寺はなんだか閉鎖的な気がするので神社の方が好きだ。寺は住居を兼ねているので境内が人の家の敷地という雰囲気が濃い。一方で神社は少なくとも家と神殿は別になっているし、入口も門ではなくて鳥居なので入りやすい。神社の方も境内は公共広場であるとの認識があるように思う。
というわけで神社があると思わず入ってしまう。鳥居を眺め(石材の継ぎ目がわかる)、狛犬の古さと風格を楽しみ、手水で穢れを落として本殿を除く。熱心な信徒ではないし、神道の神は寛容(な気がする)ので鈴を鳴らさなければ賽銭もあげない。あくまでも観察者の立場。
手水にも順序があってまず柄杓に水をすくい
1 左手を水ですすぎ清める
2 右手を水ですすぎ清める
3 左手に水をとり口を清める
4 再度左手を水ですすぎ清める
5 柄杓をたて、柄の部分を水で洗い流す
と行えば立派なもの。
仏教では線香をあげるように神道では玉串を捧げる。榊に紙垂がついたものだかそれにも作法がある。母の実家が神道なので榊を受け取って「の」の字を描いて捧げる、と子供の時からなんとなく聞いていた。しばらく前、祖母の葬儀がありいざ実践することとなった。親族だけでひっそりと儀式を行う直前に神主が玉串の捧げ方の説明を始めた。するとそのとき玄関に来客である。喪主は席を立てないし、周りを見る限り僕が一番下っ端の男だったのでこれぞ我が役目とばかりにお客を案内する。そして儀式の間に戻るとなんと、順番で玉串を捧げているではないか。神主の説明を聞きそびれてしまった。幼少の時に聞いた「ののじ」を思い出し、僕の前2人の行為をしっかりと覚える。
後で妹に「動きがぎこちなかったけれど間違っていなかった」といわれたのでホッとした。神は小さな試練を用意しておられたのであった。
「玉串奉奠」
今聴いているのは、ラヴェル [眠りの森の美女のためのパヴァーヌ 管弦楽版]
この曲を聴いていて木管楽器のアンサンブルについて考えた。OBとCLは音色や響きがよくあうのだが、Flはちょっと他の木管とは異質な音がする。Flの伴奏は高弦がよろしいようです。
とある百貨店のスポーツ用品コーナーを眺めていた。水泳で使う耳栓に興味があったから。低反発ウレタンタイプとシリコンの栓タイプがあるようだ。クロールで泳いでいるとたまに水が入る。なんだか気持ち悪いのだが気にせずに泳いでいるので今のところ耳栓を買うつもりはない。けれどちょっと気になるアイテムなのです。
値段は700円くらいでシリコン栓タイプよりもウレタンタイプの方が使いやすいのかなと思う。売り場には小さなPOPが張られていて、「体温で乾くのでさわらない方が耳によい、頭を激しく振るのはよくない」と書かれていた。確かに頭を振るのは三半規管に悪そうだからなあ、もう止めようと思っていたら「耳が濡れると浸透圧により水が入りやすくなるのでシャワーなどで気をつけて」とも書かれていた。はて浸透圧。
浸透圧って濃度の異なる溶液が半透膜によって隔てられている時に起きる現象のことだから(長風呂で手がしわしわになるとか)耳には関係ないような気が。浸透圧というよりも表面張力が関係しているのではないだろうか。少なくとも浸透圧は間違いだ。このことに気がついてからPOPに書かれていることの信憑性が気になった。体温で水は乾くのだろうか?うん乾くはずだよな。ハチミツだって36℃程度で水分蒸発により濃縮されるというし。
今読んでいるのは、ジャレド ダイアモンド [銃・病原菌・鉄]
読み進むと内容がきっちりと書かれていることがわかった。題名から想像がつくようにピサロとアタワルパも扱われていておもしろい。情報伝達手段の発達により見聞する機会は著しく増えたのだが、その結果「信じられない」経験は少なくなったのかもしれない。アタワルパは初めて馬を見て恐れおののいたという話です。
「JR福知山線脱線転覆事故」が起こった。死者54人以上、負傷者417人以上。死亡者の名前の一部が公開されていたが知っている人はいないようで一安心。負傷者がインタビューされており「吹っ飛ばされた」、「つり革を持っていたが吹っ飛んだ」といっていた。つり革を持っていたのに、ひどい衝撃で驚いている様子。しかし少し考えてみると、電車は自動車よりも速く走っている。時速60キロや70キロは普通に出ている。そして乗車している人間も当然70キロで動いているのだ。慣性の法則があるから、電車が脱線して止まっても人間のほうはエネルギーを消費しないと止まれない。遮るものがなければ吹っ飛ぶわけです。
電車はそうそう事故が起こらない自信があるのだろう(その意見には賛成だけど)。シートベルトもエアバッグもライフジャケットも積極的な安全装置はない。つり革は気休め程度だろう。そう考えると危険な乗り物か?しかし乗車人数当たりの死亡者数は飛行機よりも自動車よりも小さいはずだからリスクゼロがありえない以上しょうがないのか。
列車で爆発事件が起きた場合は爆発場所よりも前に乗っていた方が安全らしいのだが、衝突の危険性も考えて5両目より後ろに乗るほうがいいのかもしれない。思わず1両目に乗ってしまうことが多いのだが・・・
今読んでいるのは、ジャレド ダイアモンド [銃・病原菌・鉄]
論文ではないので学術的根拠は薄いけれど知的好奇心を刺激するおもしろい本。人類比較論、という感じかな。
同情というより、憐れみを誘う事故によって子供は死んでいく。パチンコ店の駐車場での熱中死はその代表。親がパチンコに行っていて家にいた子供が火事で死んだという事件もあった。このような事件の時には被害者の名前も表示されるのだが、その名前には俗にDQNネームと言われるものが多いように思う。 萌留望(めるも)とか微笑(ほほえみ)とか登夢(トム)などなど。これは今読んでいる本に載っていた名前なのだが一瞬ギャグかと思ってしまう。さらに極めつけは風向(ショア)ちゃん。両親がサーフィン好きだということなのだがshoreには風向という意味はないあたりがDQN度高し。自分の名前でなかったことをありがたくおもってしまう。
また五十音それぞれには意味があるのだと。例えば「き、多彩で華やかで魅力に満ちた人」、「て、人当たりの良さと誠実さが魅力」、「ひ、信念と地道な努力が大きな力に」といった具合。これは初耳である。よくぞたった一音の響きからここまでひねり出したという感じが強いのであるが。一方で統計の部はおもしろい。最近多い名前は「大輝、翔、蓮、翔太、拓海、陽菜、七海、美咲」であり人気の読みは「ユウキ、ユウト、ハルト、モモカ、ハルカ、アヤカ」なのだと。そういえば高校の時にナガシマシゲオとオダマリという人がいて卒業式の練習の時にはいつも笑いそうになったものである。
犬のような名前が付けられた子供が増えないことを祈りつつ。
今読んでいるのは、田宮 規雄「世界にはばたく 赤ちゃんの名前」。
この手の本はもう二度と読まないだろう。
ここに立方体がある。立方体だから3辺の長さがひとしい。簡単な説明をすればサイコロの形。この立方体の一辺を2rとすると、半径rの球は立方体にぴっちりと入る。各面とそれぞれ一点で接する状態となる。このとき、立方体の体積(V1)と球の体積(V2)は以下の式から求められる。
V1=2r*2r*2r
=8r3
V2=4/3*3*r3 (最近では円周率の近似値は3らしいのでそれを採用)
=4r3
となるわけです。このような立方体と球の体積の関係がこの程度とは感覚的には想像できなかった。四角い箱にピッタリ収まっているメロンは箱の半分の体積か。見た目よりも球の体積は小さいのがさすが。ふと球の体積を求める公式を思い出しただけなのだが思いもよらない発見があった。ちなみに月を見ていて球の体積のことを思い出しました。
今聴いているのは、Claude Debussy [Hommages a Rameau] from Images Premier Livre
今宵のラモー賛はワイゼンベルグの演奏。堅実な演奏でよいです。いい香りがする音楽だ。
図書館の新刊コーナーでふと「世界にはばたく 赤ちゃんの名前」という本を手に取った。そんな予定はないのだがちょっと読んでみるとあまりにも笑ってしまうような内容だったので思わず借りてしまった。胡散臭いにおいがプンプンなのだけれど、まあこういう世界があるのだなということで。内容は後日。
今読んでいるのは、田宮 規雄「世界にはばたく 赤ちゃんの名前」
著者は占術師。そのわりには占い要素が少なくてその点は良書。しかし参考になるのかねえ。
村田浩二 タンブーラコンサートへいった夢を見た。タンブーラというわりには持っていた楽器がリュートだったし、村田浩二というのも架空の人物。なぜがヴィヴァルディの四季も演奏したりして、その演奏があまりにも下手くそだったので抗議の意味をこめて演奏会途中で帰るというのが夢の内容。しかもみんなぞろぞろ帰るのがちょっとおもしろかった。
会場となったのはこれまた架空の教会であり、これはセンスのよい建築だった。ガラスが使われており開放感と静謐性が両立しているというか。この教会が実在していたら面白いのになと思ったので忘れないように朝起きたときにしっかり記憶した。
今読んでいるのは、小林多喜二 [蟹工船]
プロレタリア文学の傑作、蟹工船。時代が違うなあというのが正直な感想。最後まで読みきれるだろうか。

平面と立体。xy軸とxyz軸。絵と彫刻。2次元と3次元の関係(正確ではないけど)。油彩画には厚みがあるから3次元かな。
この写真は広島市現代美術館の石段にあるオブジェ。石臼の中に金属のボールがあり中央に出ているのは噴水口。じわじわと水があふれており、なかなかいい感じである。このオブジェの写真を撮っていたら僕の頭は混乱してきた。なんだこの感覚は?と思いながら数枚撮ると理由がわかってきた。デジカメの液晶に表示されているのは2次元のオブジェでありちらちらと横目で見ていた実際のオブジェは3次元の像であったから。写真を見ればわかるように水面には木の影が映りこんでいる。これは水面で像を結んでいる。けれど実際のオブジェを見るときには水面ではなくて水の底のボールに焦点があってしまうのである。そうすると水面の淡い影は見えなくなってしまう。影に目の焦点を合わせると今度はボールの存在が曖昧になっている。デジカメの液晶ではこれらの2つがまったく綺麗に写っているので現実とのギャップに脳が驚いてしまったようだ。
今聴いているのは、Colin Chin [The Alluvial Plains]
ふと「いぶりがっこ」という言葉が頭をよぎった。最近どこかで聞いたことがあるような、ないような。それがいぶりがっこ。テレビか雑誌で目にしたのだろうか、いぶりがっこ。さっそくGoogleに伺いを立ててみるとこんなページを発見。「いぶりがっこ -東北東こだわり百科」。秋田の伝統的食品のようだ。燻したたくあんなのだが、このページを見て初めて知った。秋田にもたくあんにも漬物にもいぶりがっこが結びつかない。どこでこの言葉を覚えたのだろう。
まさか宇宙人にアブダクション!と思ったけれど付けっぱなしで寝たラジオが情報源として有力。他にはどこかのwebページでチラリと目にしたか。たまにこのようなことが起こって非常に楽しい。
今聴いているのは、UNICORN [May be blue]
あー懐かしい。民生の声にエフェクトがかかっていて時代を感じるなあ。アラビアのロレンス!Limbo!!
民藝運動の中心人物である柳宗悦が父である宗理はインダストリアルデザイナー。彼がデザインしたものは様々で企業のロゴ、バタフライスツール、マンホールの蓋、瓶のラベル、食器、ナベにヤカン・・・。きっと一度は見たことがあるはず。東急ハンズの調理器具売り場にはカラトリー、ナベ、ボールなどが売っている。ティーポッドもあったような。
この本にはそれらの大きな写真が載っている。解説などはほとんどないのだけれど「デザイン考」というデザインに関する考えも載っている。それを読むとなるほど柳宗理は創造者なのだとよくわかる。インダストリアルデザイナーとはそのまま工業デザイナーと呼ばれるけれど柳宗理のデザインは、形を作るのではなくてプロダクトを作るうちに形が創られていく。その上でデザインがいいものが売れるわけではないし、デザインがよくても使いにくいものがあると認めているのがさすがでありなんともすがすがしい。
道を走る車を建物の上から見ていると、そのデザインから車種を見分けるのは非常に困難である。車のデザインって成熟する前に陳腐化してしまうのはなぜだろう。

電車はレールの上に車輪がのっていてその車輪が駆動して動く。エネルギーのロスの源はレールと車輪の摩擦であるから、この摩擦係数が少なくなるような設計がされているはず。しかし一方で駆動輪には摩擦がないと加速ができない。多少ならば坂道も登れる電車っていったいどういう仕組みなのだろう。
雨が降ると車輪が滑って空転する音が聞こえる。新幹線も現在の構造では最高時速が300km/hを超える程度であるのはどうやらレールと車輪の限界だという。これ以上車輪を早く回転させても動力がレールに伝わらずに空転してしまうのだと。
次世代高速輸送として期待されている浮上式リニアモーターもどうなんでしょうか。建設費用は巨額になるだろうし、座席も飛行機のように完全予約だろう(定員以上乗ると重くて浮き上がらない)。その点、予約なし、定員なしで乗れる新幹線はまだまだ便利かもしれません。
今読んでいるのは、スティーブン キング [クリスティーン]
久しぶりにキングの罵り言葉がおもしろい本。
「20年経たてば、車は公式にアンティークと認められるんだ。知っているかい?」1958年型プリマスフューリーをみて。
なんだか中国での日本バッシングデモが起きている。総領事館に石が投げ込まれたり、ジャスコが囲まれたり、日本料理店が破壊されたりしている。なぜ中国は日本に対して怒っているのかというとそれは、「教科書問題」、「尖閣諸島問題」に対してのようだ。教科書問題については戦争の謝罪も求めているし、国連の常任理事国入りにも反対している人もいる。もう、いっさい合切反対しているという感じ。教科書問題は内政干渉だし、戦争の謝罪は国家間賠償は済んでいる。尖閣諸島はもちろん日本の領土で間違いない。なぜこの問題が発生するかというとそれはきっと中国の国策に原因があるのだろう。反日教育と言論の自由が保障されていない。日本バッシングは中国国内問題から目をそらすために利用されているのはもう常識である。
デモに対して、中国当局はなんら対応策をとっていない。領事館に石を投げてもただみているだけ。おいおいこれはどうなんだ?と思ってしまうけれど以前アメリカとイギリスの大使館に投石があったときも対応策はとっていない。どうやらこれが中国クオリティのようだ。このような話をする時には中国と中国人を明確に区別しないとね。今までの話は中国の話です。
今読んでいるのは、スティーブン キング [クリスティーン]
スティーブン キング、雨の夜に読むと雰囲気がでる。闇夜の雨って夜に生命力を与える。雨降りだと音や大気の動きを感じる。これがキングの本とよく合うんだよな。
物理の授業で重力に関して学んだ時に興味深い実験を行った。それは人間の神経の伝達速度を求めるというもの。この実験は2人で行う。使うものは30センチの定規だけ。
1:実験者Aが定規を垂直にぶら下げる。(30センチ付近を持つ)
2:実験者Bはぶら下げられた定規の0センチに親指を合わせ、すぐに握れるようにする。
3:AはBに悟られないように握っている定規を放す。
4:Bは落下が始まったのを目で確認したらすぐに定規を握る。
このときBが何センチのところで定規を掴めたかによって神経の反応時間がわかる。
地球上で物体の落下距離はz=(1/2)gt^2で求められる。このときz(m)は距離、gは重力加速度9.8、tは時間(秒)である。20センチでつかめたらなば反応速度は0.202秒、15センチならば0.175秒程度。20センチ以内ならばまあ普通ということらしい。
落下するのを目で見て、脳が定規を掴むように命令を出し、筋肉が収縮して実際に定規を掴むまでの仕組み。数値で見るとなんだか実感が湧きます。この実験、一人でやっても意味がありません。落下し始めるタイミングを予想してしまうから。
今読んでいるのは、柳宗理 [デザイン]
大型本で作品集。解説などがないのは残念。大阪の樟葉に柳宗理デザインの歩道橋が(多分今でも)あります。
1位 巨人
2位 楽天
3位 ソフトバンク
4位 西武
阪神
中日
7位 ヤクルト
日本ハム
9位 横浜
広島
11位 オリックス
12位 ロッテ
もちろんこれはペナントレース順位の予想ではない。人気ランキングというかテレビでの注目度ランキングはこのような感じではないかと思う。巨人がダントツであるが、楽天とソフトバンクが注目されているのは、言うならばライブドアのおかげだろうか。ホリエモンも社会的に役立っているとつとに思う。一方でオリックスは話題が少ない。
これは現時点での個人的な順位だけれども、どう変化していくのだろうか。楽天がプレーオフにからむとおもしろいかもしれない。今年は交流試合があるから、どちらのチームが注目されているかよりわかりやすいだろう。観客もやっと実数発表するようになったし、今までとは違った視点でも楽しめそうです。しかし今までどんだけ水増ししていたんだろう・・・
今読んでいるのは、中島 らも [牛乳時代]
中島らもの創作落語。この人ももはやいないんだなと思って読んでいます。
最近読んだ「やさしくわかる気象・天気の知識」と「完全図解 気象百科」の2冊は非常に有用な本だ。この2冊を読めば素人にとって天気や気象に関するほとんどの疑問が解決されるだろう。少なくとも僕は知りたかったことをいくつも知ることができた。
「なぜ台風の目ができるのか」低気圧の中心に向かって吹き込んでいる風がコリオリの力によって曲がる。この曲がりが遠心力を生み、渦の中心まで風がたどり着けずに台風の目となるのだと。だから中心はほぼ無風状態なのだと。なるほど。
「熱帯低気圧とはなにか」台風の勢力が弱まると熱帯低気圧に変化するのだが普通の低気圧とどう違うのだろうか。違いは明確。熱帯低気圧は暖気だけでできており、普通の低気圧は暖気と寒気によって構成されている。なるほど。
「コリオリと台風」コリオリの力はsinθ(θはシータです)に比例する。このときθは緯度。sin90°で最大値、sin0°で最小値の0。というわけで赤道付近ではコリオリの力が非常に弱く風は渦を巻かないので台風は発生しない。なるほど。
「台風の大きさは中心気圧ではなくて風速」天気予報で台風といえば中心気圧が今どのくらいかを伝えることが多い。しかし台風の「強さ」も「大きさ」も実は風力によって定義される。強さは最大風速で定義され、大きさは風速15m/s以上の半径によって定義される。中心気圧よりも風力とその範囲に気を配る方が、より正確に台風を知ることになるようだ。なるほど。
「正しいスコールの意味」スコールというと熱帯で発生する一時的な雨のように思われるけれど、正確には「急に強まって吹き、しばらく吹いて収まる強風」のこと。にわか雨や雷雨を伴う時もある。なるほど、伴う時もあるのか。
今聴いているのは、ドビュッシー [海]
コンセルトヘボウ、ハイティンク。好きな曲はしつこく聴きます。
近年では洋菓子よりも和菓子の方に魅力を感じる。和菓子の素晴らしさを知ったのはばってんや、道楽屋、達屋のおかげなのだが今回は道楽屋と達屋の桜餅を食べた。(同じ日に食べ比べをしたわけではない)
写真でわかるようにどちらも道明寺の桜餅。いわゆる関西風です。道明寺とは蒸したもち米を乾かしてから砕いたものであり、粘りと粒の歯ごたえを楽しめる。餡は漉し餡で、塩漬けされたオオシマザクラの葉が桜の香りと塩味を道明寺に加えている。葉を食べるのかは個人の自由だが、硬い葉、柔らかい葉があるのでこのような個性も考慮すべきである。
達屋の桜餅
広島では道明寺が一般なようだ。中にはもち米を使っている店もあると達屋の店主が言っていた。かなり薄い道明寺と漉し餡が柔らかく、桜の葉を噛み切る時のわずかな抵抗との対比にうっとりしてしまう。この桜餅の香りこそが春の香りだ。道楽屋よりも葉っぱが小さいけれど葉の香りは強かった。米の粒を噛み締める楽しみは東アジア民族共通の楽しみだろうか。おいしく食べたのだが、販売は4月3日までで終了しています。105円
道楽屋の桜餅
ご覧の通り道明寺。漉し餡と道明寺、塩漬け桜の葉のハーモニーがなんとも素敵。落葉した桜の葉は、桜餅の香りがするので秋には必ず桜餅のことを思い浮かべる。そしてやっと食べられる季節になりました。葉の大きさと中身の大きさのバランスの良さが目に美しい。香りを楽しみ、甘さとしょっぱさのハーモニーを楽しみながら葉っぱごと頂きました。うまい。120円
今聴いているのは、Stina Nordenstam [And She closed her eyes]
「ヨーロッパとイスラーム -共生は可能か- 内藤正典 岩波新書 2004.08.20」
著者は一橋大学大学院の教授でイスラーム地域研究が専門。非常におもしろい本だった。ドイツ、オランダ、フランスで行われたフィールドワークの結果がまとめられているがその分析はわかりやすい。特にドイツでのトルコからの移民にページが割かれており日本人にとっても身近に考えさせられる問題も多かった。例えばドイツでは国籍に関して血統主義を貫いてきたのだが移民の増加に伴って出生地主義も取り入れるように憲法の改正を行った。移民2世が国民となったわけだ。将来、日本もアジアからの移民を受け入れる可能性があるといわれているが、国籍問題を解決した上で移民を迎えられるだろうか。それ以前に憲法の改正は可能なのだろうか・・・。
ドイツだけでなく一般的にヨーロッパ諸国の近代化はキリスト教から政治を分離することによって進められてきた。文化的にはキリスト教の影響は強く残っているが、ほとんどの国では教会の支配の脱却こそが近代化であった。憲法は教会の代わりとなる制約事項なのである。政治とキリスト教との分離を聖俗分離とよばれ、国家に関わる公の領域では宗教色を弱め、宗教から中立の立場をとることである。それと関連して世俗主義とよばれるものもあり、これは公的領域をすべて非宗教にすべきであるという考えであり宗教的規範や価値観な個人の範疇に押し留められる。
さらに興味深いことにイスラーム国家であるトルコでは厳格な世俗主義が広まっており、法体系にはイスラーム法の影響がない。酒を飲んだりイスラームの慣習を守るかは個人の問題となっている。一方で同じイスラーム国家のイランやサウジアラビアは法律自体がイスラーム法の則っているために飲酒は禁止されており、最高指導者は宗教者であったりする。これはイスラーム教がアラブ地域を支配しているのではなく、そこに住む人がイスラーム教を取り入れている証である。
またフランスの例では個人主義の徹底により差別が隠れてしまうことが取り上げられている。それは「移民は帰れ」、「サッカーのフランス代表はフランス語でラ マルセイエーズを歌いえないのが多い」という差別的内容を含む発言が社会問題と認識されずに個人問題に帰されるということ。フランスは国家制度として差別を認めていないので差別を行うのはその個人の問題であるということ。なるほど、フランスにも独自の問題がある。
ヨーロッパはまだしも日本人にとってイスラームはかなり遠い存在だと思われる。個人的に2人のイラン人とネットで知り合い、一人には実際に会っているので身近に感じる機会も多い。特にイランは悪の枢軸国と呼ばれているから気になるし。ふと周りの先進国について考えても日本ほど移民を受け入れていない国はないと思う。アメリカは移民の国だし、ヨーロッパには旧植民地からの移民、地続きのアラブからの移民が流入している。日本はどうなるのだろう。この世界有数の閉鎖性と多民族に不慣れな国は移民問題とどのように付き合っていくのだろう。これは十年以内には現実問題となるかもしれないなあ。
もう1つ記憶に残った箇所があった。それはドイツのイスラーム移民は生活様式においてドイツと同化するように求められる(刺激の強い香辛料は使わない、夜は騒がないなど)一方で、その移民(ドイツ籍を持っていても)をドイツ人(つまりゲルマン系)だとは認めない傾向があるようだ。なるほどドイツ人と同じように振舞うことを求めるが、ドイツ人とはみなさない。この矛盾に移民は戸惑うのだと。これって現在の日本が潜在的に抱えている問題でもある。人間の多様化というものはかなり繊細な問題を含んでいるものです。
今日読み終わりました。新書なので3,4時間で読めます。
ホリエモンが言うまでもなく、ネットとテレビは融合していくだろう。PCの起動がもっと早くなり(この問題はハード、ソフトの進歩に追いついていない)、より簡単に操作できるようになればこの融合は必然だろう、とドビュッシーの「海」カラヤン ベルリンフィルのDVDを見ていて思った。
この曲で僕はただひたすらカラヤンの指揮を見ていたかった。けれどソロパートの多いこの曲では画面が移り変わる。画面を分割して、1つは指揮者のみ、もう1つはソロを追いかけるようなみかたをしてみたい。その方が実際の演奏会の様子に近いだろう。指揮者の顔は見えないけれど、動きとそれに反応する演奏家の様子は1つのものとしてみているから。小澤-サイトウキネン-ブラ4ではビオラがアップになる箇所があるのだけれど、隣でチェロのトップがビオラを見ている。それがまるでカメラ目線のようで非常に楽しい。ビオラの動きを探りながら音を出す、そうあの感覚こそがオーケストラの醍醐味だから。ソロが誰を見ているか、伴奏はどこに注意しているのかをもっと見たい。
DVDでは容量が足りなくて多チャンネルの映像を収録できないし、テレビ放送でも編集するのがテレビ局の仕事だからそのような事はしないだろう。ということでこれはネット放送に期待です。
今聴いているのは、カラヤン ウィーンフィル ドビュッシー[海]
ドビュッシーの海に最近はまっている。3楽章の最後、トランペット5管とトロンボーン4管の響きは美しい。1楽章の終盤、ホルン4管とハープの旋律も美しい。なるほど、ドビュッシーがあこがれていた海とはこのような海だったのか。
今日は上空に冷たい空気が南下してきたようで大気が不安定であった。上空に冷たい空気があって地表に温かい空気があれば確かに不安定だよな。温かい空気が上昇して、雲を作り雨を降らす。激しい上昇により雷がなり雹も落ちる。なかなか楽しい天気模様でした。
最近はめっきり停電することはなくなったけれど、子供の頃はたまに停電した。懐かしい思い出かもしれない。秋の台風シーズン、いきなり電気が消えて真っ暗になる。そして青い稲光が窓のシルエットを浮びあがらせるのと同時に激しい雷の音と家が震える音に大気がゆれる振動。この素晴らしいエネルギーに子供はただ恐怖を覚えるのみ。急いで懐中電灯を用意し、長期戦に備えてロウソクを用意したりもした。ロウソクを灯すという非常行為が楽しかったので、停電してすぐにでも点火したかったのだけれど大抵はすぐに明るくなる。ロウソクの出番は少ないのをさみしくおもった記憶がある。
世の中は進歩は歓迎だけれど、停電の経験は過去のものとなってしまったのだろうか。
今聴いているのは、桂米朝 [近江八景]
もっと早く書こうと思っていたのに忘れてしまった。和菓子の逹屋で聞いた所によると、4月3日は暦の上での花見にあたるらしく、桜餅は4月3日までしか作らないのだと。こんなに硬派な和菓子屋も少ないと思うけれど、桜餅は明日までという店があるかもしれません。広島では桜餅というと関西風。もち米か道明寺かは店によって違うらしいが、良くいく2軒はどちらも道明寺。道明寺の方が基本ですね。
桜もようやく開花。大学のとき、外で演奏しながら舞い落ちる桜の花びらの情景を毎年毎年思いだす。それくらいあの映像は強烈であった。座っている位置からは図書館から情処へ続く桜並木が見れたけれど、チェロやビオラ、バスの人はみれなかったかもしれない。
今聴いているのは、ドビュッシー [小舟 小組曲より]