インターネットも十分普及してなくてはならないものになった感じがある。
長い間ネットを利用していると知らない間に垢のようなものがパソコンにたまる。
そんな垢にも種類はたくさんあるのだけれど今日はスパイウェアについて。
windowsがへたれなOSであるのと、個人ユーザでのシェアが飛びぬけているという理由で
ウィルスの攻撃対象となっているのは良く知られているが、スパイウェアというのも
いつのまにかパソコンのなかに入っている。
スパイウェアとは、自分のパソコン個人情報を特定のサイトへ送信するプログラムなどのこと。
その対策として--SpybotSD -- Search & Destroy 1.2というソフトを利用している。
フリーソフトで、レジストリに潜むスパイウェアを検知してくれる役に立つソフト。
レジストリをいじるのは危ないと思われているけれど、僕は今まで不具合が起きたことがない。
そんなに悪い評価を聞かないので大丈夫でしょう。もっとも総ては自己責任ですが。
使い方は簡単。HPの[Download]から落とし、後は普通にインストールするだけ。
日本語にも標準で対応しているので困ることはないでしょう。
初めて使ったとき、検知されるスパイウェアのあまりの多さに驚くでしょう。
スパイウェアが潜んでいるのはなにもエロサイトだけではないのだから。
今聴いているのは、[TWIN PEAKS original soundtrack]
誰もが少しさみしい気分になり、街路樹の下を足早で歩く季節。
秋は危険な季節だ。
いつの間にか冷たくなった風が、油断している体を通り抜けて
こころに直接吹き込んでくるから。
動きはじめた風が僕を揺さぶり、
すっかり高くなった空は世界を今までより大きく見せる。
ざわざわと不安げな木の葉は僕の心を不安にさせる。
枯葉を踏めば、変わりゆく世界から遅れるような気がするし
長くなっていく夜は、なかなか朝を迎えさせない。
毎年こんなことを考えてしまう秋は僕にとって危険な季節。
でも裏を返すとそれだけ感覚が鋭くなっているから。
鼻詰まりで迎える春とはまったく違う、クリアーな時期。
読書の秋とは言ったもので、たくさんの本を読んでいる。
スティーブン・キング、大江健三郎、島田雅彦、渋澤龍彦。
静かな夜はさらに僕を読書へといざなう。
今読んでいるのは、大江健三郎[恢復する家族]
さてこのweblogというツールの出現で1000年日記としていた
当初のタイトルの「日記」の部分が正確ではなくなってきた。
あまり日記という感じではないしね。
というわけで今日は日記にしよう。
天気のいい日、窓を全開にして風をうけながらひたすら読書。
読んでいるのはスティーブン・キングの「骨の袋」。キングはおもしろい。
オカルトや宗教(特にキリスト教)に対してアレルギーがある人には理解できない
だろうが、世界にはそのようなものが存在できる隙間があると僕は思っている。
だから、現実と空想の間のような気がしておもしろ。
昨夜から読み始めて、今日中には読み終わる。近所の図書館は5時に閉館するので
それまでに下巻を借りてこなくては、と思いひたすら読む。
昼食は昨夜作った無印のタイ風グリーンカレーがのこっている。
丁度夜の分まであったので今日は料理を作らなくてもいい。ラッキー!!
図書館に行くことが今日唯一のお出かけとなったので、本を借りた後
元安川の岸にあるベンチで30分ほど読書。空と風が気持ちよい。
今日あたりはきれいな三日月が見れるはずだけれども、まだ太陽の威力が
強すぎる。空の青の向こうに月や星があるのを想像するのは楽しい。
秋の風というのは皮膚の感触を通して一番記憶に刻まれている風なのだと
実感。去年の、そしてもっと前の秋の風も思い出すような気がする。
ささっと部屋の掃除をして、6時前に早めの晩御飯(もちろんカレー)を
食べ読書にいそしむ。秋は夜だな、と実感しつつ今に至る。
今聴いているのはJulie Doiron [ce charmant couer]
ちょっと大きな音で聴いてるので、隣人が壁を叩いてくるだろうか。
「日用品の二〇世紀 20世紀における諸民族文化の伝統と変容」という本を
読んだ。
これはおもしろい。吹田にある国立民族学博物館のシンポジウムを本として
まとめたもの。
アルミ鍋や人絹、洗濯機などに日常品についての論文と簡単な解説、批評が展開されている。
中でも「沖縄における生理用品の変遷―モノ・身体・意識の関係性をめぐって)」という
のは男の僕にとっては未知の世界だった。あたりまえだけれど。
そこには驚くべきことが書かれていた。著者は沖縄の老女に聞き取り調査をしているの
だが、「戦争時無生理症」を経験した人が3割を超えていたという事実がそれ。
戦争の恐怖・不安というものが種としての人間にとって重大な影響を
与えていた事実を知った。
それ以外でも日用品を学術というフィルターを通して触れることにより、
日用品であるがために滲み出る人間の本質が見えたりしておもしろい。
1冊6000円の高い本なので、僕は図書館にリクエストしたよ。
意外や意外、1ヶ月もしないうちに購入してくれた。
そして戦争という言葉から僕はなつかしのアフガン戦争を思い出した。
アフガンで追われていたのはビン・ラディン。懐かしいなあ。
イラク戦争も最終段階(つまり泥沼)を迎えておりめっきり影が薄くなった。
ここでアメリカが北朝鮮と戦争をしたりすれば、イラク戦争も日本人の
中では色あせた思い出になるのだろう。一方自衛隊はイラクへ派遣するだの、
危ないから派遣はできないといった意味不明の問題でもめている。
政治的にアメリカ追従を決めたのなら、自衛隊は何のための軍隊なのだ!!
と僕は思ってしまう。
人間と戦争はまだまだ切っても切れない縁があるようだ。
今読んでいるのは、スティーブン・キング [骨の袋]
ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」のスコアを買った。
音楽之友社のスコアは少々高くて800円。けれどもその価値はあった。
というのも冒頭の曲解説でマラルメの牧神が記載されていたから。
マラルメの詩をいつでも読めるというのはお得だ。
そして大学でオケに入ってスコアを読むようになったことにより
また世界が広がった。オケに入らなかったらスコアには出会うことはなかっただろう。
ドビュッシーの音楽には必ず黄昏があるという。
この曲では44小節目のフルートのメロディーが45小節目では
2つのバイオリンに受継がれる。しかしバイオリンのメロディーはラとシに
フラットがついている。
この半音の差が牧神の午後への前奏曲の黄昏なのだという。
黄昏というのは終わりを一瞬予測させるメロディーのこと。
このことを教えてくれた音楽家よ、ありがとう。
今聴いているのは、ドビュッシー[牧神の午後への前奏曲]
いきなりなぜ地雷?って感じだけれど、それは僕が読んでいるナショナル
ジオグラフィックという雑誌に地雷に関する記事が載っていたから。
戦争で使われる兵器というのは人間の限りある知恵の総てが注ぎ込まれているような
感じがする。戦車、ミサイル、イージス艦なんてものはテクノロジーの塊。
飛行機だけ20年前に設計されたものが飛んでいるけれど電装は最新になっているという。
兵器の開発には巨額の金がかけられており、「すばらしい工夫」が散りばめられている。
ベトナム戦争で北ベトナム兵士が仕掛けたブービートラップなんて殺傷能力なんて
現在の兵器に比べればかわいいもんだ。
地雷は対人用地雷と対車両用地雷の2つに大きく分類され、オタワ条約で制限される
のは対人地雷のみ。対車両用地雷は制限されないとはなんか甘いなあ。
そもそも対人地雷が制限されるのはその残虐性によって。
対人地雷は殺す能力の高いものもあれば、大怪我をさせる程度に爆発を調節して
あるものもある。
怪我人はそれを抱える国家(の軍隊)を疲弊させ、周囲の人間に与える心的影響
もある。安い武器である対人地雷はとても効果的な武器だから普及したのだろう。
対人地雷にはクラスター爆弾のように飛行機でバラ撒くものがあり、触れた人間は
片足がなくなる程度で死にはしないようだ。
また、跳躍地雷というのは最悪で踏むと1回目の爆発で地面から空中へ飛び上がり、
2度目の爆発は人間の頭部および腹部を襲うというもの。うーんむごい。
オタワ条約にしてもアメリカ、ロシア、中国をはじめ多くの国が調印を拒んで
おり、いわば腑抜け条約になっているのだろう。
日本にいる限りは地雷の恐怖をほとんど感じることはないけれど、その恐怖と
隣り合わせの日常を送っている国があるかと思うと僕は人間不信に陥ってしまう。
人間は信じるに足りる生物なのか?
今読んでいるのは、デズモンド・モリス [裸のサル]
和歌山の白浜に「黒潮とれとれ市場」というものがある。
漁協が直接魚卸しているようで、大きな駐車場には観光バスが停まっている。
僕は大量に買う家族もいないし、白浜を訪れた時は魚が傷みやすい時期でもあったので
のぞいているだけだった。
マグロの解体ショーがあっておもしろい。
そして解体する側からマグロが売れていく。日本人はほんとにマグロが好きだな。
結局僕は何も買わず出口でソフトクリームを食べていた。
たくさんの人が買物袋を提げて帰っていく。僕は手ぶらだけれど。
そんな人いきれを眺めているうちに僕は気がついた。
買物袋の体積とその人間の体積は正比例する。
デブイおばちゃんはほっそりとしたおばちゃんよりも大きな袋を持っている。
袋の数も多い。
なるほどーそういうふうになっていたのか。
きっとアメリカでもデブ主婦のカートは山盛りに違いない。
今聴いているのは、the Beatles [while my guitar gently weeps]
人間の生活にはサイクルがあって、人間の作り出す物にもサイクルがある。
古いものはいつか新しくなる。
今日の掘り出し物は明和電気が製作・販売している「ガチャコン」。
デジタル全盛のこの世において、アナログタイプのリモコンを発売。
チャンネル争い時に威力を発揮する、ダイヤルデタッチャブル機能付き。
明和電気は魚シリーズが有名だけれどガチャコンもなかなかの一品。
今でこそプラズマ、液晶などテレビは新しい製品が出るようになったが、
テレビのブラウン管時代はながかった。
小学生の時はまだ17インチの画面でリモコンはついていなかったように記憶している。
UHFとVHFと別々のダイヤルがテレビ前面に付いておりそれをがちゃがちゃまわして、
あるいは慎重に電波をあわせたものだ。
そのダイアルは抜けるようになっており、兄弟間で見たいテレビ番組が異なった時に
起こるチャンネル争いの時には自分の見たい番組にあわせた後にダイヤルをテレビから
引き抜いて変えられないようにするという荒業があった。
ダイヤルを引き抜かれた後でも、指で微妙にチャンネルを変えることができ
苦し紛れに何も写らない砂嵐にチャンネルを変えるという自殺技もあった。
僕は実際にそういう時代を生きてきたけれど、今時のテレビはすべてリモコンで
操作するものであり少子化の現在では子供がチャンネル争いをすることもないだろう。
テレビは2画面に分割できるし、ビデオもある。それ以前にテレビは一人一つという
時代なのかもしれない。
SHARPの液晶テレビAQUOSのCMでは「もう一度、家族が集まるテレビに」と言っているが
テレビの魅力がなくなったのではなく、テレビ番組の魅力がないのだと僕は思う。
きっとあのCMを作った人もそんなことはわかっているという雰囲気がCMには漂って
おり、テレビに携わるものの悲哀を感じてしまう。
僕は今持っているテレビが壊れたら、しばらくテレビを買うのは
やめようと思っている。
秋は一夜にしてくるもの。
台風の雲が晴れた後はたとえ日差しが強くても、空の色、空気の感じ、
風の吹き方すべてが秋めいてきた。
風呂上りには肌寒い夜には、ジャズが似合うようになってきた。
それとも、去っていった夏を懐かしんでボサノバを聴こうか。
今聴いている曲は Julie Doiron [Ce Charmant Coeur]
僕は朝日新聞を取っている。
最近その朝日新聞では「乳がん誤診撲滅キャンペーン」というものを
やっているようだ。
そのキャンペーンの主旨は、集団検診での乳がんの視触診では
約2割の見落としがある、だからマンモグラフィーという機械での診断を
受けようというもの。
なるほど、2割の見落としは大きい。しかも検診を受けたといって安心していると
癌が発覚してしまうこともあるという。
マンモグラフィーはかなり高い確率で乳がんを発見できる機械だという。
日本では医者に絶対の権力があるかのように考えられているが、いったい
人間の体のどこまでわかっているのだろうか?
そういうことを考えると見落としや誤診なんて当たり前にあること。
そう思っておくのがいいのだろうなあ。
自炊をしていて3ヶ月に一度くらいまずいものを作ってしまう。
その原因は使い慣れていない食材を使ったり、味見をしなかったり。
今回作ったまずいものは小松菜のマヨネーズ和え。
果てしなく苦い和え物になってしまった。
茹でた小松菜にマヨネーズと少量のゆずポン酢を加えた。
作ってすぐに味見したときはほろ苦い程度だったけれど、
しばらくした後食べるととても苦い。食べられないほど苦い。
なんだか化学反応を起こしたようで体に悪そうな味だった。
まずいものを作ったのも久しぶりならば、まずいものを食べたのも
久しぶり。
そして僕は外食で食べられないほどまずいものに出会うことを
心の奥底で望んでいる。
9月も中旬となり、台風の15号が発生した。
台風がそろそろ上陸する季節となった。
台風は天気図と天気ニュースを見ていればその動きを
予想することは比較的簡単。
秋ということで日本上空の大気が安定しているからか、
台風のパワーが強力だからすべてを押し動かしてしまうからなのか。
台風は中心の気圧が低ければ低いほど風が強い大型の台風となる。
そして台風の目を中心として反時計回りの渦を作りながら風を吸い込んでいる。
このとき、海面の温度が高いと吸い込む空気の温度が高いということで、
台風のパワーは増す。反対に上陸するとパワーの供給源がなくなるので、
一般的に勢力は弱まる。
台風は進行方向と吸い込む風の向きが同じになるので、進行方向の右側は風が強くなり
強い雨が降る。自分の家が台風の進路の右側にあったら要注意。
また台風は低気圧なので海面を引っ張りあげるので、大潮の満潮と台風の接近が
重なると海面の上昇により浸水の被害も起こる。
台風の影響が一番早く出るのは海では注意が必要。
自分が住んでいるところから台風が遠く離れていても、海には台風の
波がやってきているので注意が必要。
台風の進路は高気圧に沿って右側にカーブを描いているのですぐにわかる。
夏は朝鮮半島を直撃していた台風が、高気圧の移動とともに日本に上陸するようになる。
動きが時速20km以下の遅い台風は影響を強く受ける可能性があり。逆に速度が
45kmだとあっという間に去っていきます。
ここは天気図が豊富です。
http://tenki.jp
クリムト展に行きながら僕の一番の目的はエゴン・シーレの絵だった。
1枚しか出展されていなかったシーレはやはりすごかった。
僕にとってはクリムトよりもパワーを感じる絵だった。
ウィーン分離派においてクリムトはシーレの師匠であった。
色彩が鮮やかでグロテスクでエロティックなクリムトの絵と比べて、
力強く沈んだ色彩で人物を描いたシーレの絵はまったく違う。
シーレは30歳にならずして夭折した画家で、その絵は当時ポルノグラフィーであると
批判をされていた。時代は常に芸術家に追いつくことはできない。
シーレは薄幸な人生ながら求めていた幸福をキャンバスの上に描いていてそれが
痛々しい。「家族」という作品ではシーレと妻が描かれ、2人の間には子供も描かれている
しかし子供は生まれておらず、願望としての子供の姿なのだ。
このパワーは負のパワーで画家の生命を奪ったに違いないのだけれど、
残った絵は僕に感動を与えるのである。
兵庫県立美術館で開かれているクリムト展に行ってきた。
しかし僕は兵庫県立美術館に失望した。
前回、ゴッホ展に行ったときにもそのような予感があったのだけれど
それが確信へと変わった。
入場料が1500円(前売りは1300円)だった。高い、最高レベルの入場料ではないか。
展示内容がいまいち。大きく宣伝している割にはいい作品が少ない。少ないぞ。
建物がいまいち。いちおう安藤忠雄の建築なんだけれど・・・。
混んでいる。人が多くて見にくいぞ。
これはゴッホ展でもクリムト展でも思ったこと。
展示内容の割りに入場料が高いし、おおいいなと思うような代表作も1点
程しか展示していない。
そして一番の不満は建物。美術館として信じられないことに床には絨毯が
ひかれておらず、板張り。たくさんの人の足音が部屋に響き、話し声や
ざわざわしている雰囲気も耳につく。いくら天井が高くても落ち着いた
空気はまったく生まれず最悪。なぜ絨毯をひかないのだろう?安藤忠雄は
なにを考えて設計をしたのだろう?
建物に関してはもうひとつ不安がある。何で階段があんなに狭いのだろう?
吹き抜けのスペースを広くして開放感を持たせているのかもしれないけれど、
人間が歩く階段は狭い。うーん安藤忠雄は本当にいい建築家なのだろうか。
混んでいるのは誰の責任でもないけれど、クリムト展に子供を連れてくるのは
微妙な気がするよ。最近思うのだけれど、美術も音楽も芸術と呼ばれるものは
全員に門戸が開かれているものではなく、選ばれた人のためにあるのではないか?
全員に門戸が開かれているのは教育であって、芸術はまた別のカテゴリーに
属しているものだろう。選ばれた、というのは興味のあるという意味。
クリムトはアクが強いから誰でも楽しむことができるというわけには
いかないんだよな。
京都には皇室所縁の建物が多い。
京都御所、修学院離宮、桂離宮。
そしてそれらの建物は中を見ることができる。
京都御所とその中にある仙洞御所、桂にٵ?る桂離宮、そして北山の方にある
修学院離宮。建物の中に入るには予約が必要。
10月の下旬からアメリカに住んでいる兄の妻の友達が仕事で大阪に
来ることが決定して、京都観光として桂離宮と修学院離宮を選んだ。
日程が決まったところで早速、宮内庁の京都事務所に電話で聞いてみると
12月中旬まで土曜日の予約はいっぱい(日曜日はお休み)で11月は
平日も残りが少ないといわれた。びっくり、そこまで人気なのか、平日は
無理だなーと思いながら今後の参考のために外国人の参拝は可能か?ときいてみると
女の係員の反応が変わった。
どうやら入場者のなかには外国人枠というものが一般の受付と別にあるようで、
調べてもらうと希望した日程はまだ空きがあるということ。
その場合は外国人と通訳ということで日本人が同行できるとも教えてくれた。
かなりラッキー!離宮の参拝はかなりの人気のようで、紅葉が期待できる11月は
倍率が高いだろうし!!
外国人枠での予約は京都事務所に直接行く必要がある。事務所は京都御所の
一角にあって予約をする人がひっきりなしに訪れていた。そして書類に名前や住所、
パスポート番号を書いて提出するとあっさり許可が出た。
隣にいたおばちゃんに「え??11月に予約が取れたの?」って聞かれたので
「外国人が同伴する場合は枠が別にあるんですよ」と教えてあげた。
かなりうらやましそうな顔をしていたけれど・・・。
大人にうらやましがられるのは久しぶりの経験だ。
事務所の棚や机の上には大量の葉書があった。もちろん参拝予約者の葉書。
うーん郵便局以外でこれほどの大量の葉書ははじめて見たよ。
外国人の友達がいるときはこの特権を使わない手はないぜ。
今読んでいるのは George Lucas(Story)
Leigh Brackett and Lawrence Kasdan [STAR WARS The Empire Strikes Back]
世界柔道の画面がいきなり甲子園に切り替わった。
そして星野監督の胴上げ。
柔道は試合中だったのに・・・。ありなのか?
それにしても星野監督が予想したとおり、甲子園で優勝決定と
なったのはさすがというか、なんというか。
デーゲームで阪神が広島にさよなら勝ちをした後、道頓堀は
すごいことになっていた。
人だらけ。
死亡事故も起きるんではないかと思ってしまうくらい。
阪神優勝という文字は球団以外の人によって商標登録されている。
そのことを知っていたんだけれど、帽子屋で1000円で売られている
「阪神優勝」と書かれた帽子が売られていた。
安いねー。
秋茄子は嫁に食わせるな。
この解釈には2通りあって、
1 秋茄子は美味しいから憎い嫁には食べさせるな。
2 秋茄子は体を冷やすから大切な嫁に食べさせるな。
はて、本当のところはどうなのだろう。
でも秋茄子が美味しいと言うのはほんとで僕は小学生の頃から分っていた。
味がぎゅっと濃くなっておいしい。
茄子が主役の料理に翡翠茄子というものがある。
薄く皮をむいてしばし塩水につける。それを1つづつラップにくるんで電子レンジで
4分くらいh。やわらかくなったら出来上がり。ほんとうは蒸して作るようだけれども
レンジでも充分美味しくできる。
生姜醤油をかけてもいいし、挽肉のあんかけで食べてもおいしい。
この料理、茄子が本当に翡翠色している。茄子の皮と実の間にはこんな
綺麗な色が潜んでいたんだね。焼茄子では皮といっしょに剥がれてしまうんだね。
味としてはまったくクセがなく、ほんのりとした甘さだけが引き立っている。
秋茄子がおいしいうちにぜひどうぞ。
今日のこの文はLinuxで書いたんだけれど、漢字変換が馬鹿なのがつらい。
今聴いているのは Lisa Loeb [Taffy]
重陽の節句を祝うのを忘れたので今日は名月を楽しみました。
そのために和菓子屋で団子を買ってきた。団子だけでは物足りないので
桜餅まで買ってしまった。
この桜餅、僕は道明寺桜餅と呼ばれるものしか食べたことがないのでなんとも
いえないけれど、道明寺ではない桜餅はおいしいのだろうか。
桜餅の発祥は関東で餡を小麦粉で作られた皮で包んだもの。
関西の桜餅はそれに対して道明寺とよばれもち米砕いて蒸したもので餡をつつむ。
浜松の時から道明寺しか食べたことがなかったし、関西でお気に入りの和菓子屋さんのばってんやも道明寺の桜餅だった。
重陽の節句は別名菊の節句と呼ばれるので、日本酒に菊の花びらなぞを
浮かべて楽しみたいところだけれどさすがに一人でそこまではできない。
といわけで月見団子です。
今僕が見ている月はまだ火星には遠い。あと2時間もすればだいぶ火星と
近づくのだろう。
薄い雲が月の光を柔らかくさえぎり、雲の流れる速さからそこでは
風が強く吹いていることがわかる。
子供の時、団子を作ってピラミッド型に積み上げたのを覚えている。
節分とか年中行事を比較的忠実におこなっていた家庭だったのだと思う。
だから秋の夜に月を見たくなるのだろうか。
今聴いているのは ドビュッシー [月の光]
ミネラルウォータについて日記に書いた時に、多くのことを知った。
日本のミネラルウォータは必ず殺菌・除菌処理がされていることには驚いたけれど、
水道水に関しても新に知ったことがある。
ミネラルウォーターと水道水を比較しておいしい、まずい、体に良いという論じ方が
多くの本やサイトでなされているが、ミネラルウォータと水道水ではそもそも目的が
違うということ。
ミネラルウォータはそのまま飲むことと料理に使われるというのが主な目的だけれど、
水道水は飲むのはもちろん炊事、洗濯、風呂など日常生活において使われることを
目的としている。だから塩素で殺菌をしているし、カルシウムなどのミネラルも
濃度が制限されている。カルシウムやマグネシウムが多いと石鹸のあわ立ちが悪く
なり、それによって生活に支障をきたさないようにしているのだ。
広島市水道局のサイトを見てみるとその辺のことがわかった。例えばミネラルウォータ
の中でも中硬水より硬度が高いと水道水としては不可となる。
それは硬度は300以下でなくてはならないと決まっているから。
つまり水道水は可もなければ不可もない水なのだろう。でもそれは絶対の安全性の
上にたっているものなので、水道水もなかなかすごい。
ヨーロッパのミネラルウォータほどではないにしても、水道水にもミネラル分は
含まれており多少は補給できるはず。少なくとも日本のミネラルウォータでミネラル
補給という考え方はナンセンスだろう。
日本各地の水道水の硬度はこのサイトに一覧が載っていて、地域によって差があるのが
一目でわかる。
水質や基準に関して詳しいことはそれぞれの市水道局のサイトに載っているので
ググってみるのがよろしいかと。
広島の硬度は19だった。かなりの軟水です。
今読んでいるのは 島田雅彦[退廃礼讃]
夏の飲み物といえば麦茶。
麦茶を冷水で作るなんて例外!
僕は必ず煮出して作っています。
しかしこの煮出し用の麦茶にも種類がある。
パックに入ったものか、粒のままパックされずに売っているかはすぐわかるのだけれど
パックの麦茶も注意が必要。
それは麦の状態の差があるから。冷水・煮出兼用と書かれているものはパックに
入っている麦は粒を砕いたもの。
煮出専用と書かれているのはパックに入っていても麦は粒のまま。
煮出す麦茶は煮出専用パックの方が断然おいしい。冷水用を煮出すと色はすぐ付くのだけれど咽喉にしつこくからみつく味になってしまう。そして煮出専用麦茶にある
ふくよかな香ばしさとさっぱりした咽喉越しを味わうことができないから。
しかし、僕がこの夏の初めに買ってしまったのは冷水・煮出兼用パックだった。
適当に「あー夏だな。麦茶が飲みたい」と思って買ったのでヘボイのを買ってしまった。
しかもそれが伊藤園の麦茶なのでなんかツルベイに対してもむかついてしまう。
この八つ当たりは広告の怖いところだな。
今聴いているのは ピアノ版[ニュルンベルグのマイスタージンガー 第一幕への前奏曲]
「足は人間の体の中でもっとも進化していない器官だ。だから醜いじゃない。」
という言葉を聞いた。彼女のいう足とは足首より下の足のこと。
なるほどなー確かに洗練されていないし、どんな人だって足は不細工な感じ。
足フェチといっても足よりも脚なのだろう。
足を使う職業といえばサッカー選手。そのサッカー選手のトレーニングに
おもしろいのがある。
それは、床にタオルをのばした状態でひき、それを足の指でたぐり寄せるというもの。
実際にやってみると足の指は自由には動いてくれずもどかしい。
けれど3日ほど続けると、足指の感覚が鋭くなっているのがわかる。
今までは足全体で地面を蹴っていたけれど、指の一本一本が地面を捉える感覚を
覚えるようになった。
なるほど、靴をはく前の人間はこうやって足の指で地面を掴みながら歩行していたのだね。
相撲選手にとっても足の指は重要らしく、足指で土俵をがっちり掴むことを「砂をかむ」
というそうだ。そうすると通常の1.5倍の力がでるのだと。
リフレクロソロジーをした後も足の感覚がよみがえる。
足というのは靴を履くことによって著しく退化しているのだろう。
きつい靴を履いている人にはこの足指タオル運動はかなりお薦めです。
今読んでいるのは 大江健三郎[大いなる日に 燃え上がる緑の教会第3部]
最近ふと思ってLinuxなるものを入れてみた。Redhat9です。
今僕のPCにはwin98、win2000とRedhat9が同居しています。
win98はほとんど使っていないので消そうかと思っているけれど、
消したところでHDDが6GB増えるだけなのであまりメリットがない。
だからしばらくはこのまま。
Linuxは噂どおりインストールはとても簡単だった。動かしてみた感想は
Mozillaというブラウザが重く感じること。
またFlashなどをインストールしていないので見れないHPがある。
でもコマンドラインからFTPをすることができるので、
なんかいかにもPCでデータを送っているという感じがして良い。
Windowsはウィルスの対象になりやすいし(Linuxも油断できないけれど)、
雑誌の付録CDでOSを手に入れることができるというのはすごいこと。
空いているパーティションがある人は導入してみては?
「SWFBRWLDSSTVGDTBB」この文字列は関大オーケストラでの
最後の演奏会のプロフィールに書いたもの。
この文字の意味をあまり人に言ったことはなかったけれど
つまりこういう意味。
1997
Sebelius フィンランディア
1998
Wagner ニュルンベルグのマイスタージンガー
Frank 交響曲ロ短調
Brahmus 大学祝典序曲
Rachmaninov 交響曲第2番
1999
Weber 魔弾の射手
List レ プレリュード
Dovrak 交響曲第7番
Saint=Saens 英雄行進曲
Schumann 交響曲第4番
Tchaikovsky 交響曲第6番 悲愴
2000
Verdi シチリア島の夕べの祈り
Glazunov ステンカ・ラージン
Dovrak 交響曲第9番 新世界より
Tchaikovsky スラブ行進曲
Brahmus 悲劇的序曲
Brahmus 交響曲第4番
僕が舞台にあがった曲の作曲家の頭文字。
今日、これを書くに当たってサンサーンスが出てこなかったけれど、
この文字列さえあれば何とか思い出すことができる。なかなかたくさんの
曲をやったものだ。同じVnパートでも僕とまったく同じ曲ののり方の
人はいるのだろうか、ふと考えてしまった。
今聴いているのは
ドビュッシー [牧神の午後への前奏曲]
WEBLOGという形で日記を続けます。
今までのHTMLのように日付をごまかしてアップできないのが痛いところ。
この日記に返信をすることができるので、みなさんからの
言葉をまっています。
では本日はこれくらいで。