XXXさまきのう、きみの夢を見たよ。
きみからのメールももうすぐ100通。
今年の花見はいっしょにいけないよ。
ドラクエ、おれの続きをやっただろ。楽しみにしてたのに。もう終わりだ。
きみに貸したCD は砂に埋めてくれ。僕の記憶といっしょに………。
最後に言っとくけど、きみがスタバって呼んでたあの店、ドトールだから。じゃあね。
自動生成だけれども妙におもしろい。
今日は手抜きでした。
今聴いているのは、the Beatles [Norwegian Wood]
基本的には自衛隊の国外派兵には反対の立場なのだが、今ではかなり肯定的に考えるようになっている。イラクの選挙の日程や他の国の軍隊が撤退をはじめるなかで日本はいつまで占領軍として駐留するのかは、アメリカ外交、国内政治にかんれんしてなかなか興味深いことである。
イラク派兵を肯定するようになった一番の理由は自衛隊の練度アップに役立つからである。北朝鮮、中国、台湾の状況が不安定な現在、専守防衛の自衛隊が役立つ時つまり戦争が起きる可能性というのは低くないと思う。第一この人間の世界で100年も平和が続くとは思えない。戦争は間違いなく人間が本質的に持っているものだから。今の自衛官の中で人に対して銃を向けた人がいるのだろうか?いくら志願制の軍隊とはいえ、人に銃を向け引き金に指をかけたときに人間として初めて考えるのではないだろうか。訓練の時に想像はするだろうけど、自分の命を賭け、相手の命を操るという感覚は戦場でないと味わうことはできないだろう。少なくともこんな経験は日本国内ではできないので、イラクでの活動は訓練の一環と考えるとかなりのお金を使う価値があると思う。国防にも関係するので最低のコストで最高のパフォーマンスをとケチくさいことをいってはダメかもしれない。
訓練の要素を除くとイラク派兵の意味はない、というのが今日のオチなのだがブッシュと小泉が個人的に仲がいいからといってだらだらと駐留するのはあまり意味がないように思える。
今読んでいるのは、スティーブン キング[アトランティスのこころ]
「安芸の宮島」を「秋の宮島」だと勘違いしていた。関係ないけれどピアノの練習曲のバイエルをてっきりバイエルンだと思っていた。勘違いとは恐ろしい。しかも大人だと勘違いを突っ込んでくれないこともあるから油断できない。モミジの季節にはじめて宮島へ行った。紅葉のピークは過ぎてすでに3割くらいは散っていたのだけれどさすがにきれいだった。谷に沿った山道に植えられたモミジが美しい。モミジは下から見上げると見事な面となるように葉を広げている。紅の色と空とのコントラストが美しい。わずかな風に揺れるのもモミジの特徴。さすが面で展開しているだけある。
今年は台風の当たり年で宮島でもたくさんの木が倒れていた。直径が50センチもあるような木が根っこむき出して倒れているのだから驚く。台風の風の力とはいかほどのものだろうか。遊歩道を歩いただけでも20本以上の木が倒れていた。木の寿命は長いと認識していたけれどこのようにして不意に枯れることもあるのだなと実感。冬を前にしてまだ新しい植物は生えていなかったけれど春をむかえれば太陽の光を好む植物が芽をだすのだろう。生物の授業ではそうした森の営みを習った。森にしてみたら木が倒れたことはそれほど悲しむことではないのだろう。すでに次の命が用意されているのだから。
きれいなモミジの葉っぱを採って本に挟んだのだが家に帰るとしわしわになっていた。モミジを押し花にするのはなかなか難しい。サクラの葉っぱは簡単なのだけれど。
しかし今回の宮島。一番の収穫は藤井屋で食べたもみじまんじゅう。食べなれているけれど、焼きたてを食べたのは初めてだった。皮がさっくりとしていて、熱々の餡子で舌をやけどしてしまった。普通のもみじまんじゅうとは別の食べ物のようだ。うますぎる。しみじみおいしいと思った。1つ80円でお茶はサービス。たったこれだけで店内のテーブルで休めるのだからお得。
今日読み終わったのは、吉行淳之介 [砂の上の植物群]
現在行っている趣味の運動として挙げれらるのは、自転車、インラインスケート、水泳である。これらに共通することは確かに存在する。それはスピード。普通の状態よりも格段に移動速度がはやいものにひかれるのだ。スピードで快楽を感じられるからこれらのスポーツをするのである。自転車は非常によくできた機械であり、人間の力を効率よくスピードに変換してくれる。インラインスケートもランニングとあまり変わらない装備なのにスピードを出すの必要な力は驚くべき少なさ。極めつけは水泳。1Gという陸上生物の宿命から解き放たれた空間での感覚は非常に素敵だ。というわけで自分の力を使ってながら、それ以上のスピードを得られるものが好きなのだ。
観戦するスポーツで好きなのは、球技でしかも敵味方の陣地が分かれていないもの。卓球、テニス、バレーはあまり好きではなくて、サッカー、バスケ、アメフト、アイスホッケーはおもしろいと思う。スポーツに関する興味や関心ってかなり個性があらわれますね。
今読んでいるのは、太宰治 [走れメロス]
奈良県で小学生が殺されて犯人はまだ捕まっていない。テレビではすっかり忘れ去られているけど吉川友梨も今だ行方不明のまま。ああなんと恐ろしい世の中なのだろう、安心して子育てもできない、今子供をとりまく社会はどうなっているのか、というのがニュースの姿勢。だけれど冷静に考えてみて朝に子供を送り出す言葉として適当なのは知らない人について言ってはダメですよ、ではなくて交通事故に気をつけなさいである。小学生が遭遇する割合としては断然交通事故の方が危険なのだ。けれど車よりも不審者の方を心配してしまう。これには理由があるのだ。
以前、さおりさんからメールをもらったのだが人間の死に関して、死にゆくその人本人よりも残される人にとって死という問題が大きいのだと書かれていた。さらに残される人が死を意識してからほんとに死が訪れるまである程度の時間がある方が同じ死でも混乱の度合いが少ないのだと書かれていた。なるほどその通りである。予想できる死であれば、予想した時点でその死を受け入れる準備が始まっているのだろう。病気であったり老衰であったり緩やかに訪れる死は確かに存在する。一方で突然訪れる死というのはほんとにもってやりきれない。
誘拐の方を心配してしまう理由として事件の残虐性の他にも、交通事故による子供の死というのはどこかで受け入れており心の準備がわずかでもできているということが挙げられると思う。まさか誘拐事件の当事者になるとは思っていないからね、普通は。しかし親の気持ちを理解するのに役立つのは統計学ではなく心理学。分からないことや不可解なことはそれだけで恐怖の理由となるのだ。自動車を運転したことあるならば常に自分が加害者になる可能性を意識するのだが、さすがに自分が子供を誘拐し殺害することに思いをめぐらすことはできない。未知の領域で起こった事件を想像することは難しい。さて犯人は何が決め手となって逮捕されるのだろうか。
今聴いているのは、プッチーニ [母もなく、おお吾子よ、おまえは死んでしまったのね 歌劇修道女アンジェリカ より]
Jet Streamを知ったのは中学の時だ。そのJet Steamが今夜1万回を突破。それを記念して3時間スペシャル、しかも生放送。うーむ欲張り。動画の配信もやるようだけれどもちろんつながらない。Jet Streamファンをなめているのだろうか。ちゃんとサーバは増強したか?ロードバランサは設定したか?と思ったらFireFoxがポップアップをブロックしていた。
以前城達也の時代にも鹿児島FMの開局記念の時は生放送でオープニングの緊張した声が印象的だった。だから今回も伊武雅刀の声がどんなか注意していたのだが普通だった。やるな!予想はしていたけれど今日の放送で城達也の声を聞くことができたのはうれしい。さてゆっくり聞くとしよう。おやすみなさい。
今聴いているのは、HFM[Jet Stream]
IEからFireFoxに乗換えて半月が過ぎたけれどIEに戻りたいとは思わない。というかIEを使う理由がまったく思いつかなくなってしまった。あ、WindowsUpdateはFireFoxで利用できないか。
久しぶりにとても痩せている人を見た。痩せている程度ならば男性も女性もいるのだが、とても痩せているのは今ところ女性しか見たことない。これで3人目。とてもやせている状態とは、関節がふくらんでいるのがわかる状態。腕を例にするとよくわかる。手首から二の腕の間には肘がある。腕の中で一番盛り上がっているのは肘関節の手首側についている筋肉の隆起によるもの。隆起していなくても普通の人は凹んでいない。とても痩せている人というのは腕のなかで肘関節がぼっこりと浮き出ているような人のことである。このような関節をみると僕は北朝鮮やアフリカの飢餓の子供を連想してしまうのだが日本にも同じような人がいるのだ。なぜ?拒食症なのか?それともそのスリムボディが自慢なのか?と想像してみるが違和感しか感じない。
その人はカウンターの向こうにいるのでほんの少しだけ会話をする機会があったのだがショックなことに顔の輪郭がそのまま頭蓋骨のようであった。あと一歩で眼窩が落ち窪みそう。こめかみのあたりの皮膚は落ち込まないように一生懸命引っ張っているのである。体重は30キロ代なのだろうなあ。より痩せたいという願望を理解できないわけではないが、その願望には限界がないように思われる。1キロ痩せてももう500グラム痩せられるのなら痩せたいのだろう。逆にかなり太った人(100キロを超えるような)は女性の方が多いような気がする。何となく原付に乗っているのをよく目にするのだが。
自分の適正体重というのは確実にあり、体を動かしやすい、健康を保ちやすい、そして好きな服を着れるという基準で判断できると思う。
今聴いているのは、Stina[I see you again]
しばらく前に母方の祖母の葬儀が行われた。いつでも不幸は突然なのだが、葬儀に出席するのは今回で2回目だった。20代後半としては普通の回数だろうか。前回(父方の祖父)はまだ小学生だったのでおぼろげな記憶と小学生の理解度しかないのだが今回は色々とわかることがあった。つくづく経験しないとわからないことなのだと実感。
さて葬儀がすべて終わった後に考えるのはもちろん自分の番が来たらどうするかということだ。どの宗教に則った告別式を行うのか、または無宗教か。遺骨の安置場所は寺なのか、それとも公共墓地なのか。宗教に寛容な日本では意外とバリエーションが豊かなのだが、何も指定せずに死んでしまうと多くのことは自動的に決まってしまう。今の時点で自分の葬儀をどのようにして欲しいかということを考えてみた。平均余命が50年程度は残っているであろうからあくまでも現時点での考え。
・遺骨は海へ
・告別式は無宗教で
・墓は要らない
この3つを決めてしまうと葬儀は慣習から大きく外れることになるので葬儀を行う遺族にしたらさぞ大変だろう。香典は必要なのかという金銭を交えた問題を思いついたので
・故人の意思により香典は必要ないし香典返しもしない
の一項を盛り込むことにした。
死後の世界はないと考えているし宗教に対しても否定的。死んでしまったら自然の法則にしたがって是非消えてしまいたいものだ。覚えてくれる人が覚えてくれていればそれで十分。だからといって、祖母の葬儀に違和感を感じるわけではない。それはあくまでも本人、遺族の判断こそが絶対であるから。祖母の葬儀でも故人の意思に則って、霊柩車と白いハトの放鳥が行われた。このあたりの選択は祖母の性格の一端があらわれていてせつないものであった。
自分の告別式にはぜひともラヴェルの亡き王女のパヴァーヌを流してもらいたいところだ。オーケストラ版で出だしのホルンの響きが豊かなやつを。ピエール モントゥ盤がいいかもしれないな。
今聴いているのは、ラヴェル モントゥ指揮 [亡き王女の為のパヴァーヌ]
知り合いと本に関するメールをやり取りしたので、今日はガツンと読書日。雰囲気を変えるためにあまり行かない図書館まで自転車で遠征。
今日読み終わったのは、
梨木香歩「家守綺譚」新潮社 2004.01.30
梨木香歩はしみじみおもしろい。昨夜から読み始めて今日読んだのは20ページくらいだけれど。後は高堂の話のみだ。
デイブ ペルザー「ロストボーイ "It"と呼ばれた子 少年期」青山出版 1999.04.25
しばらく前に話題となった本だけれどいまいち。幼年期、少年期、青年期と三冊セットなのだが青年期を読もうか迷う。原題が"The Lost Boy A Foster child's search for the love of Family"なのだが日本語には訳されていない。不満である。
遠藤周作「夫婦一日」新潮社 1997.09.29
今まで読んだ遠藤はなんだか物悲しい話が多い。鳥取砂丘に行ったら杭を探してみよう。
島田雅彦「そして、アンジュは眠りにつく」新潮社 1996.11.30
うーん、夫婦一日よりも前の作品なのか。作者の年齢によって話もだいぶ変わるなあ。それにしても島田雅彦の汚れ具合は心地よい。
津田晴美「あの人の暮らしかた essence of living」筑摩書房 2001.08.10
読む価値のない作家カテゴリー入りするかと思われたがこの本はまだいける。裏庭は最低だったけど。滅多なことでは手にとらないだろう、津田晴美。
どっしりと座って重い作品を読む気分ではなかったので軽めの本を選択した。結構読めるものだなあ。図書館で読んだのだけれど、斜向かいに座った人はヘラルドトリビューン(英語版)を読みながらぶつぶついっていた。「宗教が力をなくしているからね、スポーツにのめり込むんだよ」といっている。うるさいので凝視していたのだがどうやら普通ではないようだ。そういえば前方を歩いている人は携帯に向かって「いやそれは俺達はさわれないよ。御払いしてもらわないと・・・」といっていた。あなたの世界はどんな世界なのだろう。
向かいに座った女の子は小学4年生。なぜわかったかというと読んでいたのが「小学4年生」だったから。この本においては背伸びをして違う学年のを読むということはないだろうな。別の図書館ではおじいさんがイスでもぞもぞしながら「anan」を持っていた。読んではいなかった。市立図書館って変わった人が多いなあ。
広島市立図書館はwebでの検索ができず、端末も半角カナ入力のヘタレシステム。これが新しくなれば申し分ないのだがね。
今読んでいるのは、梨木香歩[丹生都比売]
「よるの森のひみつ」を読んだ。結局図書館で予約した。予約本の到着の連絡があったので図書館へ行くと、すいませんまだ来ていないようですといわれてしまう。別に予約した「渋江抽斎」と「丹生都比売」は来ているようだ。もしやと思って絵本なのですが、というとやはり来ていた。職員はすまなさそうにしている。若い男と絵本。先入観は効率を上げるけど時には邪魔にもなるのです。
この絵本スイス南部の昔話が原作。話の内容は花咲か爺さんやこぶとり爺さんとほとんど同じなのだが特徴のある絵が美しい。絵はケティ ベント。ページからはみ出んばかりの絵、ページを斜めに分断している絵、見開きでカラー、文字がまったくないページ。大人の本ではあまり考慮されない紙への冒険が詰まっていておもしろい。絵本大好き、とは言わないけれどたまに読むとこの可能性には刺激を受ける。
この本、検索する時にいつも暗い森だと思ってしまう。「暗い森」はアーロン エルキンズの本だ。久しぶりに読んで気のいいアメリカ人を堪能してみようかしら。
今日読み終わったのは、ケティ ベント絵、エベリーン ハスラー 文[よるの森のひみつ]
先日、イラン人に広島を案内した。イスラム教徒とのファーストコンタクト。初回教徒。ここではイランについて少しだけ買いてみたい。普通の日本人にとってイランで思い浮かぶのはどんなことだろう。ハタミ首相、イランイラク戦争、シーア派、エスファハーン、ホメイニ師そしてピスタチオ、こんなところが限界。しかしこれだけ知っていればかなり会話が弾む。イスラム世界がだいぶ近く感じました。
会話の中で好きな花は?と聞かれたのでチューリップと答える。するとイランでチューリップは殉教のシンボルなのだという。戦争で死んだ人の墓にはチューリップを生けるのだと。あれ?兵士や警官の死は殉職って言うんじゃない?と思って聞くとイランを統治するのは宗教指導者なのだと。つまり兵士も警官も戦争やテロの犠牲者も宗教戦争の犠牲者ということで殉教なのだと。そうだったのか、外国人が日本人に向かって好きな花は菊です、という場面を想像してみるがうまくいかない。日本で戦争を想像するなんて今の僕には不可能だ。兵士が死ぬことは想像できても、戦時中の国家や社会というものはまったく想像できない。日本は平和な国だ。
彼がいうには日本人にとってイラク人はあまり評判が良くないのだという。イラク人は親日派が多いので少々残念だと日本人を代表して言うとどうやら懐かしの偽造テレフォンカードに行き着いた。おぉ、上野公園で買えるものといったら10枚で1000円の偽造テレフォンカードだった。
今話題のアラファトにも話は広がる。イランではイスラエルやアメリカと手を握った裏切り者として扱われているようだ。これは多くのイスラム教徒を代表する感情かもしれない。現在のイスラエルとアラブ諸国の関係はうまくいっていないからね。アラファトといえばテロ組織の親玉だったのにノーベル平和賞を貰ってからは日本でもパレスチナの要人扱いだ。テロに屈しないのなら過去のテロ犯人も裁いて欲しいものだ。
WWIIでドイツ人によるホロコーストを受けたユダヤ人は安住の地としてイスラエルを貰った。もちろん、そこに住んでいた人を追い出した後の土地だったのだが。そのせいでイスラエルとアラブ諸国は戦争をしている。もっともなことのように思える。
話がパレスチナ問題になってきたので軌道修正。イスラム教徒にとって豚は不浄の動物であるのは有名。だから罵り言葉は「豚野郎!」なのだと。それは日本でも通じるというと笑っていた。イランの隣国であるアフガニスタン人はしばしば軽蔑の対象となるようで「このアフガン野郎!」も立派な罵り言葉。豚女は(外見だけでなく性格とかが)最低な女のこと。なるほど、豚はそこまで貶められているのか。日本においてでも人を豚呼ばわりするのは控えるとしよう。
最後に一言。世界は狭くなったといわれるけど、僕にとっては無限に広い。地球は一つだけれど世界は一つではなく、文化、人種、宗教、地理、気候といったものがそれぞれ世界を作っているのだから。対立したり、類似したり重複したりと世界はまったく複雑である。
今聴いているのは、ドビュッシー ウェルナー ハース:ピアノ [アラベスク第1番]
ここ1週間くらい、携帯電話に迷惑メールがたくさん来る。もうきまくり。一日10通以上。受信料が無料なので無駄になるのは消す労力。間違って知り合いからのメールを消しそうにもなった。拒否アドレスを指定しまくる。とりあえずyahoo.co.jp,msn.co.jp,biglobe.ne.jpを受信拒否ドメインに指定。当然偽装アドレスだろうけど、まあしょうがない。ついでにcomとnetのドメインを拒否指定。これを指定するのはちょっと迷ったけれど、まあいいでしょう。というわけでcomドメインからは届きませんのでよろしく。なおVodafonにメールで尋ねると受信拒否ドメインのフィルタリングは
オリジナルメール設定の受信可否設定では、ドメインの登録の際、後ろから見て該当するアドレスを対象と致しております。
例えば...
・「com」とご登録頂いた場合
→最後が「com」となるアドレス全て
・「ne.jp」とご登録頂いた場合
→最後が「ne.jp」となるアドレス全て後ろからフィルターをかけている為、その前に何か文字があったとしても、上記の様なアドレス全てが対象となります。
但し、例えば「aaa.bbb.ne.jp」でドメイン登録した場合、登録分と完全一致しないもの(サブドメインがaaa以外等)は、ファイルター対象とはなりません。
とのこと。迷惑メールが減ったらcomとnetと主要ISPのドメインは許可する予定です。
図書館の、普段はあまり行かない文庫本の書架で梨木香歩の「裏庭」を見つける。借りて読んでみると案の定おもしろい。子供も読める本という位置付けでありファンタジーでもあるので、ミヒャエル エンデのモモを思い出す。そんな本だった。次に図書館に行ったときには梨木香歩の本を2冊手に取る。もう1冊借りることができるので読んだことの無い作家の本を借りようと思ってちょっとうろうろ。水上勉にしようか、それともケド戦記にしようか。本の背表紙を何となく眺めていると津田晴美の「裏庭」を発見する。おお、同じ裏庭。これも何かの縁だろうかと思い手に取る。するとこの本にはしおりが挟まれていた。このしおりは見たことがある。パピルスのしおりでそこには象形文字とアルファベットの読み替え表が描かれている。エジプト展などの売店でかならず見るしおり。何度か買おうかと思ったけれど通り過ぎてきたしおり。これこそ何かの縁だろうと思ってその本を借りた。きっとすばらしく面白いに違いない。装丁も丁寧にされているし。TOTO出版でおしゃれな感じがする。よしよしと思って読み始める。
いっきに読んでしまった。読んでしまったけれどつまらない本だった。作者はインテリア系の仕事をしており写真がきれいなのは納得。けれどねえ、肝心の内容がまったくもってしょうがない。普通の人の日常がただ断片的に垣間見れるだけ。エッセイというのは少なくともその人ならではの視点を意識することによって日常が読者にとっては変化あるものになるのだが、津田晴美の日常はそれ以下でも以上でもないものだった。50歳過ぎという年齢を考慮するともっと悲しくなる。正直思うのは50歳でこの程度かという感じ。そのわりに自らの生活を文にしているところを見るとそれなりに意識しているのだろう。それが余計に悲しいのである。久々にダメ作家ランク入りしそうだけど、気が向いた時にもう1冊くらいは読んであげよう。素直な印象としてはこのような内容のエッセイだったら30歳前後の女性の方が断然面白い。50歳なら金井惠美子の方が面白い。というわけで、小さな偶然はすれ違いに終わった。けれどしおりは大事に使わせてもらうことにしよう。
今日読み終わったのは、デイブ ペルザー["It"と呼ばれた子 幼年期]
カルパッチョの部屋の愚痴日記にも書いてあったのだが紀宮が結婚をするのだと知ったときは驚いた。そしてカルパッチョと同じように「 これは世の独身同年代36歳女性に希望を与えたのか?それとも世の女性はなんであいつが結婚できるね~んと悔しがっているのか?」と思った。多くの人の素朴な疑問であろう。ま、ローヤルパワーで解決なのだろうか。蜂だってローヤルエキスを与えれば女王蜂、普通の蜜なら働き蜂か雄蜂なのだからね。ローヤルはすごいのさ。
皇室の女子は結婚すると皇籍を離れるらしい。そう考えると結婚相手の黒田という人はすごいね。義父が天皇、義母が皇后、義兄が皇太子(いずれ天皇)。けれど皇室ではない。うーん、この結婚なかなか勇気のいる決断だね。それにしてもテレビの画面でカメラに囲まれて既に皇室語を話していたのには驚いた。あれは元からあのような話し方なのだろうか、それとも訓練したのだろうか。それが疑問だ。
結婚によって特需が起きるらしいけどホントかねー。ワタベウェディングとかが目算しているみたいだけれど、なんか今回の結婚に「あこがれ」という要素は少ない。結婚の日に路上でおばさんが「清子さまー」と叫ぶ姿は見られるのだろうか。大人だったらそっとしておいてやれと思ってしまった。
今読んでいるのは、梨木香歩[家守綺譚]
最近用法が乱れていたり、個人的に使用方法や変換を間違えてしまう言葉をピックアップ。整理してみたいと思います。
用法の乱れで気になるのは、
「確信犯」:徳的・宗教的または政治的確信に基づいて行われる犯罪。
・本来の確信犯は自分の行為が違法だと思っていないけれど最近では、悪いと承知して犯行を行った場合に用いられることが多い。新しい用法として定着したといえるのかもしれない。
「元凶」:悪者のかしら。悪事をたくらんだ張本人。
・本来の元凶は人物にのみあてはまる。最近では原因とほぼ同義語として使われる。
間違えそうになるのは、
誤「こんばんわ」 正「こんばんは」
誤「廉価(けんか)」 正「廉価(れんか)」
たまに「こんばんわ」と書かれたメールを見るし、廉価の廉はマダレの中が兼であり読みが「けん」であるからつられてしまう。
混乱する語とは以下の語。
「甲斐」:
行動の結果としてのききめ。効果。また、してみるだけの値打ち。
「甲斐甲斐しい」:
1 かいのあるさまである。思いどおりのさまである。
2 有能である。頼りがいがある。
3 骨身をおしまず、てきぱきしている。はりがあって、いきおいがよい。
「甲斐性」:
かいがいしい性質。けなげな性質。物事を立派にやりとげていく能力。
「甲斐無し」:
かいのないこと。ふがいのないこと。また、その人。かいしょうなし。
「甲斐性無し」:
甲斐性のないこと。意気地のないこと。また、その人。
このように「甲斐」に関連する語を挙げてみると混乱する理由が良くわかる。甲斐と甲斐性は意味が違う。けれど甲斐甲斐しいは甲斐の意味ではなく甲斐性の意味をもつ言葉だ。なのに甲斐性無しと甲斐無しは同義語だったりする。混乱するわけだよ。
意味はすべて広辞苑より。
今読んでいるのは、梨木香歩 [村田エフェンディ滞土録]
ふとBlogのサーバのログを見ると特定のサイトからたくさんのアクセスがあるのがわかった。
NEWS&Blog Searchという立命館のベンチャー企業の検索サイトから来ているのがわかる。どうやら首を切られて殺害されるというエントリがランクインしている模様。
サーチエンジン対策はしていないのになぜだろう。しかし微妙な内容のエントリだな。
「産み分け法」でググルとそれらしいことがかいてあるサイトがたくさん表示される。けど、ほんとに産み分けなんてできると思っているのだろうか。遺伝子学の本家、家畜で産み分けが成功しているなんて聞いたことない。家畜の雌雄産み分けは人間よりも確立されたときのメリットが大きい。回数だってずっと多い。交配を管理するという歴史もずっと長い。家畜で成功していないのに人間で成功しているとは思えない。
それにしても図書館に育児書コーナーにある産み分け本が予想通り多かったのには驚いた。普段寄り付かない書架だけれどね。なんとも非科学的でもしかしたら気合の問題なのかもしれない。もっとも確率50%程度の賭けはかなり勝率が高いと言えよう。
今聴いているのは、エリック サティ[ジムノペティ 第1番]
友人のサイトであるふとしたことたちに触発された。14日のエントリでは携帯について書かれていた。しばらく前に私も考えたのだ。携帯が電車の定期券代わりに使えたり、コンビニなどでの決済に使えることを知ってどういうものかしらべてみた。それはつまり無線、非接触型の通信によって情報の伝達、書き換えを行うというものであった。最大の関心はバッテリーの消費量。昼間電話を使いすぎて電池切れとなってしまい帰りの電車に乗れないのでは笑い話だから。定期や決済で消費する電力は微小なので電池切れを起こした携帯でもバッテリーが入っていれば利用できるのだという。
現在保持している携帯にある機能は電話、メール、web、地域情報配信の4つ。webでよく使うのは電車の乗換え案内。終電も調べられるのでかなり便利。いまいち信頼性に欠けるのだが地域情報配信される天気予報もよく使う。カメラなぞは月に一度使うか使わないか。携帯のカメラのおかげで街角や店の中など至る所であらゆるものが撮影されている。ちゃも指摘していたが携帯なんて所詮は電話なのである。メールは付随機能としても財布の役割も背負わされたらそれは不便になるだろう。安全に対する備えは普通の財布よりも断然低い。水没や破壊された場合はお金のデータは復旧できるのだろうか。機種変更をしたときにお金データは引き継げるのか?返金されるのだろうか?携帯がボロクなってもちゃんど動くのか?怪しいところだらけである。これらの疑問にちゃんと答えられるならば使ってみる価値はあるかもしれない。
友人のサイトであるさいほさいと+で思い出した思いがある。7/11に関して。小学生低学年の頃、夜に寝つけなかったりふと目を覚ましてしまったとき、窓から見えた月には随分となぐさめられた。そしてその後、こんな夜中に外に誰かいるのだろうか?それとも一人ぽっちなのだろうか?と考えた。当時はまだコンビニなんて大都会にしかなく日付が変わっても営業している店はほとんどなかった。窓の外から車のたてるタイヤの音を聞いて確かに人間がいる証拠のように思えたものだ。今ではそんな話がウソのよう。スーパーも深夜営業。正月だって1日から営業している。それは客が来るなら営業したいだろうけれど、休みにするというのは十分英断だと思うな。夜中にもコンビニに子供がいたりするし。どこかで歯止めがかかるのだろうか。
今聴いているのは、ルッツ キルヒホーフ[Sonata for Lute in B dur]
ひさしぶりに絵本を読みたくなった。たまに読みたくなるのが絵本。
「よるの森のひみつ」ケティ ベント文、エベリーン ハスラ絵が読みたい。
ちらちと読んだ時に絵がもっているパワーと物語の黒々しさにビックリ。
近所の図書館に行ったら貸し出し中だった。予約をするのもあれだからなあ・・・
今日読み終わったのは、梨木香歩 [裏庭]
trip:to get high on a psychedelic drug
違法合法を問わずドラッグを試してみるつもりは毛頭無いのだがこの感覚はどうなのだろう?と思うことはたまにある。個人的にこれらの経験を似非ドラッグと呼んでいるのだが。今までに2つ見つけたこの現象を紹介しよう。無害なので是非試してみてください。
「風呂でトリップ」
熱い風呂に入って急に立ち上がる。すると頭はくらくら、世界はグルグル、足元オロオロ。これをトリップといわなくてなにをトリップといおう。この現象のおもしろさに気がついてあやうく癖になりかけたのだが、その結末は滑って転んで風呂の角で頭を打って気絶・死亡、裸で発見となることに気がついて辞めた。裸で発見されるのはイヤだからね。第一このトリップは心臓に負担をかけるので年老いた人、心臓の弱い人、体の大きい人には薦められない。
「ラジオでトリップ」
風呂でトリップが肉体に作用するとすればラジオトリップは精神に作用する。よって不眠症、精神的に強くないと思う人には薦められない。やり方は簡単。枕元に小さなAMラジオを置き、NHK-AM第一にあわせ睡眠の邪魔にならない程度の音量にして眠るだけ。なんとも健全なトリップであるが、これをすると(僕は)必ず夢を見る。しかも変な夢なのだ。これがおもしろくて夢みたさにたまにやってしまう。代表的な夢は「田舎のディズニーランド」が舞台となっており登場人物も知っている人ばかりで驚くほどのリアリティがある。しかし夢の中で夢であることをなんとなく自覚しており、現実世界ではできないような無茶をしてしまうのがなんとも楽しい。先日見たのは斜度30度近い芝生の斜面でブリッジをしていた。もちろん田舎ディズニーランドになる斜面だ。その斜面では大学の某先輩がダウンヒルをしていて発見があったのを覚えている。
トリップというには大げさだというのは自覚しているが、変な感覚というのはなんとも面白い。最近連続して読んでいる梨木香歩の小説は大変面白い。内容はおっとりとして、文章自体も柔らかいのだがそこにはパラレルワールドが埋め込まれており軽いトリップ感覚を味わえる。ということで今日のエントリーでした。
今聴いているのは、The Beatles [Lucy in the Sky with Diamonds]
社会包丁店に刃物強盗、けが人なし 京都市内
のど詰めないもち、官民協力で 農水省
なるとの水揚げが最盛期 滋賀・大津港スポーツ
「ライブドア優勝」 早くも商標登録
長嶋監督の書き損じ国旗「4」が出品 米オークションサイト
滋賀県が市民球団構想 ガチャピン獲得も視野に政治
「生類憐みの令、検討に値するね」 首相、部会に検討を指示TOPページ
Kyoko Shimbun News(虚構新聞社)
今聴いているのは、The Beatles [Norwegianwood]
Utada Hikaruがアメリカデビューしたという話は聞いたけれど、ビルボードにランクインしたとか西海岸でブレイクといった話はまったく聞かれない。日本の誇る歌姫かもしれないがそんなものだ。結局Utadaは(不本意かも知れないが)日本人として売り込まれたのだろう。
アメリカ人にとって日本人の歌う歌に興味なんてもたないに違いない。アメリカの日本食レストランが日本にできても日本人はだれも行かないだろう。Utadaもそれと同じではないだろうか。アメリカ人という巨大な音楽マーケットがあるのにわざわざ日本人の音楽は聞かないのだと思う。日本の音楽がイケテいるという認識はアメリカ人のなかにないだろうし、日本人のなかにだってそんなものはないのだから。
ドリカムもアメリカデビューで失敗しているので歌い手としての実力の他にアメリカやイギリス出身というバックグラウンドが必要なのかも知れない。というわけで矢井田瞳にはイギリスでデビューしてその後アメリカデビューするというのを願っているのだが。
今聴いているのは、宇多田ヒカル[traveling]
昨日はよくしらべなかったのだが、FirefoxのPluginsは1.0に対応しているものが多いようだ。Mozilla Update :: Extensionsでは1.0に対応しているPluginsは少ないのだが作者のサイトに行くとすでにダウンロードできるものが多い。今回は以下の4つほどインストール。これでIEベースのタブブラウザ並の快適さが実現された。
・Tobbrowser Preference 0.9.96
・GooglePreview 0.8
・Html Validator 0.3.1
・Tab Clicking Options 0.2.1
Firefoxデフォルトの機能だけれど「この検索にキーワードを設定」という機能がとても便利。例えばGoogleの検索文字列入力欄にgというキーワードを設定しておくとアドレスバーに「g hidk」と入力しenterを押すだけでgoogleの検索結果ページが表示される。Amazonや辞書サイトの検索文字列入力欄に設定すればもうツールバーの検索ボックスで選択しなくて済む。ほとんどの人にとってマウスを使うよりもキーボードだけで検索が使い分けできるということは大きなメリットなはずだ。うれしかったのでFirefoxDLサイトへのリンクを張ってみた。

今読んでいるのは、梨木香歩[裏庭]
勘違いしていた。wikiとはブラウザによってウェブ上の情報を更新、集積させていくサービスの名称である。wiki=wikipediaだと思っていたけれど、wikiはblogやBBSといったツール・サービスの名称なんだね。wikipediaのほかにもおもしろいwikiがあるかなと思って探してみるもののあまりない。技術系wikiはそこそこ見つかるけれど、ブックマークに入れたいものは少ないなあ。
これくらいしか見つからなかった。それにしても2chの地震支援wikiはすばらしい。スーパの営業情報、風呂情報、ボランティア情報、ライフライン情報などが載っている。これほど広い情報がまとまっているのは他にないのではないだろうか。情報の質はともかく被災者の声も載っているし。これに安否情報を加えたら、NTTやNHKが提供しているサービスよりもよくなるのにね。wikiならできそうな気がする。
さて今回の新潟の地震。親戚も知り合いもまったくいないのでいたって他人ごとなのだが、実家のある東海地方では巨大地震が確実に起こるということが言われているので気になる。地震発生から数日は電気、電話ともにダウンしているので安否情報どころではないだろうけれど比較的復旧の早い携帯電話を有効に使うように家族で取り決めを交わしておいたほうがいいのかもしれない。なんなら携帯から利用できる掲示板を作っておくのも有効かな。NHKの安否情報なんかよりはよっぽど有効だろう。
今日読み終わったのは、梨木香歩 [エンジェル エンジェル エンジェル]
ブラウザをIEベースのものからFirefoxに乗換えた。そのFirefoxの最新版がリリースされた。今まではFirefox1.0PR、プロではなくてプレビューリリース。今回はれてFirefox1.0になった。1.0PRから1.0で変更点はないらしいのだが大きな落とし穴。Firefoxとして実装している機能はブラウザとして最低限の機能で、足りない部分はPluginsで補うというのが基本的な考え方なのだがこのPluginsが1.0に対応していなかったりするんだよな。ま、オープンソースで個人の力によって開発されているから文句は言えない。リリースされるのを待つとしよう。ダブルクリックでタブを閉じる機能がデフォルトで欲しいなあ。
文化の日に山の上にある広島市現代美術館へ行った。文化の日だから無料解放されていたのだ。なんとなく子供連れの家族が多いのは無料だからだろう。美術館の収蔵品で特別展を構成しており、普段は彫刻が多い常設展だけで不満だったのでうれしいないよう。浜口陽三、長谷川潔、駒井哲郎なんかが印象的であった。イブ クラインの作品を久しぶりに見た。持っているんならば常設展でも展示してくれよな、まったく。クラインの作品を前に若い女性が鞄からおもむろにカラーチャートを取り出しクラインブルーと比べている。ははは、IKBがカラーチャートにあるわけないけれどその気持ちはわかる。引き込まれるような青だから。顔料の色は発色がよいね。
帰り道はくだり道だけれど木の生い茂る道をくだる。ここは大学の「山の方の」駅に続く道のようで気持ちがよい。ふと地面を見るとドングリがたくさん落ちている。ドングリを見ると拾ってしまうのはさいほもおなじだろうか。幼稚園にも椎木があってその実を拾っては食べていた。今時の園児も拾っては食べているのだろうか。トチノミはドングリとはいえないけれど2004コレクションが増えた。コナラのドングリが欲しい。
ドングリはポケットに入れて持ち運ぶと磨かれてツヤがでてよろしい。
今聴いているのは、プッチーニ[歌劇 修道女アンジェリカ]
今でこそ毎日髪を洗っているが、子供の時は冬の間は洗髪は一日おきにすることもあった記憶がある。冬になるとあまり汗をかかないのでそんなものなのだろう。
何かの雑誌で洗髪するさいに使用するシャンプーが髪を傷めるといった文を読んだ。その記事によればお湯で丁寧に洗えば汚れのほとんどは取れる上に皮膚や髪のキューティクルを傷めることはないのだという。それ以来、たまにシャンプーや石けんを使わずお湯だけで髪を洗うことがある。僕としては髪の健康のためではなく、めんどくささとシャンプーを使わない事への好奇心が大きな要因なのだが。
お湯洗髪は確かに髪にいい。次の日、髪に触ってみるとしっとりとしていてわずかにまとまり感がある。手触り指ざわりが非常によくまさにアジエンスの世界。唯一の欠点は皮膚のにおいというか汗のにおいというか体の代謝のにおいがわずかにすること。これは不潔な匂いではないはずなのだが普段はシャンプーの香りに隠されているのだろう。シャンプーは髪を傷める大きな要因かもしれないな。
今読んでいるのは、太宰治[斜陽]
現在、NHKでは災害で被災した人の為として24時間テレビを放送している。ついにNHKも24時間テレビ。民放のようにおちゃらけた番組で24時間はひんしゅくかうからシリアスな内容なのだろうか。募金を集めたいのだろうか?それともただ励ますだけなのだろうか。のど自慢は放送されたりしていてよくわからない。よくわからないけど、アナウンサーはたくさん出ているし、メッセージを寄せる有名人の顔ぶれが豪華なのはさすがです。
さて、この放送ラジオでも同時放送している。AMのNHKを聞くとわかるのだがラジオの音の方がテレビよりも早い。0.5秒まではいかないだろうけれどテレビはかなり遅れている。はたしてこの差は一体何から生まれるのだろう。両方とも電波で我が元までやってくるし電波や電気ならば光の速さのはず。アンテナから本体までの距離がテレビの方が長いからか?ラジオは本体にアンテナを内蔵しているからな。それとも電波へのエンコードの問題かな?映像を伴ったテレビでは電波にエンコードするときに時間がかかるのかもしれない。ラジオは音声だけなのですぐに電波にできるのだろうか。うーん、これが今のところ一番もっともらしいな。番組が終わる夜までちょっと考えてみることにしよう。
今読んでいるのは、太宰治[斜陽]
実に21年ぶりに通っていた幼稚園を訪ねた。実家は浜松市だけれど幼稚園の時に住んでいたのは隣の磐田市。富士見幼稚園に通っていた。幼稚園の前を車で通ったことはあったのだけれど今回は勇気を振り絞って幼稚園に入ってみることにした。若い男が単身で幼稚園の門をくぐるということがどれほど注視を引くことかわかっていた。深夜のコンビニにフルフェイスヘルメットをかぶって入店するようなものだと。
入口近くに先生がいるのを確認して、門を開けて中に入り卒園生なのですがすこしでいいので中を見てみたい旨を申し出る。ああ、明らかに警戒している。この人はほんとに卒園生なのか?子供をさらいに来たのではないだろうかと思われているに違いない。そう思われてもしょうがない状況である。卒園年は園長の息子と同じである、ということを説明しているとちょうど園長が外から戻ってきた。私立なので園長。顔に見覚えがあるのでちょっとホッとする。息子さんと同じ年で、と説明するとなんだか思い出してきた様子。すると近くにいた女性の先生を呼んだ。その先生も警戒して近づいてきたのだが、園長から話を聞いてどうやら年長で担任だったことが判明。すこし話をするだけで向こうもこっちも思い出した。久美子先生という名前は記憶に残っている。ああなつかしや。私立幼稚園だから20年も同じ先生がいるのだろう。
建物はすべて一新されいたけれど年中行事はほぼ同じことが行われている。園長が当時の写真集を持ってきてくれた。イモを掘っている幼稚園児は僕だ。フラワーパークの前で集合写真も記憶にある。なんといっても発表会の衣装は記憶にある。一度「赤オニと青オニのタンゴ」で出演しその時の衣装が虎のパンツのみというもので幼いながらに羞恥心を感じたのを覚えている。あれはイヤだった。油粘土のにおいをかいで、恩物と呼ばれていた積み木でこれは Froebel's Giftの日本語訳だとわかった。幼稚園で使われていたのは個人用にリサイズした改良積み木でありフレーベルの積み木とはすこし違うようだが大同小異だろう。とにかくこの積み木は懐かしかった。実家のどこかにまだ眠っているかもしれない。小学校は浜松で通ったので幼稚園の友達の記憶というのはほとんどなかった。小学校が同じなら今でも覚えているのだろうにね。幼稚園児の記憶の限界がこのあたりにあるのだろうか。集合写真を見ても名前を思い出せたのは数人だったし、女の子にいたってはだれひとり思い出せなかった。当時好きだった子がいたはずなのに!
結局一時間くらい話し込んでしまった。最近ではかつての卒園児の子供が通っているようで同級生の子供も来ているよといっていた。そこでふと思ったのだが久美子先生の年齢。当時、若い人だったのだがそれでも22歳は過ぎていた。でもう21年。年齢をあかしてくれたのだが47歳といっていた。うーむ若い。30代後半で通用する。園長も当時と変化していないように感じられ、若者に囲まれていると年をとらないのかもしれない。
富士見幼稚園はワイルド系だった。先生自らそう言っていた。栗拾い、ヤキイモ、ザリガニ取りなどをやったしヤキイモは明日するのだと言っていた。うーん懐かしかった。かなり盛り上がってしまい、知っている先生にまた来てねといわれたのでまた20年後にねと言っておいた。勇気を振り絞って入った甲斐があった。大げさだけれど自分の人生の断片を再発見した気分だ。
今読んでいるのは、太宰治[斜陽]
身罷る前にアップ。
パレスチナ暫定政府のアラファト議長の容態は死の一歩手前という感じのようだ。死亡説も流れ、それにつられてブッシュも追悼の意を述べていた。近年のPLOは平和路線をとるようになってきたけれど、その前はイスラエルに対してバリバリのテロ活動をしていた。中東がテロの本場(あるいはメッカ)と思われるようになったのは中東の不死鳥ことアラファトの武力闘争のせいではないのだろうか。それが今では哀悼を述べられるようになったのか。アラファトの罪と比べるとフセインなんて無罪だと思うのだが。
つい‐とう【追悼】死者をしのんで、いたみ悲しむこと。「―会」
広辞苑より
もちろんこれは香田生証の処刑ビデオのこと。アメリカ人、韓国人に日本人、トルコ人にネパール人。きっとヨーロッパの人間も処刑されその模様がネットで公開されているだろう。テレビではあまり報道されていないけれど。小学生の子供が友人を殺した事件の時は、原因ともなった掲示板についてテレビは盛んに報道し意見を言っていたのに今回はほとんど言及していないようだ。多分、映像があまりにひどすぎるからだろう。僕も思わずアクセスしてしまったのだが首を切られる直前で見るのをやめた。この判断は正しかったと思う。以前アメリカ人技師が処刑された模様を見たのだが、それと同じことが彼の身に起きるだけのこと。少なくとも映像的にはその程度だろう。
アメリカ人はみれて日本人は見れないという明確な理由は僕との距離にあるだろう。すべての人間にとって死こそは宿命であり最期は平等に訪れる。それは間違いないのだが最期にいたるプロセスによってはさまなざな感情が生まれる。ルソーが言語起源論で書いていたように対象となる人に対する共感、共通部分が多ければ多いほど自分の心情として共感することができるのだから。
同じ日本人ということで皮膚の色が同じ、服装だってどこか日本のセンス、黒い髪、喋るのは日本語。断末魔の叫びもきっと日本語だろう。これらを想像することは極めて容易でその結果停止ボタンを押したのだと思う。
共感できるほどその死に対してかわいそうだと思うのはどうやら事実だと経験から思う。アフリカの内戦で大量虐殺があっても眉をしかめて終わり。次にご飯を食べる時には忘れている。アラスカで日本人のツアー客の乗ったバスが横転しても、知人が含まれなかったら凍った道路は滑りやすいからで終わり。逆に顔を知っている人が死亡した時の喪失感はだいぶ大きくなる。これは共感したり想像したりすることが容易だからだろう。近い世界に住むということは世界を共有するということなのだね。
今日読み終わったのはレイ ブラッドベリ[華氏471度]
そういえばパリーグに新規加入するのは楽天に決まった。大方の予想通りなのだが1球団が吸収されて、反対に1球団新設されて合計は変わらず6球団。合併と新設にどんな意味があるのだろうか。おとなしく近鉄Bは身売りすればよかったのにね。
世の中には知らない方が幸せなことはたくさんある。しかしふとしたときに、隠されていた真実に出会ってしまうのもである。偶然それを目撃することもあれば、ふと空を見上げた時ににひらめくこともある。今回はシャワーを浴びている時に思い出したこと。
魚は獲物である。この文明全盛の日本において魚こそが唯一の捕獲対象動物のようである。ま、クジラも捕獲されているけれどあまり一般的ではないし。農業というと自然からの恵と考えがちだけれど種苗管理、成長管理が人間によって完全に行われているのを考えると自然の貢献度はずっと下がる。ビニルハウスや農薬によって環境を整えることが随分と可能となっている。その点漁業は今でもほとんどが狩猟採取型なのでおもしろい。養殖もあるけれど消費量のほとんどは天然物だと思う。少なくとも僕は天然物がほとんど。旬のものを食べるからね。
今読んでいるのは、レイ ブラッドベリ[華氏471度]
Continue reading...フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』をご存知だろうか。数年前、ネットで検索をかけてwikiがひっかかっても大抵はゴミのような内容だったのに最近ではビックリ。オフィシャルサイトや商用サイトよりも情報が充実していることが少なくない。
抽象的な概念は一般的に認識されている意味と解説がかかれている点で広辞苑などの辞書とは一味ちがった味わいがある。カープや鉛筆の内容を読むと対象への深い愛を感じることができ、感情を排除された辞書よりも読んでいておもしろい。
情報の質の保証はされていないのだけれど「ノート」というタブには他者の意見などが書かれていてさらに興味深い。どんな物事でも違った角度から見れば違った風に見えるのだからこのような形態こそ事実に即しているといえるだろう。
比較として続く文章はマイペディアから鉛筆の項目を引用した。
今聴いているのは、奥田民生 [674]
Continue reading...OT@広島市民球場ライブのために大阪から友人が3人広島に来た。チケットに余裕があったおかげで僕もライブをみることになった。全席売れてしまったプラチナチケットなのでせめて広島観光案内をすることにしました。
Continue reading...イラクで人質となっていた日本人が殺害されて日本政府(の関係者)はさぞほっとしているだろう。前回の(ずっこけ)3人組の時のように命と引換に自衛隊撤退の交渉をされたことを思えば死人に口無し。追悼の意を述べて、テロに屈しないといっておけば事件はすぐに風化する。自衛隊の撤退も非常に難しい問題でおいそれと匂わすこともできない。アメリカの大統領選にも関連しているだろう。
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