうなあ。より痩せたいという願望を理解できないわけではないが、その願望には限界がないように思われる。1キロ痩せてももう500グラム痩せられるのなら痩せたいのだろう。逆にかなり太った人(100キロを超えるような)は女性の方が多いような気がする。何となく原付に乗っているのをよく目にするのだが。
自分の適正体重というのは確実にあり、体を動かしやすい、健康を保ちやすい、そして好きな服を着れるという基準で判断できると思う。
今聴いているのは、Stina[I see you again]
しばらく前に母方の祖母の葬儀が行われた。いつでも不幸は突然なのだが、葬儀に出席するのは今回で2回目だった。20代後半としては普通の回数だろうか。前回(父方の祖父)はまだ小学生だったのでおぼろげな記憶と小学生の理解度しかないのだが今回は色々とわかることがあった。つくづく経験しないとわからないことなのだと実感。
さて葬儀がすべて終わった後に考えるのはもちろん自分の番が来たらどうするかということだ。どの宗教に則った告別式を行うのか、または無宗教か。遺骨の安置場所は寺なのか、それとも公共墓地なのか。宗教に寛容な日本では意外とバリエーションが豊かなのだが、何も指定せずに死んでしまうと多くのことは自動的に決まってしまう。今の時点で自分の葬儀をどのようにして欲しいかということを考えてみた。平均余命が50年程度は残っているであろうからあくまでも現時点での考え。
・遺骨は海へ
・告別式は無宗教で
・墓は要らない
この3つを決めてしまうと葬儀は慣習から大きく外れることになるので葬儀を行う遺族にしたらさぞ大変だろう。香典は必要なのかという金銭を交えた問題を思いついたので
・故人の意思により香典は必要ないし香典返しもしない
の一項を盛り込むことにした。
死後の世界はないと考えているし宗教に対しても否定的。死んでしまったら自然の法則にしたがって是非消えてしまいたいものだ。覚えてくれる人が覚えてくれていればそれで十分。だからといって、祖母の葬儀に違和感を感じるわけではない。それはあくまでも本人、遺族の判断こそが絶対であるから。祖母の葬儀でも故人の意思に則って、霊柩車と白いハトの放鳥が行われた。このあたりの選択は祖母の性格の一端があらわれていてせつないものであった。
自分の告別式にはぜひともラヴェルの亡き王女のパヴァーヌを流してもらいたいところだ。オーケストラ版で出だしのホルンの響きが豊かなやつを。ピエール モントゥ盤がいいかもしれないな。
今聴いているのは、ラヴェル モントゥ指揮 [亡き王女の為のパヴァーヌ]
先日、イラン人に広島を案内した。イスラム教徒とのファーストコンタクト。初回教徒。ここではイランについて少しだけ買いてみたい。普通の日本人にとってイランで思い浮かぶのはどんなことだろう。ハタミ首相、イランイラク戦争、シーア派、エスファハーン、ホメイニ師そしてピスタチオ、こんなところが限界。しかしこれだけ知っていればかなり会話が弾む。イスラム世界がだいぶ近く感じました。
会話の中で好きな花は?と聞かれたのでチューリップと答える。するとイランでチューリップは殉教のシンボルなのだという。戦争で死んだ人の墓にはチューリップを生けるのだと。あれ?兵士や警官の死は殉職って言うんじゃない?と思って聞くとイランを統治するのは宗教指導者なのだと。つまり兵士も警官も戦争やテロの犠牲者も宗教戦争の犠牲者ということで殉教なのだと。そうだったのか、外国人が日本人に向かって好きな花は菊です、という場面を想像してみるがうまくいかない。日本で戦争を想像するなんて今の僕には不可能だ。兵士が死ぬことは想像できても、戦時中の国家や社会というものはまったく想像できない。日本は平和な国だ。
彼がいうには日本人にとってイラク人はあまり評判が良くないのだという。イラク人は親日派が多いので少々残念だと日本人を代表して言うとどうやら懐かしの偽造テレフォンカードに行き着いた。おぉ、上野公園で買えるものといったら10枚で1000円の偽造テレフォンカードだった。
今話題のアラファトにも話は広がる。イランではイスラエルやアメリカと手を握った裏切り者として扱われているようだ。これは多くのイスラム教徒を代表する感情かもしれない。現在のイスラエルとアラブ諸国の関係はうまくいっていないからね。アラファトといえばテロ組織の親玉だったのにノーベル平和賞を貰ってからは日本でもパレスチナの要人扱いだ。テロに屈しないのなら過去のテロ犯人も裁いて欲しいものだ。
WWIIでドイツ人によるホロコーストを受けたユダヤ人は安住の地としてイスラエルを貰った。もちろん、そこに住んでいた人を追い出した後の土地だったのだが。そのせいでイスラエルとアラブ諸国は戦争をしている。もっともなことのように思える。
話がパレスチナ問題になってきたので軌道修正。イスラム教徒にとって豚は不浄の動物であるのは有名。だから罵り言葉は「豚野郎!」なのだと。それは日本でも通じるというと笑っていた。イランの隣国であるアフガニスタン人はしばしば軽蔑の対象となるようで「このアフガン野郎!」も立派な罵り言葉。豚女は(外見だけでなく性格とかが)最低な女のこと。なるほど、豚はそこまで貶められているのか。日本においてでも人を豚呼ばわりするのは控えるとしよう。
最後に一言。世界は狭くなったといわれるけど、僕にとっては無限に広い。地球は一つだけれど世界は一つではなく、文化、人種、宗教、地理、気候といったものがそれぞれ世界を作っているのだから。対立したり、類似したり重複したりと世界はまったく複雑である。
今聴いているのは、ドビュッシー ウェルナー ハース:ピアノ [アラベスク第1番]
「産み分け法」でググルとそれらしいことがかいてあるサイトがたくさん表示される。けど、ほんとに産み分けなんてできると思っているのだろうか。遺伝子学の本家、家畜で産み分けが成功しているなんて聞いたことない。家畜の雌雄産み分けは人間よりも確立されたときのメリットが大きい。回数だってずっと多い。交配を管理するという歴史もずっと長い。家畜で成功していないのに人間で成功しているとは思えない。
それにしても図書館に育児書コーナーにある産み分け本が予想通り多かったのには驚いた。普段寄り付かない書架だけれどね。なんとも非科学的でもしかしたら気合の問題なのかもしれない。もっとも確率50%程度の賭けはかなり勝率が高いと言えよう。
今聴いているのは、エリック サティ[ジムノペティ 第1番]
友人のサイトであるふとしたことたちに触発された。14日のエントリでは携帯について書かれていた。しばらく前に私も考えたのだ。携帯が電車の定期券代わりに使えたり、コンビニなどでの決済に使えることを知ってどういうものかしらべてみた。それはつまり無線、非接触型の通信によって情報の伝達、書き換えを行うというものであった。最大の関心はバッテリーの消費量。昼間電話を使いすぎて電池切れとなってしまい帰りの電車に乗れないのでは笑い話だから。定期や決済で消費する電力は微小なので電池切れを起こした携帯でもバッテリーが入っていれば利用できるのだという。
現在保持している携帯にある機能は電話、メール、web、地域情報配信の4つ。webでよく使うのは電車の乗換え案内。終電も調べられるのでかなり便利。いまいち信頼性に欠けるのだが地域情報配信される天気予報もよく使う。カメラなぞは月に一度使うか使わないか。携帯のカメラのおかげで街角や店の中など至る所であらゆるものが撮影されている。ちゃも指摘していたが携帯なんて所詮は電話なのである。メールは付随機能としても財布の役割も背負わされたらそれは不便になるだろう。安全に対する備えは普通の財布よりも断然低い。水没や破壊された場合はお金のデータは復旧できるのだろうか。機種変更をしたときにお金データは引き継げるのか?返金されるのだろうか?携帯がボロクなってもちゃんど動くのか?怪しいところだらけである。これらの疑問にちゃんと答えられるならば使ってみる価値はあるかもしれない。
友人のサイトであるさいほさいと+で思い出した思いがある。7/11に関して。小学生低学年の頃、夜に寝つけなかったりふと目を覚ましてしまったとき、窓から見えた月には随分となぐさめられた。そしてその後、こんな夜中に外に誰かいるのだろうか?それとも一人ぽっちなのだろうか?と考えた。当時はまだコンビニなんて大都会にしかなく日付が変わっても営業している店はほとんどなかった。窓の外から車のたてるタイヤの音を聞いて確かに人間がいる証拠のように思えたものだ。今ではそんな話がウソのよう。スーパーも深夜営業。正月だって1日から営業している。それは客が来るなら営業したいだろうけれど、休みにするというのは十分英断だと思うな。夜中にもコンビニに子供がいたりするし。どこかで歯止めがかかるのだろうか。
今聴いているのは、ルッツ キルヒホーフ[Sonata for Lute in B dur]
trip:to get high on a psychedelic drug
違法合法を問わずドラッグを試してみるつもりは毛頭無いのだがこの感覚はどうなのだろう?と思うことはたまにある。個人的にこれらの経験を似非ドラッグと呼んでいるのだが。今までに2つ見つけたこの現象を紹介しよう。無害なので是非試してみてください。
「風呂でトリップ」
熱い風呂に入って急に立ち上がる。すると頭はくらくら、世界はグルグル、足元オロオロ。これをトリップといわなくてなにをトリップといおう。この現象のおもしろさに気がついてあやうく癖になりかけたのだが、その結末は滑って転んで風呂の角で頭を打って気絶・死亡、裸で発見となることに気がついて辞めた。裸で発見されるのはイヤだからね。第一このトリップは心臓に負担をかけるので年老いた人、心臓の弱い人、体の大きい人には薦められない。
「ラジオでトリップ」
風呂でトリップが肉体に作用するとすればラジオトリップは精神に作用する。よって不眠症、精神的に強くないと思う人には薦められない。やり方は簡単。枕元に小さなAMラジオを置き、NHK-AM第一にあわせ睡眠の邪魔にならない程度の音量にして眠るだけ。なんとも健全なトリップであるが、これをすると(僕は)必ず夢を見る。しかも変な夢なのだ。これがおもしろくて夢みたさにたまにやってしまう。代表的な夢は「田舎のディズニーランド」が舞台となっており登場人物も知っている人ばかりで驚くほどのリアリティがある。しかし夢の中で夢であることをなんとなく自覚しており、現実世界ではできないような無茶をしてしまうのがなんとも楽しい。先日見たのは斜度30度近い芝生の斜面でブリッジをしていた。もちろん田舎ディズニーランドになる斜面だ。その斜面では大学の某先輩がダウンヒルをしていて発見があったのを覚えている。
トリップというには大げさだというのは自覚しているが、変な感覚というのはなんとも面白い。最近連続して読んでいる梨木香歩の小説は大変面白い。内容はおっとりとして、文章自体も柔らかいのだがそこにはパラレルワールドが埋め込まれており軽いトリップ感覚を味わえる。ということで今日のエントリーでした。
今聴いているのは、The Beatles [Lucy in the Sky with Diamonds]