これは昆虫の擬態の話。ベイツ型擬態とは無毒の昆虫の容姿が毒虫の容姿に似るということ。それによって無毒虫も捕食される確率を下げている。ミュラー型擬態とは毒虫同士が似たような姿をすることによって捕食される確率を下げるというもの。こちらの解説がわかりやすいです。
「愛媛県総合科学博物館 昆虫ワンダーランド」
この地球上で最も繁栄しているのは人間ではなくて昆虫だと思う。昆虫ほど地球に適応している生物はいないのではないだろうか。彼らの大きさは重力の影響を小さくするのに役立っている。垂直移動も楽勝、逆さに張り付けるし飛ぶ事だって簡単そうだ。数も多いし生態も多用。地球を支配しているのは人間かもしれないが、昆虫の勢力もかなりのものだ。幸いに人間と昆虫は競合することがあまりないので争う事は少ない。争っても昆虫は一方的に虐殺される側なのだが。
街を歩いていると市街地路上駐輪車を取り締まる人々が歩いている。彼らは市役所から委託されているだろうが、受託者は警備会社のようだ。警備しているわけではないのでじいさんやおばさんが多いのだが、特筆すべきはその服装である。濃紺の制服といかつい帽子はまさに警察官の制服の擬態。一方で警察は警備員との差別化を計りたいからたまに制服を変えてたりしている(のかな?)。悩ましい関係だけれど、まさにベイツ型擬態だね。
今読んでいるのは、高塚てつ彦 [やさしくわかる 気象・天気の知識]
昨夜はこの本を読みふけってしまった。気象に関する知識が詳しく、わかりやすく解説されている。今まで読んだ気象関連本のなかでダントツにおもしろい本だ。
「手紙」岡林信康 作詞/作曲
私の好きな みつるさんが
おじいさんから お店をもらい
二人いっしょに 暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私といっしょに なるのだったら
お店をゆずらないと 言われたの
お店をゆずらないと 言われたの
鋭い人ならわかると思うがこれは部落差別を歌ったもの。いきなりなぜこんな話題かというと「放送禁止歌」という本を読んだから。作者の森達也はオウム事件のドキュメンタリー映画などで知られる映像ディレクター。本も書いているのでどれ1冊読んでみようと思って図書館で借りたのがこの本。放送禁止歌とかかれているが、この本で扱っているのは部落問題で放送禁止となった歌。ハードカバーの出版は解放出版社だし。軽い気持ちで読み始めたのとは裏腹に本の内容はどんどんとディープになっていく。義務教育期間中にこれといった部落問題の教育を受けていなかったのであまり詳しくないのだが、関西では部落問題というものは力を込めて教えられているようだ。
特におもしろかったのは放送禁止歌というものに実体はなくて、テレビ局が共同で決めた「放送に相応しくない歌のリスト」が何となく守られているだけなのだと。だからこの曲のこの部分がダメだから放送してはいけないのではなくて、あくまでも自主規制しているだけのこと。例え放送されても放送事故というわけではないようだ。
もう1つ鋭い表現があって、戦後の日本のタブーは「天皇、在日朝鮮人、部落」なのだと。なるほどー。確かにこれはタブーだ。戦後しばらくの間は朝日新聞など左翼系の新聞では天皇に直接「戦争責任」についてインタヴューしていた。今となっては天皇と戦争責任を結びつけるマスコミはあるまい。テレビで韓国や中国がいまだに日本に戦争の謝罪を求めていることに対して「ドイツはうまくやったよ。全てナチのせいにして戦後は過剰にナチを弾圧することによって、ドイツ国民は悪くないかのようにしているから。」とコメントしている人がいた(たかじんのそこまで言って委員会かな?)。その時に会場にいた知識人といわれる人々はみな「日本の場合は天皇に責任を押し付けられなかったから」と思ったに違いない。みんな黙っていたから。お世継ぎ問題で久しぶりにタブーに触れることになりそう。マスコミはこのタブーをうまくかわせるのだろうか。
今聴いているのは、ラヴェル[ヴァイオリンソナタ 遺作]
学生時代に作曲して死後見つかったこの遺作。有名でないけどかなりいい曲です。
ライブドアとニッポン放送、フジテレビのやり取りはなかなかおもしろかった。一番気になるのはニッポン放送の亀渕社長の言動である。もっとも気になるのは「私は若い人が好きだ」という発言。若い女が好き、という発言ならばただのエロオヤジなのだが女も男も若い人が好きらしい。DJをやっていたこともあり、若い人の感性が好きだし応援しているといいたいのだろうがなんだか国民の心情を握りたいという気持ちが明け透けなのである。「社員の気持ちが伝わらず残念」という発言もあった。これは裁判所の判断に対してなのだがそもそも問題の発端は経営者にあるのに。油揚げをさらうトンビはソフトバンク系の投資会社なのだろうか。ホリエモン、同業者に2連敗か。
さて最近気になったCMを4つ紹介。
Adidas_1
そう、音楽といい押し付けがましくない内容といい好感のもてるCM。ただサイトがFlashを多用していて使いにくい。
キューピーマヨネーズのたらこキユーピー行進のCM
そう、これは押し付けがましいCMの代表例。しかし画像が新しくて耳に残る音楽とともに思わず画面に注視してしまう。週に1度見るなら良いが毎日だと嫌だね。個人的にはサントリーよりもキューピーのCMが好きだ。
EOS KISS
キャノンじゃなくてキヤノンのデジタル一眼のEOS KISS。子供のメイクがロックバンドのKISSとなっている。KISSはかなり有名なバンドだけれど、女性はわかるのかなあこのシャレ。最後に火を噴くのに笑ってしまう。
コカコーラ
最後はイメージを売るCMの代表。コカコーラ。瓶のコーラなんてめっきり見なくなった。最後に手にしたのは何年前だろう?しかもイメージが伝わってこない。第一、ボトルから直接飲む姿は美しくないということに気がつかないのだろうか。
ふと思い出したのだけどコンビニの冷蔵庫のドリンクはほとんどがペットボトル。コーラなんて500mlも飲みたくないんだけれど。実質的な値上げということか。
今聴いているのは、ドビュッシー [海]
激しく雨が降っていて、この曲とよく雰囲気があう。
サッカーW杯地区予選を見ていたのだが解説の松木安太郎がもうどうしようもない。言っている言葉は「ア″ァーーー」とか「もーー」ばっかり。センタリングに失敗した時のコメントが万事これだった。イラン戦を見ていていまいち画面に集中できなかったのは安太郎の安いコメントのせいだろう。このくらいならば全国テレビの前で叫ばれている。解説じゃなくて心情実況中継だからなあ。実況じゃなくて解説をしてください。早速次のバーレーン戦をチェックすると地上波では解説がセルジオ越後だった。よかった、安太郎でなくて。
十年ほど前、セリエAを衛星放送でみていた。その時の実況が非常によくて今でも記憶にある。多分柄沢晃弘だったかな。声が聞き易いのと必要以上に叫ばないのがはやりいい。地上波ではお祭みたいな雰囲気を出したいのだろうな。フジテレビが地上波のF1解説に一流どころを出さなかったりと無料放送は何かとしがらみが多い。いいものは高いということなのだろうか。
今聴いているのは、久石譲 [ナウシカレクイエム]
ナウシカのCD、初めて買ったCD。確か小学生5年くらいかな。久しぶりに聴いた。
万博でサツキとメイの家を出展してスタジオジブリが金を稼いでいるのは、原作のナウシカを完全映画化するためでは?と希望的観測をしているのだがどうでしょうか。
今日はサッカーのワールドカップ地区予選でイラン対日本の試合がある。テヘランでのアウェー戦。もちろん日本に勝ってもらいたいね。Orkutを通じて2人のイラン人の友達ができたので、普段見ることのできないイランの映像を見れるのは純粋に楽しみ。
今見ているのは、もちろんサッカー イラン対日本
愛地球博覧会が始まったようだ。ニュースの画面を見て愛知と愛地球がダジャレであることを知った。っていうかいいのか?こんなダジャレで。このダジャレに大受けしたであろう万博の開催者のセンスがうかがい知れる。なんだか胡散臭いにおいがプンプンするんだよな、この博覧会。しばらくは様子見がおもしろかもしれない。
今読んでいるのは、川上弘美[ニシムラユキヒコの恋と冒険]
川上弘美ってなんだかおもしろくない。つまらないわけではないけど、世界に入り込めるほどおもしろくない。人気作家なのだけど・・・
一家に1冊「理科年表」は必要なものだと思う。もしかすると百科事典よりも役に立つのではないだろうか。単語の意味を調べるのはもはや造作のないことになっているが、理科年表には知られざる情報が眠っている。これ1冊あればトリビアが作り出せ続けるだろう。これがあれば夏休みの自由研究も2日で終わらせることが出来るだろう。
例えば「都道府県庁間の距離」がp617に載っている。長野-静岡186.7kmでありこれは石川-滋賀187.1kmと似た値。ふーん。
「物質の引火点」p403によればガソリンは-43℃以下、軽油50‐70℃、菜種油313‐320℃。なるほど、火のついているストーブに直接軽油を入れるのは非常に危ないということがよくわかる。また気象に関しての情報も豊富でかの土地はどんな気候なのだろう?というときに紐解けば雨量、平均気温をさっくりわかる。うーむおもしろい。寝る前に読むのにうってつけ。
この本のようにさまざまな理科分野の情報が一冊に網羅されている本は世界でも例がないのだという。まずは本屋で立読みしてみてください。
今読んでいるのは、丸善株式会社 [理科年表2005 国立天文台編]
あいかわらず卵が高め。10個入りで188円だと高いと感じてしまう。168円で普通の値段。あわよくば99円で購入したいと思っているので最近の238円を超える卵価格には参ってしまう。といってもそんなに卵を食べるわけではないのだが。
卵が価格の優等生であるというのは良く聞く話。1キロあたりの値段は50年前とそんなに変わっていないので納得。「たまご博物館-鶏卵統計室」より。
この間に貨幣価値の変化(つまりはインフレ)しているので卵の価格が変化しないのは実質的には値下げである。かつては高級品だったものがすっかり普及品となった例はたくさんある。そして現在の卵はもう工業製品と同じレベルだからなあ。それは安くなります。
もともと卵の値段は冬に高くて夏に安い。冬はクリスマス、年末、おでんなど卵の需要が増えるけれど供給が少なくなる時期だからである。今回は鳥インフルエンザによる鶏数の減少も大きな要因のようだ。しばらく前にテレビのニュースでお好み焼き屋がインタビューされていた。「卵が高くなって大変ですね?」「はい。かといって価格を上げるわけにもいかず・・・」。思わず笑ってしまう。だったら卵が安い時には値下げするのだろうか。今回の値上がりもまあ2割程度なので受け入れざるえない価格変動か。PCのメモリだって液晶画面だってこのような値上がりは良くあるのだからね。10個100円の時代が懐かしい。
今聴いているのは、チャイコフスキー 長岡京室内アンサンブル[弦楽セレナーデ]
本を読んでいたら段々と揺れてくる。震度は3だったようだけれど4階なのでもう少し揺れていただろう。ゆったりとした横揺れ。久しぶりの揺れだったのでちょっと驚いて、あたりを確認するけれどこの部屋には落ちてくるものはないし、倒れてくる家具もない。建物が崩壊しない限り安全だと思う。

この画像は地震直後の「tenki.jp/」よりパクリ。震源は福岡県なのだが地面ってつながっているんだと良くわかる。長野や栃木でも揺れているのがなんとも不思議。岩盤がつながっているのだろうか。海底にも地震計はあると思うのだがその情報は表示されていない。震源を中心にして同心円状に震度は変化しているのだろうけれど、地面の状態によって違いが発生するのだろうな。
今聴いているのは、ラジオ[KCRW-Simulcast]
ネットラジオなのだけれどかなりイイ!。iTunes-Radio-Publicで聞けます。
やっと読み終わったダルトン トランボの「ジョニーは戦場へ行った」はとてもおもしろかった。戦争に行って、手と足を失い、聴覚視覚嗅覚を失った男の話だということは知っていたのでノンフィクションっぽい小説かとおもったらまったく違った。WWII開始直前に書かれた本とは思えない。今でもおもしろい。闇の世界に生きるジョニーがかすかに光を取り戻すところはとても印象的。状況だけに決して明るい話にはなれないのだが、小さな奇跡がクリスマスに起きるのである。
お薦めです。この本はWWII下で発行禁止になり作者も赤狩りを食らった。初めて知ったのだがヘプバーンで有名な「ローマの休日」の作者でもある。以下は最後の方から引用。
ぼくたちの手に銃を握らせてくれ。そうすればぼくたちは敵を射つ。指導者たちよ、戦争計画をたててそして道を示せ。そうすればぼくたち国民も銃をとり、敵にその銃を向けるであろう。
肢体を失ったジョニーの言う皮肉に満ちたこの台詞。原題は「Johnny Got His Gun」なのに邦題はなぜ「ジョニーは戦場へ行った」なのだろう。意味がわからない。直訳は許されない事情があるのだろうか。不毛である。
今回は空気の話。透明だし軽いので普段意識しない。人間の体は水で出来ているという言葉は良く聞くけれど、空気が非常に重要だといわれるのはダイエットの時の有酸素運動の時と泳いでいる時くらいだろうか。人間の体をエンジンに例えると水はオイルで空気はガソリンかな。
この空気の重さは1Lで1.3g程。水は1Lで1000g。そして地表付近での空気の重さは1気圧(1atm、1013hPa)では1cm平方あたり1Kgなのだと。ちなみに人間の体には250Kg程度の空気がのっているらしい。これは圧力なので天井のある部屋でも屋外でも同じ値。そうなのかー空気って結構重いんだなあ。もちろん人間は1気圧の条件で生きてきたので、この状態で不自由を感じない体の作りになっているのは言うまでもない。空気もあなどれません。
今日読み終わったのは、トランボ [ジョニーは戦場へ行った]
今聴いているのは、中村 由利子 [私の騎士]
子供の頃、夕焼けを見て泣き出したことがあった。セミを取りに行って、4、5人いた仲間とはぐれて気づいたら一人ぼっちで、夕焼けで、僕は恐ろしいほど孤独だった。まるで天と地の間に僕一人しかいないような、そんな寂しさ。夕焼けは酷い位に綺麗で、赤と金色が入り交じって、あたり一面光っていた。 それなのに、その事を語る事のできる奴は、誰もいない。恐かった。寂しかった。僕は、どうしようもなく無力で、出来る事といったら、泣き出す事だけだった。今でも僕は、その日の事を夢に見る。ちょうどこんな風な夕焼けだったよ。
人間は情報の入力を視覚に頼っている生物といえるだろう。視覚の次は聴覚かな。触覚や嗅覚というものはちょっと優先度が低い。また百聞は一見にしかずという言葉もある。
さて今回の見えないものは放射線である。放射線というと原爆や原発を連想し非常に怖いものと思われるけれど、レントゲンでも浴びるしなにより宇宙からは宇宙線がやってくる。地球も放射性物質を含んでいるので地下に潜ると地上より放射線を浴びる。α線とかβ線とか色々あってそれぞれが特性をもっている。α<β<γの順番で透過力がアップする。α線は皮膚で遮られるがβ線は皮下数ミリまで達する。透過力が大きければ人間を突き抜ける。普通、目で見るには難しい物体のように思われるけれどずばり放射線を見れる装置がある。それが「拡散型霧箱」。確か関テレのミニ科学コーナーにあった。ここは入場無料なので扇町で暇があったらみるのもおもしろい。放射線(宇宙線)そのものを見るわけではなく、アルコールの飽和気体中に残る飛跡を見れるのだが。こんなものが体にぶつかっているのか、と少しは実感できるでしょう。
今読んでいるのは、トランボ [ジョニーは戦場へ行った]
これってWWIの話だったのか。WWIIかベトナム戦争だと思っていた。古典だったのか。
おもしろい本だった。池澤夏樹の博識にはいつもながら驚かされる。理系の作家のいいところが満載。しばらく前に読み終わったのは「パレオマニア―大英博物館からの13の旅」。大英博物館の展示物をみて、それがもとあった場所を訪ねるという紀行文。ギリシア、トルコ、イラン、韓国、カナダ、イラク、イギリス、エジプト、インド、カンボジア、メキシコ、ヴェトナム、オーストラリアの13の旅。
エルギンマーブルを始め、カナダのトーテムポール、エジプトのミイラなど大英帝国がせっせと持ち帰ったものがなんと多いことか。そして今でも返還請求が行われているという。しかし池澤が書いているように、保護されたおかげで現在まで保存された遺跡や遺物がたくさんある。そして世界中に向けて公開しているのはやはり大英博物館の存在意義そのものであり、この意義はこれから先もしばらくは保たれるのだろう。
あくまでも紀行文であって、大英博物館の解説ではない。もっとも印象的だったのはカナダのイヌイットのトーテムポールの話だが、これは星野道夫の著作を読んでいたからだろう。ワタリガラスやサンダーバードの話をしっていたのでより深く楽しめることができた。というわけであわせてお薦め。星野道夫「森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて」
今聴いているのは、フォレ [ピアノトリオ]
ああ、春の雨にはこの曲だ。時に激しく、時に優しく。
これがその人形です。近所の川沿いにある街路樹の根元に置かれていた。

最近、広島市では軍手人形というものが流行っている。流行っているというか謎の物体として認知されてきている。誰が、何の目的で置いているのかはまったく不明。市内の街路樹や植え込み、石碑の周辺に置かれている。ある掲示板の情報によると50体以上が発見されたのだと。そしてそれはローカル新聞の記事になったとかならないとか。まあ悪さをするわけではないんだけれどなあ。誰が置いているのかほんとに気になります。どうやらこの人形は移動しているようで、今回撮影した2日前に撮影した「カメラ小僧カワノッチの写真汁」では4体ある!!夜な夜な仲良く行進でもしているのだろうか。
今読んでいるのは、ジョン F ロス [リスクセンス]
花粉症の季節は目が悪い人のもどかしさがよくわかる。
池澤夏樹の「やがて人に与えられた時が満ちて・・・」という本に「ティーダ研究会」という話があった。ティーダとは「太陽を追うもの」という意味のラテン語(かな?)。そしてふとテレビを見ると、NISSANのCMではティーダという車種が紹介されていた。ティーダはサニーの後継車種ということで、まさに太陽を追うものということのようだ。
今読んでいるのは、トランボ [ジョニーは戦場へ行った]
あれれ?なんだか記憶にある本と内容がまだ一致しない。
あいにく男のトイレの状況しかわからないのだがトイレの後、手を洗わない男性は多い。80%とは言わないけれど、60%は超えるだろう。老いも若きも手を洗わない。なぜ手を洗わないかというと、それはもちろん汚れた気がしないし、汚していない自身もあるのだろう。僕は男性用小便器の機能・形状に関して合格点を与えていないので手を洗う。適当にではあるけれど手を洗う。そういえば昔見た(ゴッドファーザーかな)映画でマフィアのボスが用をたす前に手を洗っていた。手下に「ボス、なんで先に手を洗うんですか?」と聞かれて「汚い手で触ったら汚れちまうだろ」と答えていた。こういうのがかっこいいといえるのかもしれない。
もう1つトイレで気になるのは、通路の男女別になるかならないかのところでチャックに手をかけているおじさんが意外と多いことだ。そんなにもれそうというわけでもなく、癖のようなものなのだろう。男ゾーンには男しかいないので安心しているのかな。ちょっとみっともない。締まりの悪い男のように思えてしまうからだ。
今聴いているのは、the Beatles [オブラディ オブラダ]
ホンダのクルマのCMでずいぶん前から使われているけれど、この曲、ビートルズの中でも好きではない曲なんです。
昨日のエントリに書いた本の中におもしろいことがあった。それは5章に書かれていた。いわゆる言い換え語。
空襲-空爆
解放-占拠
民族浄化-民族移動
死体置場-墓地
プロパガンダ-情報
なるほど。受け手と為し手で同じ行為をあらわす言葉を言い換えられる。こう言う言葉は覚えていても便利ですね。東京は空襲でコソボは空爆。
今読んでいるのは、二ノ宮知子 [のだめカンタービレ 3]
「われわれは、戦争をしたくはない」 あらゆる国の国家元首、少なくとも近代の国家元首は、戦争を始める直前、または宣戦布告のその時に、必ずといっていいほど、おごそかに、まずこう言う。「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
両陣営とも、相手国が流血と戦火の悲劇を引き起こそうとするのを抑制するために「やむをえず」参戦するという矛盾した構図は、第一次世界大戦時にすでに存在している。「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
たとえ敵対状態にあっても、一群の人間全体を憎むことは不可能である。そこで、相手国の指導者に敵対心を集中させることが戦略の要となる。「われわれは領土や覇権のためでなく、偉大な使命のために戦う」
多くの場合、経済効果を伴う、地政学的な征服欲があってこそ、戦争が起こる。だが、こうした戦争の目的は国民には公表されない。「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
戦争プロパガンダではしばしば、敵側の残虐さが強調される。「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
わが陣営は、残虐行為はおこなわない。そればかりか―まるで何かの競技、それも過酷で男性的な競技のように―ルールを守ってフェアな戦いをおこなっている、というのがよくある主張だ。「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
よほどのへそまがりでない限り、人は勝者の立場を好む。戦時中の世論の動向は、戦況によって左右される。「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
すべての広告がそうであるように、プロパガンダも、人々の心を動かすことが基本だ。感動は世論を動かす原動力であり、プロパガンダと感動は切っても切り離せないものだと言っていい。「われわれの大儀は神聖なものである」
神聖な大儀とあれば、何があっても守らなくてはならない。必要ならば武器を手にとってでも。「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
戦争プロパガンダに疑問を投げかける者は誰であれ、愛国心が足らないと非難される。いや、むしろ裏切り者扱いされると言ったほうがいいだろう。
以上は、アンヌ モレリ「戦争プロパガンダ 10の法則」より。読みやすくておもしろい本だった。著者はブリュッセル自由大学歴史批評学教授。3時間もあれば読める本だと思う。ベースとなっているのは1928年に出版されたアーサー ポンソンビーの「戦時の嘘」。そこに記されている10の法則を近代の戦争に当てはめながら読み解いていくのが本書の主旨のようだ。
プロパガンダというとナチスドイツ、あるいは太平洋戦争時の日本政府をすぐに思い浮かべる。ほとんどイコールで結ばれて記憶されている。都合の良い情報や、嘘を報道して国民の感情を操作する行為という認識だった。本書ではWWI、WWII、コソボ紛争、湾岸戦争、イラク戦争など近代から現代の戦争において用いられたプロパガンダを説明しており、プロパガンダを用いるのはナチスドイツや東条日本だけでない。フランスもイギリスもドイツもアメリカも、NATOもセルビアもアメリカもイラクもアメリカもイラクもプロパガンダを使っているのだ。いわば戦争を始めるための儀式のようなものだろうか。イラク戦争についてはあまり触れられていないが、多分ブッシュは全ての法則にあてはまる発言をしているように思える。まったくもって単純である。
この本を読んで思うのは、第二次朝鮮戦争が勃発した時、我が政府はどのような対応をとるのだろうか。非常に興味深い。
今日読み終わったのは、アンヌ モレリ [戦争プロパガンダ 10の法則]
サッカーワールドカップ予選の日本対北朝鮮戦がおこなわれた時、ネットのニュース速報に「北朝鮮戦にむけ厳戒態勢」というタイトルがあった。一瞬、ついに第二次朝鮮戦争が始まったのか?と思ったのだがサッカーのことであった。平和な世の中である。
たいした根拠があるわけではないが、北朝鮮の金体制が崩壊する時に戦争が起こるような気がする。核兵器の保持を宣言しており、核家族の仲間入りしたことは家長アメリカにはさぞ不満のことだろう。ブッシュも二期目で名声を得るために、あるいは悪の枢軸国家打倒の仕上げとしてイラクの次は北朝鮮を狙っているかもしれない。少なくともイランよりはツッコミどころが満載だからね。次の大統領選挙では共和党から民主党への政権移動もありうるので、4年以内に戦争が起こるのかも。意外と近いな。
隣国で戦争が起きたときに日本はどうするのだろう。自衛隊を派遣するのだろうか。朝鮮半島は統一されるのだろうか。どうなるのでしょうねえ。なんとも頼りないわが政府です。
今聴いているのは、Bjork [come to me]
久しぶりに聴いた。この曲をいいなあと初めて思ったのが春だったので、春の曲である。
スギ花粉の飛散に伴い、鼻の下の攻防が激しくなっている。スギ花粉にアレルギー反応を持つ人の鼻の下では鼻水とそれをふき取ることによる皮膚とティッシュとの摩擦が皮膚の自然回復速度との間で揺れ動き、激しい攻防を繰り広げている。なお、この攻防の根本原因はアレルゲンであるスギ花粉である。
現在では、きわどい状況であるが皮膚の回復速度が上回っている。これはやわらかいティッシュの利用、鼻の下をこすらない、ティッシュではなくハンカチで鼻をかむ、ザーネクリームによる回復補助などの対策のおかげと思われる。万一、摩擦が自然回復速度を上回ると鼻の下の平原は赤くなり小さな裂傷を伴う場合もある。こうした最悪事態を避けるためにも、ティッシュの鼻栓などさらに強力な対策が脳内で協議されている。この結果は数日後にはでる予定。
なおこの攻防はヒノキ花粉の影響もうけ長期化する模様。「はなみず」を変換したら最初に「花水」がでてきてちょっとうれしかった。
今読んでいるのは、ドルトン トランボ [ジョニーは戦場へ行った]
有名な作品だけど閉架図書ではなかなか手にとる機会がない。
ER7でマーク グリーンが死んだ。グリーン先生ついに逝ってしまうか。どうやら実生活で家族と過ごす時間が欲しいとのことだけれど、脳腫瘍による死とは突然です。ノーザンエクスポージャーでバブルマンとして出演している時から印象的だった。どうやらTOPGANにもでていたようだけれど記憶はまったくない・・・
後に続く文は、化学治療を中止してハワイで余命を過ごすマークからのFAXです。
今は夕方の5時半。ビーチに来ていて、エリザベスは隣でジュースを飲んでるが、僕はマイタイ一本槍だ。太陽は傾き、レイチェルはエラの足を海に漬けながら、完全な形の貝殻を探し続けている。僕ってこんな時に馬鹿なことを考えているんだよ。何だか分かる?ジョギング中の男が呼吸促迫で倒れて、僕が竹べらを持って駆けつけて手際よく挿管する。もしこうなれば、この浜辺のシーンは完璧だ。そう思うほど君達と汚い仕事場が、とても懐かしい。別な仕事を選べば良かった、開業すれば良かったと、何度思ったことだろう。楽して儲ける方法はいくらでもあった。
確かに今、愛する家族と一緒に過ごせて僕は幸せの絶頂にいる。でも思い返すと君達と共に日々汗した人生は、最高に充実していた。誰でも過去を懐かしがるものだと、きっと君達は笑うだろう。僕がいないとERはやっていけないと、出来れば思いたい。でも君達は世界一素晴らしいドクターと看護師のグループだ。その技術と思いやりと熱意には、誰もかなわない。急患が来れば僕がいないことなど問題じゃないだろう。しかし友情と仲間意識は永遠だ。去るにあたって、僕はいつもどおりに振舞って厳しいことを言ったが、それは決して君達を評価しなかったわけじゃない。大体僕は、人を誉めるのが下手な性格なんだ。長年の付き合いで僕が君達をどう思っているかは察しがつくだろうが、でも僕は・・・
エラが手を振って笑ってる。貝殻を見つけた。
今朝逝きました。6時4分です。マークの一番好きな、日の出の時間に。皆さんへの熱い思いを伝えたかったので、送ります。彼を忘れずにいてくれてありがとう。
今読んでいるのは、アンヌ モレリ[戦争プロパガンダ10の法則]
おもしろい本。プロパガンダといえば日本やナチスが有名だけれど、何のことはない連合国側も同じことをやっていたという話。結局正当性のある戦争なんて侵略に対する自衛戦しかないのだね。
MTBについているブレーキはカンチレバーブレーキといって今や1世代前の装備。現在主流のVブレーキの方が制動力が大きいらしい。ブレーキシューの位置を直して、ブレーキワイヤーを締めなおした。そしてブレーキレバーとシフトレバーの位置も修正して調整完了。うんうん、ブレーキの効きが良くなった。やはりこれくらいでないとね。普段何気なく自転車に乗っている方、ブレーキの減りは確認しておいた方がいいですよ。特に濡れた時のブレーキの効きに差が出るから。
最大速度で自転車をこぐとき、一瞬体の力が伝わらない瞬間を感じる。まるで車のクラッチを切ったときのように。それは踏み込んだ右足が一番下まで降りて、今まさに踏み込もうとしている左足に力を入れるために体重移動をする瞬間。普通の速度でこいでいる時にはペダルが一番下に行く前に反対の足に体重移動をするのだが、スピードを出しているときにはパワーを最大限に使いたいためにペダルを下までこぎきりたいのだ。この一瞬の空白と坂道が重なると段々とスピードが落ちてしまうのがなんとももどかしい。この解決法は以前にも書いたとおり、引き上げる足でペダルを引き上げること。ペダルを引きあげるってどういうこと?というと意外と簡単。足の裏にペダルを乗せる感じ。左足をこぎ下ろすのと同時に右足はペダルを蹴り上げるのだ。これはハンドルに体重をかけながら行うとさらに簡単。これでスピードアップは間違いなしです。しかしスピードアップしたからといって目的地にたいして早く着くわけではありません。1分の短縮は可能ですが、5分の短縮は難しいものです。これは車も同じ。早くつきたのなら早く出発するしかありません。
今聴いているのは、the art of noise [ロビンソンクルーソー]
例えばあなたと私それは永遠の目的地なのかもしれません。でもこの星を包む風のように、ウイークエンドの夜は静かに2人の中を飛びつづけています。
ジェットストリーム、ミッドナイトオデッセイ。スクリプト、原田宗典お相手は、城達也。この番組は日本航空がお送りしました。
洗顔に使っているDHCの(試供品)ソープに蟻が列を作っていた。透明なのでグリセリンソープだと思うのだけれど、グリセリンだけに甘いから蟻が集まるのかな?と思ってペロリとなめてみた。うーん微妙に甘いかな。すぐに口をゆすいだけれど。しばらくは蟻捕獲トラップとして様子をみるとしよう。
リスクの話に関して続き。こちらのサイトの情報が参考になる「メディアは『安全』を報道できるか」(市民のための環境学ガイド)。リスク学に関係している学者と現状の常識の差が良くわかる。環境リスク学の著者のサイトはこちら。この2つのサイトをチェックするだけで、もう常識レベルを超えた環境知識を取り込むことが出来ます。ありがたや。
京都議定書が発効しているので何らかの対策をとらないといけないのだが、CO2と地球温暖化問題は不確定要素が大きすぎるようだ。なぜ温暖化が進んでいるのか、ガスの問題なのか気候変動なのかよくわからない。温暖化したところでその影響もよくわからない。まるで地面が水没するかのような情報もあるが、温暖化したところで海面の上昇は40cm程度ということが研究者の間では常識らしい。このあたりも世間の常識とだいぶずれている。
今日読み終わったのは、二ノ宮知子 [のだめ カンタービレ 2]
GREENを読んだばかりなので千秋と誠がかぶる。顔が似ていてもキャラが違うんだよな。
最近読み終えたのは「『環境リスク学 -不安の海の羅針盤』中西準子 日本評論社 2004.09.20」という本。おもしろいという評判を聞いていたのだが、なるほどやはりおもしろかった。
環境工学の専門家でり横浜国立大学の教授でもある著者の最終講義の載録から始まる。どのようにして環境問題を扱うようになったのか、環境問題を扱ううちにリスク評価に目覚める過程が非常におもしろいのである。 色々な危険を避けたいけれど、ガスマスクをつけて生活するわけにはいかない。だからリスク評価をして、効果のある対策をしていかなければいかない。主に環境対策と行政の行動を通してぶつかりながら学んでいく。なるほど、環境問題に関わらず意思決定の方法としてリスク評価は有効だろう。著者がそこまで見越してこの本を書いているのはさすが。
現在ではダイオキシンなど環境ホルモンは問題となっていない。該当物質が減ったのではなく、むしろ多少摂取したところで健康に問題がないことがわかったからである。このことを知らずに、「母乳はダイオキシン汚染の可能性があるから人工乳で育てよう」と考えることは虚しい。このような過ちを犯さないためにも、自らがリスク評価を理解しなくてはならないのだろう。
また環境工学時代にはただひたすら事実を追及していたが、リスク評価をするにあたり今度は不確定要素を扱うことになってしまった。このあたりは非常におもしろい。天気でも過去の天気や気候の変化は簡単に解説できても、未来の予報は難しく外れることも多い。けれど重要なのは過去の事例ではなくて、これからどうなるのかということ。この考えの応用範囲は広い。
専門書ではなく一般書だし、BSE、ダイオキシン、サルモネラ菌をはじめ貧困、騒音、魚を食べることなど日常のリスクを簡単ではあるが扱っている。避けれるリスクは全て避けるべきというゼロリスク論ではなく、どのリスクを選択し受け入れるかというのが不安な海で進むべき方向を示してくれる。
ちなみに日本における科学物質のリスクランキングは以下の通り。括弧内はそのリスクによる余命損失(寿命がどれほど短くなるか)です。
喫煙-全死因 (数年~十数年)
喫煙-肺ガン (370日)
受動喫煙 (120) 虚血性心疾患
ディーゼル粒子 (14)
受動喫煙 (12) 肺ガン
ラドン (9.9)
ホルムアルデヒド(1.3)
ダイオキシン類 (1.3)
カドミウム (0.87)
ヒ素 (0.62)
トルエン (0.31)
クロルピリホス (0.29)
ベンゼン (0.16)
メチル水銀 (0.12)
キシレン (0.075)
DDT類 (0.016)
クロルデン (0.009)
p104より抜粋。
ラドンは放射線の一種。カドミウムは米に含まれている。ヒ素は井戸水では注意が必要。クロルピリホスは害虫駆除剤。メチル水銀は水俣病の原因物質でありマグロや深海魚に多く含まれる。ちなみに着色料、保存料などの食品添加物はこれらよりももっとリスクは小さい。
今日読み終わった本は、中西準子 [環境リスク学]
というわけで非常におもしろかったです。
広島に本社のある家電量販店のデオデオのトイレを借りたついでに気になる家電をチェックしてしまった。まずは薄型テレビ。今使っている17インチ(多分)ブラウン管テレビでもまったく差し支えないし、なければないで過ごせるのだがトレンドとしてチェック。売れ筋は40型程度のテレビらしい。かなりでかいです。もうこれは家族向けなのだね。40型というのは小さなプラズマ、大きな液晶が入り乱れ価格もこなれてきているのだと。しかし30万円台なのであるけれど。地上波デジタル放送がしばらくしたら始まり、アナログ地上波は廃止されることが決定している。これはテレビの問題ではなくてチューナの問題なのだが、単体のチューナが安くないのでチューナ付属のテレビかビデオを買うのが普通なようだ。
さてブラウン管テレビは今や時代遅れなのだがプラズマと液晶のどちらが良いのだろう。小さい画面なら液晶、大きい画面ならプラズマが有利。色はプラズマの方が自然だし、画面の反応やチラツキのに関してもプラズマの方に分がある。液晶の利点は小さい画面だと安い、消費電力が小さい、技術的にほどほど成熟している点だろうか。プラズマは新しい技術で、小画面化への技術的なブレイクスルーも難しいようで撤退したり、他者と合同で生産しているメーカーもある。それに寿命が短いのではないか、という噂も絶えない点が気になる。
どうなんだろうか。地上波デジタルチューナを持っており、大画面が必要なければもう一度ブラウン管という選択肢もありうるような気がする。もっとも地球の資源という点ではブラウン管はよろしくないようだけれど。
その後ちょっと冷やかしたのは洗濯機とオーブンレンジコーナー。今の時代でも2槽式洗濯機が売られていて驚いた。洗濯槽と脱水槽が別れているあれである。かなり懐かしい。2槽式の時代は冬の洗濯は辛い仕事だったし、年に数回は水があふれることもあった。今ではほんとにスイッチ1つ。これほど進化のあった家電も珍しいだろう。オーブンレンジはコンベクション機能がオーブンの機能を決めるようだ。そして最高温度を何分維持できるか。これによって使い勝手が違うようだ。個人的には料理完成時のアナウンス音がどんな音かが気になる。日立のメロディはちょっとなあ。甲高い音の機械音も耳にさわる。使用頻度が高いだけにこういう事は重要なんだよな。買わないけれど。
今聴いているのは、the Beatles [Lucy in the sky with diamonds]
アイ アム サムを見てました。子供の演技がうまい。日本の子役は下手すぎるね。
たまに女性誌を読むと「SHIHOの流行のパンツ着回し1週間」みたいな特集が載っていて非常におもしろい。「先週の合コンで知り合った藤木君からメール。お食事の誘いだった。ブランチくらいならいいかな?あれ、これって恋の予感?」などと書いてあるからおもしろい。これが漫画だったらギャグ漫画なのだが。
さて、ここにいるのは恋ならぬ鯉。そう、巨大カープです。8歳、24キロ、80万円の巨大な奴。画面の上部で覗いている女の子は小学生1年くらい。後ろを振り向いている二人はあまりのでかさに驚いて親を探しています。広島市西区は新潟についで鯉の生産量が多い。地震のおかげで首位奪回か?品質では広島が一番だといっていました。数の新潟、質の広島ということか。
島田雅彦の「沈む女 浮く男」という本で主人公の男は豪華客船でクルーズ中にその船がハイジャックされてしまう。そこで軟禁状態にある客や船長と「同じ物を食べつづけるなら何がいいか」という話題がでる。ある人は蕎麦と答え、別の人はおにぎりと答える。漁師だった人はマグロの刺身と答えていた。そして蕎麦を選んだ者は、マグロの油を恋しく思い、マグロを選んだ者は蕎麦の素朴な味を欲するだろうと続いていた。
単一の食べ物を食べつづけることは現在ではほとんどありそうには無いことだけれど、自分の場合だったら何を選ぶだろうか。うーんおにぎりかな。トマトソースのパスタというのもいいな。チャーハンでもいいかもしれない。いずれにしても食べ飽きないのは炭水化物かな。
今日読み始めたのは、中西準子[環境リスク学]
副題は「不安の海の羅針盤」。この世にあふれるリスクとの付き合い方、リスク評価とは何かの解説に定評のある本、のようだ。おもしろかな。
NHKスペシャルで放送されたスマトラ沖地震の津波の映像に釘付けとなってしまった。津波というのは波というよりは水塊が押し寄せてくるということなのだとよくわかった。波というと波長が短く、崩れやすく、抜ければ安全という感じだけれど、津波は波長が長く、崩れにくく、厚いのだ。普通の波が薄切りの羊羹だとすれば、津波は羊羹一棹そのままのような感じ(こんな例えでわかるだろうか)。
ドイツ人の観光客が海岸でビデオを撮っており、海岸線が異常な速さで後退してはるか沖に一様な波頭が見えているのだが、周囲の人が非難していないせいか結構余裕そうであった。結局この人は後から裸足で逃げて、足元を洗われる程度で逃げることが出来たので運が良かったのだろう。
自然災害で死ぬのなら地震で地割れに飲み込まれるより、津波に飲み込まれて死にたいと思っていたのでこの映像は衝撃的だった。そして津浪が打ち寄せる海岸にたくさんの人がいるのも衝撃的。波に飲まれ数分後には死亡する人の姿が映っているのだ。そして死体にはモザイクがかけられていた。死体ってそんなにタブーなのか?押し寄せた波が瓦礫や車とともに街中を進んでいく姿をはじめてみた。洪水による浸水が高いところから低いところへと重力に従って動いているのに比べ、津波は波自体が持っているエネルギーが高低さを逆流して進んでいる。そのため複雑な流れが発生するようだ。
今や英語どころか世界中で通じるといわれる津波。やはりその姿を見てみたいものだ。こういっては不謹慎だがホテルの屋上から津波の様子をビデオに録画していた人がうらやましかったりする。津波の映像を見逃した方はこちら。「asiantsunamivideos.com/」
今聴いているのは、ドビュッシー [バイオリンソナタ]
グリュミオーの演奏を聴くと、江坂公園で初めてこの曲を聴いた時のことを思い出す。いい思い出だ。