紅葉(もみじ)というと秋の紅葉(こうよう)がつとに有名だけれども、夏の紅葉(もみじ)の美しさは特筆すべきものである。夏の紅葉(もみじ)はなぜ美しいのか。夏の紅葉(もみじ)はどこが美しいのか。
楓の樹形はすらりとしていて、枝が多いけれども細いので華奢な印象がある。樹皮の色も淡いのでよりいっそう柔らかな感じがする。それに加えてあの葉色。緑茶のような涼しさをもった緑とあの形。葉っぱは5枚に分岐しており、薄いので光に透ける葉脈が見える。楓の葉の広げ方はきわめて特徴的で、隣の葉との重なり合いが最小となるように、上下の葉の重なりも最小となるように効率よく広がっている。木の下から見ると、柔らかな緑のドームのように見えるのが気持ちよい。
葉が風にそよぎ、葉と葉から見える空の形も絶え間なく変化する。もしかしたら楓の見頃は秋ではなくて夏なのかもしれない。多くの人が紅葉(もみじ)だ紅葉(こうよう)だと騒ぐ前の静かな時期に、楓を愛でるのは悪くない。
今聞いているのは、ドビュッシー [版画より 塔]
演奏は小川典子。ドビュッシーのCDでは初めて日本人の演奏を聴く。うん、音の粒がそろっているのは評価できるが、音の響きという点ではもう少し。以前よく聞いていたパスカル ロジェは音の粒より響き重視の演奏だった。音の響きには柔らかいという観点があり、それと音の粒という反対の要素の両立が難しいところなのだが・・・

発射10秒前になって打ち上げのことに気がついてテレビをみた。おお、すごい。もくもくと湧き上がるのは騒音・耐熱対策の水蒸気だと知ってはいるけれどみとれてしまう。しばらく見ていると固体ロケットブースタが切り離されるのを見れたし、なんとあの茶色の外部燃料タンクからオービタが切り離されるところまで動画で見れた。すごい、NASAの大盤振る舞いだ。
今回、日本人のミッションスペシャリストが搭乗していることもあってニュースで取り上げられることが多いのもうれしい。ちなみに「Return To Flight」というミッション名がなんとなくスターウォーズを思い起こしたりして個人的にはツボである。NASA TVというライブストリーミングTVがあって変化してゆく地球をみれるのが楽しい。というわけで以下はNASAへのリンクです。
NASA トップページ
NASA TV
Photo Galleries: Discovery Launch Day
今回はディスカバリーだったのか。
3つの歯ブラシを見た人はその人間関係に思いを馳せてしまうようだけれども、間違いなく1人で3本の歯ブラシを使っている。1つはごく普通の歯ブラシ。1つは毛先が細いもの、もう1つは奥歯用(本当はインプラント用)のとてもコンパクトな歯ブラシ。気分や歯磨きにかけられる時間によって使い分けている。
個人的に気に入っているのは小さな奥歯磨き。奥歯の裏や親知らずの周りはフロスでもうまく掃除できないのだけれどこれを使えばかなりすっきりとする。ただしインプラント用で毛が硬いのが使い心地を悪くしている。もう少しやわらかい毛ならばもっと気持ちよいだろう。この歯ブラシは歯医者が口腔内を見るときに使う小さな鏡のようにネックに角度がついているのがいい。鏡の前に座って自分の歯を見ながら歯磨きをするとどこにブラシが届いていないかよく分かって楽しい。これは歯医者で経験して知った方法なのだけれど家でやるとヨダレがダラダラなって難儀してしまう。
最近の電動歯ブラシはかなり評判がいいので気になるのだけれど、自分でブラシを動かす楽しみというものを僕は感じている。
今聞いているのは、磯村由紀子 [風の住む街]
胡弓(もしかしたら二胡かな)とピアノのゆったりとした曲。太極拳でもやってみようかしらん。本場中国の本をもっていることだし。
どうやら今日は満月。もう少しで南中かな。空はやや霞んでいるのでそれが満月の明るすぎる光を減らしてやわらかい表情を見せている。満月というと明るすぎて平面的に見えてしまうのだけれど今夜の月はそんな感じがしない。シャープな光が好きだけれどこんな夜もいいね。
好きな月にはいくつかパターンがある。一番すきなのは細い月。新月を迎えて3日後くらい。太陽が沈んだ西の空にやっと確認できる月とぼんやりと見える月の影の部分を見るのは確実に楽しみである。もうひとつ好きなのはうす曇を通してみる月。太陽は明るすぎるので雲があっても空は明るい。月だと雲の加減で真っ暗にもなるし、いきなり光が復活したりと変化が大きい。流れ行く雲の形もよく見えるしね。
月はなんだか人気の無い場所で見たいもの。
今聞いているのは、奥田 民生 [ION]
楽器屋でギターの試し弾きをしている人がいて、その曲が民生の曲だった。多分たったった。騒音の多い空間でいきなり耳に入ってきた音が知っている音だったのでなんだかうれしくなった。
さいほさいとに一生残る傷について書かれていた。彼女の場合、右手の甲にあるのだと。確かに誰にでもこの一生傷というものはあるだろう。少なくとも小学校中学年になるまでにはできるのかも知れない。今思えば何とも危ない遊びをたくさんしていたのだからあたりまえといえばあたりまえ。
僕の一生傷は3箇所。1つは右手の親指の付け根。3mm程度の小さな傷なのだけれどあの日のことは今でも覚えている。山の傾斜を利用して長いスベリ台のある公園だった。幅が5mくらいあって長い綱も垂れ下がっているスベリ台。僕は滑り降りている途中にその綱に触れてしまった。触れた個所は摩擦で肉がわずかに削られてしまい傷になった。手が痛いけれど特に血は出ていなかったので気が付かなかった。うっすらと体液がにじみ出ているのを発見したときには驚いた。そしてかさぶたができた後も傷跡は残ってしまった。この時、また手の右左をあやふやに覚えていたので傷がある方が右!と覚えるにも役に立ったものだった。
残りの2つの傷は左ひざにある鉛筆を刺したためにできたホクロのようなものと、兄弟げんかでできたほっぺたにある引っかき傷。引っかき傷はかさぶた状態で何度もはがしたので残ってしまったのではないかと思う。当時はラップ療法なんてなかったからなあ。思うに鉛筆ホクロを持っている人は意外と多いのではないだろうか。
最近、筋肉痛はあるけれど傷を作ることはめっきり少ないな。
今聞いているのは、フランク [交響曲 ニ短調]
なつかしのD Minor。モントゥー シカゴ交響楽団の演奏。聞きなれているのはカラヤンなんだけれどこちらの方がちょっとテンポが速い。しかしこの曲、地味だけれどいいんだよな。循環形式って言葉が懐かしい。
僕がHIVウィルスに感染している確率はなんと50%。うーむショック、となる前に当然この結果には前提がある。HIV検査の結果が陽性だったときに、ほんとにHIVに感染している確率が50%ということ。HIV検査は受けたことは無いが、もしも結果が陽性でもそれほど悲観することではないようだ。
50%という数字の算出方法はなかなかおもしろい。まずは検査を受ける人の母集団をローリスクグループとハイリスクグループに分ける。ハイリスクグループとは同性愛の男性、静脈注射のドラッグの常用者、静脈注射のドラッグ常用者の異性のパートナー、血友病患者、HIV感染者の母親から生まれた子供のいずれかに該当する人達。この人達がHIV検査で陽性だったときに実際にHIV感染者である確率は98.9%なのでこれは悲観すべき数値といえよう。ローリスクグループとは異性愛でまあ普通の生活を送っている人となるのだが、統計的にこのグループではHIV感染者が10,000人に1人の割合なのだと。また検査結果が偽陽性(HIVに感染していなくても検査結果は陽性となる)になるのも1人だから1/2の確率で50%になるのだと。これらの数字はアメリカでの数字なので日本人にあてはめるときには当然、HIV感染者数は少ないため感染している確率は50%よりも高くなるだろう。
医学は科学といっても100%の再現性は絶対ではなく、あらゆるミス、不備、検査限界により偽陽性の可能性は存在する。1度目の検査で陽性となった場合でも、ほんとに陽性である確率はそれほど高くないので状況を判断し追試を受けることが重要なようだ。偽陽性を認めない医者もいるようなので各個が用心するしかないようだ。
もうひとつ扱われていたのが裁判での確率の問題。裁判で提出される証拠の不確実性が示されている。DNA鑑定だって偶然の一致があるし、検査ミスは当然ある。それよりも検察・弁護人・裁判官があやまった統計手法によって判断をくだす場合だってある。たとえばO J シンプソン事件では弁護人は「虐待をしている男性がその相手を殺すのはほんの一部である」と弁護したのだけれど、統計的に有意なのは「パートナーに殺された女性のうち、虐待を受けていた人の割合」という方である。DNA鑑定の結果、証拠と同じDNAパターンの人の存在確率は0.0001%と言われたときにはどのような判断が妥当だろうか。これは10000人に1人は一致すると言っているので10万人都市では該当者が10人いることになる。というわけで結構怪しかったりするのがわかる。今読んでいるのはゲルト ギーゲンレンツァー「数学に弱いあなたの驚くほど危険な生活」。これは面白い本だ。
自分のPCでOSの再インストールということをしたのは初めてだった。こんなことになってしまった理由は簡単でブートドライブをフォーマットしてしまったから。そこにはWin98が入っていて、ほとんど使われていなかった。そのためWin98を削除してOSを1にしようと思っていた。Win98の削除は簡単に終わって、boot.iniを編集して普通に立ち上がる状態のときに何をおもったか「ほぼ空に近いからフォーマットしてしまおう」と実行してしまったのであった。
その結果、OSを起動させるファイルがなくなってしまったので、BIOSの後にwindowsは立ち上がらず、復旧もできなくなってしまってついに再インストールを決意。データは無傷だし、ソフトも別のドライブに置いてあったので意外と簡単に元の環境が戻った。思わぬ誤算というか、ちょっとうれしいことに起動がだいぶ早くなった。やはり使っているうちに垢のようなものがたまるのだろう。PCではあるが芯からリフレッシュという感じがしてなかなか心地よい。
というわけでしばらく更新が滞っておりました。
今読んでいるのは、上原善広 [被差別の食卓]
アメリカのソウルフード、ブラジルの奴隷の食事、ネパールでは最下層カーストの牛肉食そして日本ではあぶらかすとさいぼし。未知の世界だ。
初めからネタばらしをするつもりはないのだが今回の話、くさやのひものを食べたというものではない。数々のエッセーでくさやのひものについて書かれているのを読んだ。小泉武夫もくさやのうまさに言及している。どうやらくさやはうまいもののようだ。しかしくさやを有名たらしめているのはその味ではなく、匂い。くさや独特の匂いはしばしばウンコの匂いだと形容される。なんとなく想像できる匂いであるけれどしっかりと分別をつけておかなければならない。
くさやの匂いはウンコのような腐敗臭ではなくてウンコのような発酵臭なのだと予想している。ある種のチーズ、ある種の塩辛などにはこの多少なりとも同じようなウンコ系発酵臭が含まれているので匂いが想像できるのだが、これは食べてうまいと予想させる匂いだと思う。もちろん受け入れられるかには個人差があるだろうけれど。
まだ食べず嗅がずのくさやはいったいどのようなものなのだろう。そうそう遭遇する機会もなかろうが、そのいつかをひっそりと楽しみにしているのである。しかし匂いと記憶は時間を超えて強く結びついてしまうので悲惨な経験にならないことを祈りつつ・・・
今聴いているのは、the Beatles [Lovely Rita]
リタとは確か婦警の名前。ポールが駐禁で罰金をくらったときの警察官だったという話です。
そろそろ色々とデジタル化しておいた方がいいような気がしてきた。とりあえず過去の演奏会のビデオはDVD化した。1本だけコピーガードがかかっていたので対策を考えないといけないのだが。ビデオからビデオにダビングしてそれをHDDにダビングすれば可能だろうか・・・
紙媒体のものもデジタル化しておくと意外と便利。利用するのは紙の状態の方が断然便利だけれど検索性で利点がある。時刻表や過去のこまごまとした書類はデジタルに限る。というわけで小学校時代の書類を少々と神道の祝詞をデジタル化。続いてチャイコフスキーの6番の練習の録音をデジタル化。これは竹本先生コマで3楽章と4楽章。持っている人は持っているが結構レアアイテムではないのだろうか。カセットからPCにアナログで取り込んで音量の変更をして10分程度のファイルにしてmp3にして完成。使うソフトは「Sound Engine」だけでOK。とっても便利なフリーソフトです。
さて後はデジカメ導入以前に撮ったカメラフィルムをどうするか。もう焼き増しはしないだろうからネガに未練はないのだけれど、保存しているフィルムはデジタル化したい。やはりスキャナーかな・・・
今読んでいるのは、スティーブン キング [死のロングウォーク]
これは少年100人がひたすら歩くのだが、時速4マイルを下回ると警告。警告を3回受けると殺されるという設定。シンプルな設定での長編のおもしろさはさすがキング。現在残り64人。
だまされていたというよりは知らなかっただけなのだけれど。ホールトマトの缶詰からトマトソースを作るのはお手の物となって久しい。作り慣れたというよりは簡単すぎるので失敗することはありえない。ホールトマトは大抵イタリアからの輸入品であり細長い形のトマトがラベルに描かれてることがある。そう、この細長いトマトこそが加工用トマトとして名高いサンマルツァーノ種なのである、と思っていた。ラベルにはトマト水煮と書いてあり固形分の分量と酸化防止剤として添加されているクエン酸、トマトジュースで原料の全て。さらにイタリア語で書かれているが日本語に訳されていない部分をなんとなく眺めていると「Tipo Sanmarzano」という文字を発見した。「Tipo サンマルツァーノ」だというのはすぐわかったがTipoとは何ぞや。
Tipoとは英語で言えばTypeである。そう、サンマルツァーノタイプのトマトを使っているのであって決してサンマルツァーノではない。サンマルツァーノはイタリアでも希少種となっているよう。そうなのか貴重品かと思っていたら最近、輸入食材店でサンマルツァーノのホール缶をついに見つけた。値段は210円なので倍はするけれどそれほど高いというわけではない。今度味を試してみなければ。
しかし日本のファースト系のトマトでトマトソースを作ってもかなりおいしい。これはもうできたての味というか家庭の味の勝利というかほんと煮詰めたトマトと塩、オリーブオイルだけでシンプルでおいしいポモドーロのできあがり。トマトが安くなってきたのでこれを試す価値は十分にありますよ。さて缶詰のサンマルツァーノはフレッシュトマトを越えることができるのだろうか。
今聴いているのは、アンセルメ スイス・ロマンド管弦楽団 ラヴェル[クープランの墓]
演奏にムラがあるのか、それとも盤によって演奏の質が異なるのかアンセルメのラヴェルは結構評価が分かれている。この曲は前奏曲の出だしのオーボエがいまいちで残念。亡き王女の為のパヴァーヌはなかなかよかった。1960年、1961年の録音です。
今、ゲルト ギーゲンレンツァー「数学に弱いあなたの驚くほど危険な生活」という本を読んでいる。副題は「病院や裁判で統計にだまされないために」とある。統計を少しでも学んだことがあるならば、公平な数字、誤解の少ない数字を求めることは意外と面倒で世間には怪しげな統計結果にあふれていることにすぐに気がつくのだがやはり具体的に説明されるとさらに納得する。この世は怪しげな数字に満ちている。
今読んでいるのは前半部分で医療分野の統計では乳がん検診に焦点をあてている。ドイツで乳がんの集団検診が始まったのだが統計学上ではその意味はかなり限定されている。乳がん検診を受けてメリットがあると言い切れるのはつまり50歳を超えてから。40代、さらに30代での検診ではメリットは薄く相対的にデメリットが増えてしまう。ある調査では40代で乳がんの集団検診を受けた人の乳がんによる死亡数は1000人に3人で受けない場合では1000人に4人。たった1人しか差がない。一方でデメリットとしては非進行性のガンが発見され外科手術によって摘出されてしまうこと。乳がんは非進行性の割合が40%程度と多いので、乳房を欠損してしまうことの精神的ダメージを考えるとデメリットはなかなか大きい。自分の体の一部が欠損したところを想像してみたけれどやはり想像できなかった。
乳がんに関して引用すると「最近、コンセンサスを得て出された国立衛生研究所の声明は、「現在までに入手できたデータからは、40代女性に乳房X線検査による一斉検診を勧めるべきだという結論は出ていない。女性はそれぞれが自分で、乳房X線検査を受けるかどうかを決めるべきである。」(p82より引用)となっている。およそ日本では聞かれることのないような声明なのだが厳格に数字に答えを求めればこうなるのだろう。早期発見早期治療がガン治療の基本なのはわかるけれど、検診の結果に有意な差がでるのが女性の場合50代からということは覚えておいて損はなさそうだ。ちなみに男性の乳がんの罹患率は乳がん患者の2%程度。
さて裁判所では何にだまされているのだろう。証拠の確定に関してかな?
今聴いているのは、the Beatles [Anna]
iTunesのパーティーシャッフルを始めて使っている。持っている音楽ファイルのジャンルが多いのでこの機能を使ったことはなかった。ロック→クラッシック→落語という風になるのは嫌だから。しかしプレイリストを作って使えば結構いいかも。ちなみに次の曲はSea Of Monstersとある。
「『アイデア・ブック スウェーデン式』フレドリック・ヘレーン ダイヤモンド社 2005/03/11」。この本の著者はスウェーデン人で本の内容は自己啓発という言葉がぴったりくるのだと思う。発想の転換のヒントが書かれている。題名にスウェーデン式という言葉がついているけれども、この発想方法がスウェーデン独自のものというわけではなく、著者がスウェーデン人だからというのが理由なようだ。その意味では少々惑わされる題名である。
「レンガの使い道を50通り考えてください」、「毎朝同じように行っている事に関して10通りの別のやりかたを考えてください」という挑戦系の内容もあれば「アイディアは非常に弱い。無関心な視線や冷笑、咳払いによって殺される」というちょっとおもしろい文もあれば「思いついたアイディアのうち始めの5個は確実に誰かも考えている」というようなどこかで聞いたことのある内容もちらほら。合計で30の項目があり、気分転換やネタとして読んだらおもしろいけれど本気でアイディアを求めるのはどうかと思う。個人的に自己啓発に対するスタンスはその程度なので一般的な評価よりはかなり辛口になってしまったけれど。
正方形の変形版でイラストもおしゃれな感じがした。字とイラストがかぶった箇所は少し読みにくかったけれども。まあ図書館で借りるのならばお薦めできます、という程度かな。
今聴いているのは、Colin Chin [Alluvial Plains]
いつも思うのだけれどテニスとバレーは女子の方がおもしろい。男子になると筋力のせいで球がはやすぎて人間の動きをはるかに越えている。テニスならばサービスエースが決まりやすいし、バレーではアタックを返すことが非常に難しくなる。その点女子は球の速度が下がるけど反応速度は十分に高いので見ていておもしろ。
というわけでウィンブルドンの女子シングルス決勝が始まった。シャラポワが決勝までくると思いきやダベンポートとV ウィリアムスではないか。うれしい。なぜならばダベンポートが好きだから。彼女はナブラチロワやセレシュ、グラフの時代から中堅(以上)の選手として活躍していた。あの頃はドシドシと走る姿とバテル後半戦が多かったのだが、今では細かいステップを小気味良く刻むし、あれでなかなかテクニシャン。
さあダベンポートよ、シャラポワに続くブームを起しておくれ!
今聴いているのは、ドビュッシー [バイオリンソナタ]
ドビュッシーの室内楽では1番好きな曲かもしれない。特に最終楽章が好きだ。哀しげながら生き生きとしているのがたまりません。
やっと梅雨らしい雨が降る日々となった。前半は空梅雨でダムの貯水率の低下に伴い取水制限が行われた土地も結構あるようだ。この雨で少しは持ちなおすだろうか。さて、好きな雨の季節がやってきたのを祝して、「雨の日に聴くとより気分のよい曲」を思い出してみた。
クロード ドビュッシー「沈める寺 (前奏曲集より)」
夜の雨といったらこの曲で決まり。雨の音と和音が快く響く曲である。
モーリス ラヴェル「前奏曲 (クープランの墓より)」
もちろんピアノ版。雨とピアノは相性がいいね。この曲は雨の粒に反応するような曲だ。
the Beatles「Rain」
雨降り、そんなの気にしない。晴れの日、それは天気がいいってこと。
Stina Nordenstam「And she closed her eyes」
この曲は雨の音がフェードアウトして終わる。
Cinnamon「The man on your street」
マリンバの柔らかい響きは、雨粒が体にあたった感触に似ている。
奥田民生「674」
雨の日はこんな短い曲がいい。曲が終わった後に雨音に耳をすませるのだから。
さて明日の天気はどうだろう?