初めて、ほんとに初めてJanis Joplinの曲を聴いた。うーんこれはシビレル。こんな歌を歌う人を知らなかったなんて損していた。しばらくはジャニスのシャウトにしびれているとしよう。
今聴いているのは、ジャニス ジョップリン [Ball and Chain]
ちょっとしゃがれた声と独特のビブラートがいい!今なお色あせない1980年代の音楽です。
テニスのルールは一応知っているというレベル。ウィンブルドンは深夜に放送されるので見る機会が他の大会よりも多いのだがいつのまにか録画になっていた。ウィンブルドンといえば雨による中断。コートに降る雨の映像で1時間というのがざらなので、熱心なファンではない私にとっては風物詩を見逃したような寂寥感を覚えている。
決勝は地上波でもライブなので雨による中断の風景を見れるだろうか・・・日本でダイブレイクしたシャラポワ、連覇しそうな勢いですな。
今聴いているのは、エリック サティ [ジムノペティ第1番]
雨のときにはこの曲がはまりすぎる。この日本の地面で雨によって濡れていない場所は無いだろうけれど、雨が直撃していない場所はあるかもしれない。
かなり昔に手帳から抜いたメモ欄には本がリストアップされていた。これは高校卒業後から大学在学中におもしろそうだから是非読んでみようとおもってメモしていたもの。
「サブリミナルマインド」 下條 信輔
「脳のデザイン」 篠田 滋
「大杉栄自由への疾走」 鎌田 慧
「女性と出生前検査」 C ローゼンバーグ、E トムソン
「家族起源 -父性の登場」 山極 寿一
「最後のストライク」 津田 晃代
「心に野生を」 リック バス
「失われた黄金都市」 マイケル クライトン
「湖底の家」 ステュアート ウッズ
「土は呼吸する」 薄井 清
「不思議の国アメリカ」 松尾 武之
「夜の果ての旅」 セリーヌ
どれも雑誌や書評で知ったもの。「夜の果ての旅」は一度手にとったけれどあえなく挫折した記憶がある。こうしてみてみるとジャンルのバラバラ具合がいい感じ。しかし大杉栄と鎌田慧の組み合わせなんてどこで知ったのだろか。我ながら疑問である。「女性と出生前検査」は読んだような気がするけれど、ナチスドイツについて書かれていたのは別の本だったかもしれない。
この中で実は「心に野生を」に期待している。たぶんアメリカの小説だと思う。この本に関する情報はそれしか覚えておらず、フィクションなのかホラーなのかサスペンスなのかも分からない。こういう感覚で本を手に取れる機会はそう多くないからうれしい。
今聴いているのは、ブラームス [ヴァイオリンソナタ 第1番]
実は聴きたいと思っていたのはブラームスのピアノトリオだった。ヴァイオリンソナタはヴァイオリンとピアノの2重奏でチェロが入るとトリオになる。やっぱチェロが入った方が複雑で好きなんだよな。ヴァイオリンソナタもいい曲だけれどやっぱりピアノトリオが聴きたい。
電気をつけずに風呂に入るということをたまにする。光りというものは結構強力で隙間から漏れる光だけで不便は無い。特にシャワーならば目をつぶっていても浴びられるほど単純な行為なのだし。
気温のせいなのか夏の夜は冬の夜よりもずっとフレンドリー。夜風に身を任せて涼をとるのはとても気持ちのよいもの。冬に夜、家の外に出るときにはしっかり着込んだりと用意が必要だし、夜の空気と戯れるという感じではなく強すぎる(寒すぎる)空気の雰囲気を感じるといったところである。個人的には冬の夜の方が好きなのだが。
夜の闇に夜の雨という組み合わせが待ち遠しいのだが空梅雨みたい。
今聴いているのは、ラフマニノフ [ヴォカリーズ]
ヴォカリーズとは曲名だけれどは本来の意味は母音で歌うという歌唱法。オーケストラ版もあるけれど当然声楽版の方が素敵です。
三島由紀夫の「禁色」の世界にハマってしまった。以前読んだオスカー ワイルドの「ドリアングレイの肖像」と非常によく似た雰囲気を持っている。それもそのはずで三島由紀夫はワイルドから影響を受けていたのだと。話の大筋は老齢の男作家が自分をだました女達に復讐するために、非常に美しいがゲイの青年南 悠一と結託するというもの。文庫で500ページを超える長編で今読んでいるのは半分の少し手前。鏑木夫人、恭子、康子、鏑木元伯爵に対して復讐を始めているのだが、悠一の男色の為に老作家との関係もまた微妙になっていく。
ドリアングレイを読んでいたときには人間関係、社会構図がヨーロッパであったけれど禁色では舞台が日本なのでより感情移入(に近い感覚)ができる。小説でしか味わうことができない感覚をなぞることができるのはおもしろい。
しばらく前に使われていたゲイを指す「ホモ」という言葉はすっかり使われなくなってしまった。ホモ-ヘテロは純粋な理科言葉だったのだけれど、いつのまにか偏見と軽蔑を含んだ意味を獲得してしまいそのため今や追いやられてしまっている。
今読んでいるのは、三島由紀夫 [禁色]
次は三島の代表作である「金閣寺」を読んでみるとしよう。しかし三島の独特の文章は美しい。骨太でありながら繊細で美しいのはまさにゲイのようである。
この鉛筆は間違いなく15年ものである。小学校の時に手に入れた記憶が確かにあるから間違いない。しかし鉛筆は経年変化に強いようで今でも新品同様。ローテクって概してこういうものなのかもしれない。
鉛筆が好きだ。突然だけれど鉛筆が好きなのである。ちょっと軽すぎるし短くなると使いにくいけれど柔らかい感触と木の香り、丸く変化していく芯というのもなんだか楽しい。ナイフで削るという遊びもあって好きな筆記具である。東急ハンズの鉛筆コーナーも充実しているけれど、画材屋の鉛筆と色鉛筆のコーナは非常に楽しい。なぜならばみたこともないメーカーのたくさんの鉛筆があるから。六角形や丸だけでなく断面が長方形だったり紙巻だったり。そんななかで好きなのは「faber-castell」と「Caran d'Ache」。faber-castellはドイツらしいシャープなデザインでありCaran d'Acheはちょっとかわいらしさがある。Caran d'Acheの水彩用色鉛筆は発色がいいので蛍光ペンの代わりになるしお薦めです。また油彩鉛筆(ようクレヨンみたいなものが芯)も発色が良く、ガラスや金属にも書けるので便利。これは「トンボ」のマーキンググラフという商品。
鉛筆で書かれた物っていまいち正式な書類としては扱われないし、手紙にも不適なように思われているのが残念です。
今日読み終わったのは、宮崎学 [死]
これは森の中で動物の死体を定点観測したもの。季節によって死体の変化していく様がまったく違って興味深い。己の体も森ではあの用に変化していくのかと思うと自然が身近に感じられる。
寝ている人のまぶたがうっすら開いているとき、眼球は上を向いていることが多いような気がする。そして人間の目は上を見るより、まっすぐを見るより、下に視線を向けるほうが楽である。テレビやモニタを目線より上にすると非常に疲れるし、テレビは離れて見なさいと良く言われている原因もこれかもしれないと思った。
眼球を動かすメカニズムは知らないが下向きが疲れないというのは人間の長い採取生活の名残なのかも、というのは言い過ぎか。生活の中では視線を真ん中よりも下に向けるほうが圧倒的に多いし、直立二足歩行というのも理由だろうなあ。
今聴いているのは、ドビュッシー [ラモーを讃えて]
ドビュッシーは夜に似合う曲が多いけれど、この曲はひっそりとした夜に一人(か二人)で聴くのが好ましいと思う。ああドビュッシーの三連符の快感を再認識。
夜寝る時に窓を開けておくのが好き。冷たい空気を部屋の中に入れつつ布団をかぶって寝るのがイイ!夜の静かな雰囲気を伴った空気が顔に触れる感触が好きなのだ。夜の、平和さを、可能性を感じることができるから。そのため高原の夜はもう最高。
ただし朝は気温がだいぶ下がるし布団を蹴っ飛ばして喉が痛くなることもしばしば。快楽をとるか、身の安全をとるかはたいていの時には裏表である。それにしても夜の風はなんでこんなに気持ちのよいものだろう。日の出直後の動き始めた大気はなんだかドキドキさせられるものがあるのだけれど。
今聴いているのは、Art Of Noise [Robinson Crusoe]
「例えばあなたと私。それは永遠の目的地なのかもしれません。でもこの星を包む風のように、ウイークエンドの夜は静かに2人の中を飛びつづけています。ジェットストリーム、ミッドナイトオデッセイ。スクリプト、原田宗典お相手は、城達也。この番組は日本航空がお送りしました。」
「『死物学の観察ノート 身近な哺乳類のプロファイリング』、川口敏、2001.06.29 PHP研究所」
著者は教育学修士でありモグラ研究者。現在では生物学とよばれる分野の研究者なのだが自らは分類学、形態学、死物学といった言葉を使っている。それは副題の「身近な哺乳類のプロファイリング」からもわかるとおり、標本の収集と分析を研究の手法としており標本とは死体のこであるから。種の同定・体長・生息地などからわかることや解剖することによってわかることが楽しくまとめられている。
特別に生物の知識がなくても楽しめる内容で(もうすこし専門的な内容だと思っていたので多少肩透かしの感があったが)、実際に中学や高校での解剖の授業の風景も描かれている。
詳細なイラストがふんだんに盛り込まれており、死体を扱っていながら生臭さを感じさせない理由となっている。著者による仮説も提示されているのだが、それを証明するようなフィールドワークの結果がないのは残念。しかしおもしろい仮説だしフィールドワークは大変だからしょうがないのかな。読者の対象を中学生以上くらいと下げている印象もあるし。
もう少し刺激的な内容でも大丈夫というのならば宮崎学の「死-Death in Nature」や「アニマルアイズ2 死を食べる」がよいかもしれません。「死を食べる」は子供向けの本です。
というわけで今日読み終わった本でした。
つい最近まで鉄塔というとせっかくの美しい山際を汚くする邪魔なものという考えしかなかったのだけれどもこれがなかなか楽しい面もあることを発見した。
鉄塔を観測するには高速道路が一番。車の移動速度は程ほどだし、高速道路が山の中を走っている時には鉄塔が良く見えるから。鉄塔には設置場所と用途によって様々な形があるのでそれを見ているとおもしろい。送電線の向きを変える為の鉄塔、持ち上げ高さを稼ぐ為の鉄塔、そして忘れてはならないのが鉄塔についている碍子。この絶縁体によって鉄塔と送電線が電気的に分離されているわけだ。
碍子を見ると同じパーツが7個位で構成されており送電線の高圧ぶりと安全係数の高さが想像できるので好奇心をくすぐられる。
PCの後ろ側の配線をいじっていた時にPC本体ケースに触れる頬にチクチクと痛みが走った。金属面に小さな突起でもあるのかと思い指でさわってみてもいたって滑らか。どうやら漏電しているようだ。指では感じない、頬でしか感じない漏電。電源ケーブルにアースがついていないので本体を止めるネジにアースを付けて対策完了。アースをつけるときに指に電流が流れてピリッとしてしまった。
鉄塔サイト
「そこに鉄塔がある」こちらは「みそがいのこれはこれは」のコンテンツ。
「碍子、ファインセラミック、建材」これは「香蘭社」のサイトから。碍子もセラミックも磁器なんですよね。
「鉄塔・結構・小結党」こちらは「フルタニアン宮殿」より。鉄塔のバリエーションをお楽しみあれ。
今聴いているのは、Dreams Come True [きづいてよ]
かつてウォークマンでドリカムを聴いていたら廊下ですれ違った知り合いの女性に「今ドリカム聴いています?」って言われて恥ずかしかった。その時はなんだか男が大きな音で聴いているということが恥ずかしかったんだな。
久しぶりに板チョコを食べた。ロッテのガーナミルク。昔に比べてチョコの繊細な味というものを意識できるようになった。気温が上がってくるとチョコレートをどこに保存するかは迷うところ。もうすでに常温では溶け始めてしまうので冷蔵庫で保存するのが好ましいけれども、冷えたチョコのあの固さは好きではない。なんというかガラスの破片のように思えてしまう。割れた時の小片はまさにガラスそっくりだと思いません?
チョコは溶ける時の味こそ醍醐味だと思うので冷えたチョコが溶け始めるまでの短いあいだももどかしい。かといって溶けてしまったチョコをスプーンで食べてもまろやかさは味わえないだろう。板チョコならば歯ごたえも欲しいところ。チョコレートの融点は一般的に28℃前後と言われている。銀紙をはがした時にチョコがベットリ、というものだけは食べたくありません。
今聴いているのは、ラフマニノフ [交響曲第2番]
ゲルギエフ指揮、キーロフ歌劇場管弦楽団のコンビ。これはすごい。何がすごいって金管の厚みと響きの豊かさが特徴だろう。初めて買ったラフ2のCDが変態の誉れ高きビシュコフだったのでやっとまともな演奏を入手できたかな。
建築について少し調べると興味深い言葉にであった。それは圧縮強度と引張強度。意味はそれぞれの言葉が表現している通りで材料ごとに数値を示すことができ、そこからは材料の特性を知ることができるので面白い。
たとえばコンクリートは圧縮強度に優れているが引張強度はあまりない。鋼鉄は引張強度に非常に優れている。そして木材は圧縮強度と引張強度を両方とも兼ね備えている。これは材料の特徴の一部を示しているに過ぎず、別の角度からみると同じ材料の比較でも結果が異なる。その比較方法とは「単位重量当たりの強度」であり、そこからは木材が圧縮強度、引張強度ともに優れた材料であることが読み取れる。木材は比重が小さいので単位重量当たりで比較する時に鋼鉄、コンクリート、石材と比べるのは好ましくないような気もするのだが最近では大中規模の建築にも木材を構造体として積極的に取り入れられることもあるのでそれはそれでいいのかもしれない。しかし木材を使うと建築の容積に占める構造体の割合が高くなるという欠点を留意しておく必要があるだろう。
さて、斜張橋や吊橋、トラス橋に普通の(もっとも一般的な道路の橋)橋を見てみると材料の特性を生かしているのが良くわかる。橋桁など鉛直方向にのみ力が集中する箇所にはコンクリートが使われており、斜張橋や吊橋の弦は鋼鉄ワイヤーであるし、トラス橋は箱型にすることによって圧縮ではなく引張で強度を保つようになっているのが良くわかる。
より詳しい情報は「北海道立林産試験場」のサイトをどうぞ。
今日読み終わったのは、川口敏 [死物学の観察ノート 身近な哺乳類のプロファイリング]
面白い本だった。もう少し専門的な内容を予想していたのだが一般書でも初級向けの内容だった。死物学とは正式な用語ではないようで、著者は生物学、分類学、形態学という分野において主に死体(標本)を扱って研究している。死体という言葉に拒否感を感じるか好奇心を感じるかはきっぱりと分かれるだろう。もし後者ならば楽しめることは間違いなしである。
缶コーヒーはまずいものと考えているのであまり買うことはないのだが久しぶりに自動販売機で購入。ダイドーの「デミタスブラック」を選択。結論を急ぐと想像していたよりもはるかにおいしく驚いてしまった。ただし冷たいものを買ったので温かいものを飲むとまた別の印象だろう。
缶をもってすぐになんか小さいな、と思ったのだが容量は120(単位はグラムかな)。小さい缶は180mlだと思っていたのでさらに一回りというか1/3も小さかったわけで驚いた。しかもこのベンダーはお金を入れると「まいど」といい、購入すると「おおきに」と言うのである。どんな意思決定経路を経てこのベンダーが生まれたか興味がわくのだが、それは奇妙なものに対する好奇心である。
缶飲料といえば昔は240mlが主流であり、350mlは少数だった。それこそダイドーなど2流メーカーの増量作戦という印象だった。しかし現在では多くのコーヒー類は180ml、安いコーヒーが240ml、普通のジュースは350mlの缶が多い。コーラなど240mlで充分なのだけれどね。しかもコンビにいたってはペットボトルばかり・・・。アメリカのマクドナルドのLサイズを笑っていられるのも今のうちかもしれない。
今聞いているのは、ラヴェル [フォーレの名による子守唄]
子守唄を聴いて眠気に襲われることはほとんどない。むしろ目が覚めてしまう。なぜか知らないが。しかしこの曲はいい曲だ。Vnにミュートがついていていい音である。
CDのプラスティックケースをごそりと捨てた。ジャケットと裏ジャケットは別に保存してCDはペラペラの不織繊維ケースに収納。これはかなりの省スペースでCDだけならば1/5程度、保存しているジャケットを含めてもやったかいはあった。クラッシック、Bjork、特殊仕様のケース以外のものはすべて外した。省スペースにはなったけれど、タイトルや曲名がわかり難くなってしまった。しかし今ではネットにつながっていればタイトル、曲名は入手できるので問題ないはずである。
どのCDにどんな曲が入っているかはだいたい把握しているつもりだし、ちょっと探せばわかるからそれほど不便ではないだろう。他人が見たらまったくわからないかもしれないが。
クラッシックは裏ジャケットに書かれている情報が多いのでさすがにケースから外すと不便しそう。クラッシックにおいて演奏者、録音年、正確な曲名は他のジャンルよりも重要なのである。それはクラッシックがすでに存在している同一の楽譜に基づいた音楽であるからなのだろう。ブラームスの4番はブルーノ ワルターがいいか、カルロス クライバーがいいか、ダニエル バレンボイムがいいか、竹本泰三がいいかは迷うところ。
今聞いているのは、ドビュッシー [夏の風の神、パンに祈るための]
今聞いているのはウェルナー ハースとノエル リーによるピアノ連弾版。「6つの古代碑銘」の1曲目。他にもピアノ独奏版、管弦楽版がある。連弾もシンプルでなかなかいい。
珍しく爪が伸びてしまった。楽器を習ったときから爪を短くする習慣がついてしまい、料理も好きなので爪は常に短め。普通の人にすればちょっと伸びたくらいなのかもしれないが、個人的には限界を超えて数日経ってしまった感じ。そして足の爪も伸びている。靴下に穴を開ける前に短くした。
以前、左足の親指に物を落としてしまった。そのときは非常に痛かったので曲がった爪が生えてくるのかと思っていたら血のような筋が入った爪が生えてきた。今回の爪きりでその血の色部分を切断したので断面を見てみると爪の表面にのみ色がついていた。
長いと割れるし剥がれるし痛い爪なので長くしている人を見るたびにその苦労を考えてしまう。爪の役割というと指先を保護することが一番に思い浮かぶけれど物を持ったりつまんだり押したりするときにも重要な役割を担っているようだ。服のボタンを掛けたり紐を縛ったり細かい動作には爪が必要なのかもしれない。指で物を押せばわかるのだが爪にはけっこう力がかかっている。そのおかげで指先が器用に動くようになったのかも、と空想してしまった爪切りタイムでした。
爪を切る感覚は短くなったけれど、ヤスリを使うことをしなくなった。
今聞いているのは、MOMUS [Closer to you]
久しぶりにMOMUSを聴いた。ただいまCDケースを捨てているので古いCDを発掘中に聴きたくなるのである。このCDを買った頃は洋楽への探究心が一番強かった頃。ちょっと懐かしい気持ちもよみがえってきた。
幼少の頃に見た印象的なテレビ番組と言えばトムとジェリーである。意味もわからず「Tom & Jerry show!」とヒアリングしていた。ちょっと切ない音楽と温かいナレーション、今見てもおもしろいと思うだろう。
僕はトムが好きなのでいつも憎たらしいジェリーに負けて残念に思っていた。たとえトムがジェリーを食べても昼寝をしているすきにまぶたを上げて出てきたりする。数少ないトムの勝利ほど胸のすくものはなかった。トムとジェリーが使ういたずらにもいくつかバリエーションがあってなかでも好きなのはマットペイントを使ったもの。ジェリーをはめようと崖へと続く道に板を置き、その板に道が続いているかのごとく絵を書く。ジェリーは絵の中の道へと進めるのだがトムは板を突き破って崖の下へまっさかさま!このときに不条理という言葉を学んだのかもしれない・・・
トムとジェリーのエンディングには歌があってこれまた大好きだった。「トムとジェリー、仲良くけんかしな・・・」ではじまるあの歌。当時は画面に表示される字というよりは耳に入ってくる言葉で歌詞を覚えていたので僕は「ネズミだって電気桃さ、ネコだって電気桃さ」だと思っていた。大学生のときに家へ帰る坂道を登りながらふとこの歌を思い出して歌ったときに「電気桃ってなに?」と疑問に思った。すぐにん「ネズミだって生き物さ、ネコだって生き物さ」だとわかったのだが何かの拍子に覚えたものが訂正もされずにいるというのはなかなか恐ろしいものだと思った。
今聞いているのは、アンテナ [アクエリアス]
トムがMGMのライオンの真似をしているのも好きだった。
2005年2月28日のエントリ「痛いのです」で紹介したラップ療法を実験する機会に恵まれた。小さな傷ができたのは左手の親指の付け根あたり。切り傷ではなくて肉が薄く剥がれた傷。近くに絆創膏が無かったので血を抑えるためにサージカルテープを巻いていたんだけれど、ラップ療法を思い出したので治療方針変更。小さく切ったラップを傷に貼り付けその上からサージカルテープで止めた。
2日目になると黄色い液体が結構出てくる。今まではこの液体をふき取り傷を乾かすようにしていたのだけれど、ラップ療法ではこの液体が治癒の速度を速めるので重要なもの。ちゃんとした医療品ならば数日間貼ったままにできるらしいけれど、所詮はサージカルテープ。毎日風呂上りに取り替えた。黄色い液はなんというかちょっとくさいのだが膿とは違うし、腫れや痛みは特別無い。そして驚くべきことに毎夜傷をチェックすると自分が今まで認識した速度よりも明らかに早く傷が治っている。傷の表面は固まらないけれど、新しい細胞によってけずられた部分が作られているのが良くわかる。そして現在、カサブタになることなく以前と皺が変わることなく治ってしまった。さすがに表皮は再生していないけれど、あのうっとうしくてはがしたくなるカサブタ状態を経ずして治るのは自分の体でも驚きだった。これはかなりいいかも!自己責任でお試しあれ!
今聞いているのは、Stina Nordenstam [And She Closed Her Eyes]
彼女は目を閉じて、そして言った・・・